7/19

労働。板長にどえらく怒られた。Eさんからうな丼を買った。うまかった。明日はとても早く出勤しなければならない。入社以来、どんどん出社時間が早くなっている。これ以上おれに努力を求めるのは酷でないかい? いろいろと足りない人間であることはまちがいないけれど。虎魚のとげにやられた薬指がだんだん痛くなってきた。

7/18

昨夜は小説を書くといって書かなかった。書けなかった。録画したフリースタイルダンジョンを観た。漢がかっこよかった。やっぱ頭韻で踏んでいくスタイルはいいな。初代はR‐指定と漢が好きだった。蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』を読みはじめた。柴崎友香きょうのできごと』にしようかまよったけど、読み応えのあるものもたまには、とおもい前者をえらんだ。しかし布団にもぐったら最後、冒頭数ページですぐに寝てしまった。四時過ぎ。

九時。朝になって、また冒頭から読んだ。こういうテキストに目を通してしまうと、じぶんごときが小説なんてたいそうなものを書くべきではないとおもえてしまう。書かないこと、書けないことの言い訳みたいだけど。というか、もうしばらくは書けないだろうな。

労働。長かった。いらだった。つかれた。帰宅してからあたらしいPCのネット接続を完了させた。へんに苦労していたので達成感がある。そんでもってうすいくせに音質がええ。

日焼けのあとが痛痒い。不愉快だ。そういえば昨日から落ちた体重をとりもどすべく、暴飲暴食ばかりしている。

考えたことを、断片的に。

・かつて自己認識として、他にくらべ中性的であるとしばしばとらえていた(フリーターないしT吉時代)し、周囲にもそう言われることがおおかったが、今は客観的に見てもきわめて無性的である。とどのつまり、性交渉をしたいとまったくおもわないし、だれかの裸体が目の前にあること、だれかの性的興奮がこちらにむくのを想像するだけで不快になってしまう。じぶんみたいな感覚の男性ってどれくらいいるのかしら?

柴崎友香とは面識などないが、彼女が同時代を生きる作家として(年齢はむこうの方がいくらか上だが)存在してくれていることに、とてつもない感謝をしている。生きててくれてありがとうございます、ってよくおもう。それくらい彼女の作品にはすくわれてきた。

・おれは、いつも汽水域を生きている。

7/17

二連休後の労働。日焼けのあとが痛い。あとで痛くなるってわかっていたのに。たのみのつなの日焼け止めはEさんのせいでうまくぬれなかった、そんな昨日。千葉の鴨川、六年ぶりの海だった。白波を浴びているだけで笑いが止まらなかった。海と触れ合っていると、あるいはじぃと眺めていると彼にはじぶんの悩みが嘘のようにちいさくおもえた――そんなベタなやり方でベタな心境を体験してきた。海岸沿いの景色がとてもすてきだった。絵描きならば、きっと描いた。決していい一日とはいえなかったが、いい経験ではあった。これから気分転換も兼ねて小説を書く。

 

そういえば八月はまさかの六連休かもしれない。わーい。

 

一言日記はじめました。

冷やし中華みたいに言うなや。

仮題『汽水の朝』 修正と加筆

夏至のちかい六月上旬ともなれば夜が明けるのも早く、午前四時をすぎた時点でしだいに空は白みはじめている。とうとう漆黒へと染まりきらなかった夜闇は透きとおった藍色へと変相し、雲ひとつない空は凪海のように澄みわたっている。あまりにも透徹した藍色の底をさぐろうと目をこらしても徒労におわる。比較対象はなく、直感ではかるふかさはすがすがしさと幾許かの恐怖をうむ。そもそも底や天井もない話だ。すずやかな風が街路樹の肌を冷やし、生垣の躑躅の顔をゆらす。花々の色はすでに明晰で、濃淡に差のない彼らはおなじ漏斗型をしている。中心からのびる花芯は大気とあやしくふれあっている。かわきながらうるおっている。ひそかな、繊細な、それでいて大胆な交信がたえまなくおこなわれている。間断ないもの、あるいはありふれたものというのはその緊張をたやすく見のがされる。港から吹きつける風はわずかに潮をふくんでいる。

新緑の季節はみじかく、葉脈のすける萌黄色はすでの過去のものだ。番町の中央公園では無粋な雀らがけたたましい。鴉のほとんどはまだ夜の木陰に溶けている。本州から海をわたってきたトラックがよそ者であることをしめすように瀬戸大橋通りを抜け、最終的な行き先を告げるように志度街道を行く。豪快な走行音もまだ朝と呼ぶには早い時間帯では街や海に呑まれてしまう。床についた住民らの睡眠はすこしも邪魔されず、歓楽街の雑居ビルでは空が白みはじめていることも知らない中年の男女が酒と古い歌にひたっている。昨夜をいつまでも引きずり、今日をこばむためにおぼれようとする者もいれば、退屈とあくびを必死でこらえながら液晶画面に目をこらす者もいる。閉じた空間でこもった空気と煙を吸いつづけた彼らは一時間もすればむなしいまでにさっぱりと精算をすまし、おのおのの感覚で朝の澄んだ空気のあじわうことになる。水色と橙をひろげた空はその刻一刻の変容をもって一日のプロローグとする。はじまりのはじまりは、とうにはじまっている。

 

星のまたたきは数を減らし、低い位置で三日月のなごりがしろくかげっている。一等地のマンションや県庁といった背のたかい建造物が標高のひくい山々といびつな輪郭を成している。廊下を照らす明かりのせいで巨大な常夜灯となったマンションはいくつもの眼を持つ化け物のようだ。高松駅近くのシンボルタワーや県庁の屋上は航空障害灯が赤い点滅をはなっている。それぞれ担っていた役割も終わりをむかえようとしている。終わりをむかえると共に別の役割をまた受け持ち、それが終わればまた別の……そうしているうちにまたおなじ仮面をかぶり、おなじふうにして役割を終えるのだろう。眠らない静物の一日は継ぎ目なしにはじまり、はじまってしまうとそれ自体がこわれるまで終わることができない。あるいはだれもいなくなるまで。

ふいにおとずれた不眠にあらがうでも投げやりになるでもなく自宅でひっそりとすごす男がいる。欠伸は何度も出たが、午前一時ごろに一度タイミングを逸してからは無理に寝付こうせず、しぜんな眠気がおとずれるのを待っている。錦町の六階建てのマンションは商店街や片原町へとつづく道路に面しており、男の住む五階の部屋のベランダはその道路側を向いている。男は南向きのベランダで、砂埃をまとった手すりに肘を置いている。冷えた空気とやわらかな風をよろこんでいる。着古した部屋着がここちよく肌になじんでいることをあらためて実感している。道路向かいにさほど背のたかい建造物がないこともあり、ある程度とおくまで見とおすことができる。目線を下に落とせば夜間用の信号が黄色く点滅している。夜が明けたとおもうものとおもわないもの、その境目があいまいなうちはまだ夜と呼ぶべきなのか、そんなことをぼんやりと考えながら東からのぼるものを爽快な気もちでむかえようとしている。一枚羽織ればよかった、そう後悔しつつも網戸を抜けてジャージを取りに行くのを無粋だとも面倒だとも感じている。空き家の屋根にひそんでいた鴉がだしぬけにひと鳴きして飛び立つと、それが夜明かしの一羽なのだと妙に執着したくなる。あいまいなすがたを目で追ううちにすばやく旋回し、住まうマンションの壁で見切れ、そのままになる。

睡眠と飲水のあさい欲求からリラックス効果ありとのうわさを耳にしたジャスミン茶をマグカップについだのは午前二時前だった。しばらく文庫本を読んでいたが、頁をめくるのにふいに飽きると型がくずれるのも気にせず読みかけのままベッドの上に裏返した。点けっぱなしにしていたPCで適当なネットサーフィンを開始したものの、暇をつぶしているという感覚がつよく、根ざした退屈はたえず精神にくらい影を落としていた。心身に快楽はなく、ただ惰性で目を覚ましていた。木製のかたい椅子に低反発のクッションをしき、ほとんどおなじ姿勢を取りつづけていた。肩から背をへて腰まで一枚板のような凝りがしこっていた。もとより慢性的なものがこうした夜をかさねることで根深く、やっかいなものへと変質していくのが実感されるときゅうくつな気分になった。足元がいやに冷えたものの靴下をはくことなく、足を交互にかさねたり指先を波打つようにうごかしたりと自身の体温と努力で妙な我慢をしていた。ものごころついたころから横着が身に付いていた。その横着がゆえに体調をくずすことも過去には多々あった。何時からか部屋の明かりを消しており、かわいたひかりをはなつステンレス製の読書灯だけで部屋をともしていた。PCのブルーライトを目にするのもあきあきすると、だしぬけに伸びをして無理に欠伸をした。立ちあがると視界がわずかにくらみ、ステップを踏むようによろけた。大げさだと笑いながら緊張した筋肉を自己流のストレッチでほぐした。読書灯を消し、カーテンを開けた。すき間から漏れるひかりの気配をすでに感じていた。窓を開け、サッシを超える際にベランダ用のサンダルへと足をすべらせた。雨風や日射しで劣化した安物のサンダルの、ざらついた感触が好きだった。裸足でそれを味わうために靴下をはかなかったのだと満足感をおぼえた。くらい気もちのほとんどは夜とともに消え去るのだとわかっていた。口元には快活なほほえみがうかんでいた。

十年前、大学生の時分にはこのベランダからのぞむ景色をまったくことなる心情でながめていた。当時はまだ不眠とよべるほどのものはなかったが、それでも寝付くのに苦労する夜はたびたびおとずれた。目標や情熱のない人生、ひいては将来に対する漠然とした巨大な不安が孤独感をあおり、みじめな気もちから死の衝動に駆り立てられた。すなおに眠れない夜はおなじようにしてベランダに出て外の空気を浴びることがおおかった。快晴の空にうかぶ月を見て、そのひかりとじぶんとをつなぐあいだに何もよけいなものがないことが奇跡のようにおもえた。そんな経験を何度もくりかえしていた。無風の、どこか張りつめた静寂を頬で感じるたびにじぶんの鼻息がうるさくおもえた。ここから飛び降りればたやすく死にことができる、ゆえにあえて今日をえらぶ必要もないか、と言い訳めいた答えをだすことでかりそめの安心を手に入れた。それはかりそめであるがゆえにたやすく消滅した。根本的な治癒はなく、何度も摂取する必要があるという意味では睡眠導入剤と大差ない役割と言えるかもしれない。友人や恋人では満たせない空虚、むしろ彼らによって活性化される究極的に自己でしか満たせない空虚が男のこころを支配していた。日中ではごまかせた怠惰や情けなさは為すべきことのない夜の大気を吸って肥大化した。勉学や部活動に打ちこむ者をねたむだけねたみ、妙なプライドと生へのこだわりのせいで何もはじめることができないじぶんを恥じていた。恥じらいは自殺の想像と直結した。苦しみを相談することでかえってくる答えが容易に想像できるがゆえにだれにも吐露することはなかった。ハラキリですねー、と笑う同じゼミの留学生を夢想した夜があり、さほどしたしくもなかった両者はそれから卒業までまともに口をきかなかった。男に罪悪感や気まずさはなく、留学生にも男を不快におもう理由はなかった。今やたがいに名前さえわすれている。

中途半端に二日はたらいたせいでリズムをつかみそこねている、言い訳にならないことを切実に考えるでもない。約六時間後の出勤までにせめて三時間は寝たいものだとまだ気楽にとらえている。十年前とくらべれば自殺を志向する気もちはほとんどなくなっているものの、それを成長のあかしとはとらえたことが一度もない。社会に適応するための経年変化だとしかおもわず、じしんの性根はあのころのままなのではないかと疑問符が頭からぬけない。しかしあのころにはやりすごせなかった夜をかんたんに乗りこなしてしまった、いやそれどころか乗りすごしてしまった、そうおもうと快活な気分になる。朝のすずやかな大気の中では空気のわずかなうごきさえ敏感にできる。肉体はとうに冷えはじめている。肉のすくない二の腕は鉱物のようにつめたい。空があかるくなるにつれ、街や物々の色彩が明確になる。早朝から営業を開始するセルフのうどん屋は茹で窯から立ちのぼる蒸気を換気扇や窓から逃がしている。市内に点在する学校の体育館では屋根裏にすむ大量の蝙蝠らが羽をやすめている。航空障害灯はまだ赤く、マンション下の信号はまだ黄色く点滅している。それぞれことなるリズムで朝までの時間をかぞえている。九年前にはコンビニエンスストアだったマンションの一階部分は来店型保険ショップに変わっている。二軒となりの一軒家の一階部分を店舗にしたラーメン屋はまだつづいている。学生の時分でも今でも朝や昼にはうどんばかり食していたが、夜になると時おりこの店の味噌ラーメンと餃子が無性に欲された。白髪混じりの長髪をゴムと祭り柄のねじり手拭いでぴっちりと留めた頑固なふんいきの親仁と、いかにも田舎の善人らしい女将の対比が好ましい。L字型のちいさなカウンターとテーブル三席だけの店構えは決しておおきいとは言えない。カウンターの上には商売繁盛を祈願した厳島神社の板札がかざられていた。生まれ育ちが名古屋だと告げてしばらくしたある日、ちいさなサイズの味噌カツ丼をサー状況ビスで出してくれた。あの人が間ちごうておおめにやったやつやけん、気にせんといて、と笑う女将の奥でわずかに口角を上げてほほ笑む親仁の角ばった顔を今でもおぼえている。どうもすみません、ありがとうございます、と何度も頭を下げた。こんな雨の日にごめんねぇ、と言うのに、いやいやむしろありがとうございます、あのまま家に居たら餓死するところでした、と軽口をたたいた。あの日は直撃した台風のせいで、朝からまったく陽がささず、昼間なのにひどく暗かった。持ちあわせのない食材をどうにかすることもできず、かといって通いのうどん屋までもむかうのも豪雨のせいでおっくうだった。じぶんひとりならば具なしのインスタント麺でもよかったものの、前日から泊まりの恋人がいたため近場で昼食を摂るよりほかなかった。男にとって味噌カツは故郷の味でも何でもなかったが、ひじょうに美味くいただいた。最初の一口を食べたかつての恋人は、カツがやわらかいとよろこんでいた。恋人はチャーシュー麺をたのんでいた。ぜんぶ食べきれなかったため、四分の一ほどのこった麺と煮玉子は男が食べた。ふだんのふたりの食事量には明確なちがいがあったものの、時おり恋人は甘いものを大量に摂取するのだと語った。男がその現場を目撃することはなかった。会計を済ませ、くすんだエステル帆布の気もち程度の雨避けを抜け、マンションのエントランスへと移動するわずかな距離でさえ肩先と足元は盛大にぬれた。恋人は用もないのに男の部屋にもどっていた。そういえば、さっきまーひーのたのんだの、味噌味噌になってたよね、そう言いながら借りたタオルで素足をふいていた。爪にはすこし気の早い夏向けの、水色のペディキュアがしてあった。どこを見るでもなく笑う口元からさりげなく見える八重歯にはあどけなさがやどっていた。暗い部屋に電気をつけると人工的なしろいひかりのせいでレースカーテン越しの景色はさらににごった。

テーブルの上に置いた携帯電話の振動が後方から聞こえる。ふだん聞きのがしてしまうものをはっきり聞き取れると、精密機械が正常に機能している事実に安心すると同時にふだんはどうしてあんなにも聞こえないのだろうとふしぎな気分になる。振動の具合と長さでSNSの着信だとわかる。こんな時間の着信というだけで相手は想像できている。もうすこし風を浴びていたいのに、あまい笑みを口元に浮かべながら部屋にもどれば目がなれないせいでやたらと暗さを感じる。裏返した携帯電話から光彩がもれている。手に取れば予想どおりの相手の名とみじかいメッセージが待ち受け画面にうかんでいる。

篠村 小雨

まひろくん、おはよ! 寝てたらごめんね汗 もし起きてたら声聞きたいです。。。

あちらではもう昇りきっているのか、とまだ顔を見せぬ朝陽をさがして窓の外を見るもかなわない。すぐに既読をつけるのは無粋ともおっくうともおもえ、しばらく放置することにすれば、ふいに欠伸がもれる。夏野真広にようやく本格的な眠気がおとずれたのだ。男の長かった夜は藪から棒に終わろうとしている。その前に、と携帯電話を片手にベッドの上をころがりながらSNSをひらく。眠気と鼻づまりにまぎれ、いつからかはじまっていたよわい頭痛をごまかすように毛布にくるまる。

おはよう! 起きてたよ、というか今から寝るところ笑 すぐ落ちちゃうかもしれないけど、よかったら話そう。

返信するとすぐに既読がつき、着信画面へと切り替わる。電話のマークを押し、通話をはじめるとともに真広は目を閉じる。天井を向いた右耳の上にのせた携帯電話から聞こえる声は知らないひとの声に聞こえる。しかし口調や抑揚ですぐに恋人のものだとわかる。部屋にしみついた思い出の恋人、過去の恋人とは別の、現在の恋人とは交際をはじめて一年半ほどで、最後に会ったのは三週間前になる。顔を鮮明にうかべるまでにかかる時間は眠気のせいで引きのばされている。あるいは距離のせいか。すっかり覚醒し、たのしげに話す恋人から発されるくせのない標準語はすでに彼女からしか聞かない日常となっている。もちろんTVやインターネットの動画コンテンツは別だが――真広は全身のつかれと浮遊感に身をまかせ、右耳と口だけを直結した独立器官のようにうごかしている。適当なあいづちをするうちに会話にふとした沈黙がうまれる。ごめん、まひろくん、もう眠いよね? と言うのに、いや、眠いけど、まだだいじょうぶ、とちからなくこたえる。それから眠りに落ちるまでの明確な記憶はない。夢も見ない。むこうから通話を切った音を聞いた気もするが、それもさだかではない。起床後にたしかめれば、あと十分ほどつないでいたらしい。生活リズムにたやすく差が生じてしまうことをかなしくおもい合う以前の恋人の時期はとうに過ぎ、上書きされている。上書きするためにここにもどったのだと、寝起きのぼんやりした思考のまま毛布を身体からはがす。みじかい眠りのせいで肥大化した頭痛はおそらく水を飲んでもごまかせない。

 

なかなか書き足せない。仕事がかなりいそがしく、もうこのまま書かなくなるのではないかという気もする。

仮題『汽水の花』

夏至のちかい六月上旬ともなれば夜が明けるのも早く、午前四時をすぎた時点でしだいに空は白みはじめている。とうとう漆黒へと染まりきらなかった夜闇は透きとおった藍色へと変相し、雲ひとつない空は凪海のように澄みわたっている。あまりにも透徹した藍色の底をさぐろうと目をこらしても徒労におわる。比較対象はなく、直感ではかるふかさはすがすがしさと幾許かの恐怖をうむ。そもそも底や天井もない話だ。すずやかな風が街路樹の肌を冷やし、生垣の躑躅の顔をゆらす。花々の色はすでに明晰で、濃淡に差のない彼らはおなじ漏斗型をしている。中心からのびる花芯は大気とあやしくふれあっている。かわきながらうるおっている。ひそかな、繊細な、それでいて大胆な交信がたえまなくおこなわれている。間断ないもの、あるいはありふれたものというのはその緊張をたやすく見のがされる。港から吹きつける風はわずかに潮をふくんでいる。

新緑の季節はみじかく、葉脈のすける萌黄色はすでの過去のものだ。番町の中央公園では無粋な雀らがけたたましい。鴉のほとんどはまだ夜の木陰に溶けている。本州から海をわたってきたトラックがよそ者であることをしめすように瀬戸大橋通りを抜け、最終的な行き先を告げるように志度街道を行く。豪快な走行音もまだ朝と呼ぶには早い時間帯では街や海に呑まれてしまう。床についた住民らの睡眠はすこしも邪魔されず、歓楽街の雑居ビルでは空が白みはじめていることも知らない中年の男女が酒と古い歌にひたっている。昨夜をいつまでも引きずり、今日をこばむためにおぼれようとする者もいれば、退屈とあくびを必死でこらえながら液晶画面に目をこらす者もいる。閉じた空間でこもった空気と煙を吸いつづけた彼らは一時間もすればむなしいまでにさっぱりと精算をすまし、おのおのの感覚で朝の澄んだ空気のあじわうことになる。水色と橙をひろげた空はその刻一刻の変容をもって一日のプロローグとする。はじまりのはじまりは、とうにはじまっている。

 

星のまたたきは数を減らし、低い位置で三日月のなごりがしろくかげっている。一等地のマンションや県庁といった背のたかい建造物が標高のひくい山々といびつな輪郭を成している。廊下を照らす明かりのせいで巨大な常夜灯となったマンションはいくつもの眼を持つ化け物のようだ。高松駅近くのシンボルタワーや県庁の屋上は航空障害灯が赤い点滅をはなっている。それぞれ担っていた役割も終わりをむかえようとしている。終わりをむかえると共に別の役割をまた受け持ち、それが終わればまた別の……そうしているうちにまたおなじ仮面をかぶり、おなじふうにして役割を終えるのだろう。眠らない静物の一日は継ぎ目なしにはじまり、はじまってしまうとそれ自体こわれるまで終わることができない。あるいはだれもいなくなるまで。

ふいにおとずれた不眠にあらがうでも投げやりになるでもなく自宅でひっそりとすごす男がいる。欠伸は何度も出たが、午前一時ごろに一度タイミングを逸してからは無理に寝付こうせず、しぜんな眠気がおとずれるのを待っている。錦町の六階建てのマンションは商店街や片原町へとつづく道路に面しており、男の住む五階の部屋のベランダはその道路側を向いている。男は南向きのベランダで、砂埃をまとった手すりに肘を置いている。冷えた空気とやわらかな風をよろこんでいる。着古した部屋着がここちよく肌になじんでいることをあらためて実感している。道路向かいにさほど背のたかい建造物がないこともあり、ある程度とおくまで見とおすことができる。目線を下に落とせば夜間用の信号が黄色く点滅している。夜が明けたとおもうものとおもわないもの、その境目があいまいなうちはまだ夜と呼ぶべきなのか、そんなことをぼんやりと考えながら東からのぼるものを爽快な気もちでむかえようとしている。一枚羽織ればよかった、そう後悔しつつも網戸を抜けてジャージを取りに行くのを無粋だとも面倒だとも感じている。空き家の屋根にひそんでいた鴉がだしぬけにひと鳴きして飛び立つと、それが夜明かしの一羽なのだと妙に執着したくなる。あいまいなすがたを目で追ううちにすばやく旋回し、住まうマンションの壁で見切れ、そのままになる。

睡眠と飲水のあさい欲求からリラックス効果ありとのうわさを耳にしたジャスミン茶をマグカップについだのは午前二時前だった。しばらく文庫本を読んでいたが、頁をめくるのにふいに飽きると型がくずれるのも気にせず読みかけのままベッドの上に裏返した。点けっぱなしにしていたPCで適当なネットサーフィンを開始したものの、暇をつぶしているという感覚がつよく、根ざした退屈はたえず精神にくらい影を落としていた。心身に快楽はなく、ただ惰性で目を覚ましていた。木製のかたい椅子に低反発のクッションをしき、ほとんどおなじ姿勢を取りつづけていた。肩から背をへて腰まで一枚板のような凝りがしこっていた。もとより慢性的なものがこうした夜をかさねることで根深く、やっかいなものへと変質していくのが実感されるときゅうくつな気分になった。足元がいやに冷えたものの靴下をはくことなく、足を交互にかさねたり指先を波打つようにうごかしたりと自身の体温と努力で妙な我慢をしていた。ものごころついたころから横着が身に付いていた。その横着がゆえに体調をくずすことも過去には多々あった。何時からか部屋の明かりを消しており、かわいたひかりをはなつステンレス製の読書灯だけで部屋をともしていた。PCのブルーライトを目にするのもあきあきすると、だしぬけに伸びをして無理に欠伸をした。立ちあがると視界がわずかにくらみ、ステップを踏むようによろけた。大げさだと笑いながら緊張した筋肉を自己流のストレッチでほぐした。読書灯を消し、カーテンを開けた。すき間から漏れるひかりの気配をすでに感じていた。窓を開け、サッシを超える際にベランダ用のサンダルへと足をすべらせた。雨風や日射しで劣化した安物のサンダルの、ざらついた感触が好きだった。裸足でそれを味わうために靴下をはかなかったのだと満足感をおぼえた。くらい気もちのほとんどは夜とともに消え去るのだとわかっていた。口元には快活なほほえみがうかんでいた。

十年前、大学生の時分にはこのベランダからのぞむ景色をまったくことなる心情でながめていた。当時はまだ不眠とよべるほどのものはなかったが、それでも寝付くのに苦労する夜はたびたびおとずれた。目標や情熱のない人生、ひいては将来に対する漠然とした巨大な不安が孤独感をあおり、みじめな気もちから死の衝動に駆り立てられた。すなおに眠れない夜はおなじようにしてベランダに出て外の空気を浴びることがおおかった。快晴の空にうかぶ月を見て、そのひかりとじぶんとをつなぐあいだに何もよけいなものがないことが奇跡のようにおもえた。そんな経験を何度もくりかえしていた。無風の、どこか張りつめた静寂を頬で感じるたびにじぶんの鼻息がうるさくおもえた。ここから飛び降りればたやすく死にことができる、ゆえにあえて今日をえらぶ必要もないか、と言い訳めいた答えをだすことでかりそめの安心を手に入れた。それはかりそめであるがゆえにたやすく消滅した。根本的な治癒はなく、何度も摂取する必要があるという意味では睡眠導入剤と大差ない役割と言えるかもしれない。友人や恋人では満たせない空虚、むしろ彼らによって活性化される究極的に自己でしか満たせない空虚が男のこころを支配していた。日中ではごまかせた怠惰や情けなさは為すべきことのない夜の大気を吸って肥大化した。勉学や部活動に打ちこむ者をねたむだけねたみ、妙なプライドと生へのこだわりのせいで何もはじめることができないじぶんを恥じていた。恥じらいは自殺の想像と直結した。苦しみを相談することでかえってくる答えが容易に想像できるがゆえにだれにも吐露することはなかった。ハラキリですねー、と笑う同じゼミの留学生を夢想した夜があり、以降さほどしたしくもなかった両者はそれから卒業までまともに口をきかなかった。男に罪悪感や気まずさはなく、留学生にも男を不快におもう理由はなかった。今やたがいに名前さえわすれている。

中途半端に二日はたらいたせいでリズムをつかみそこねている、言い訳にもならないことを切実に考えるでもない。約六時間後の出勤までにせめて三時間は寝たいものだとまだ気楽にとらえている。十年前とくらべれば自殺を志向する気もちはほとんどなくなっているものの、それを成長のあかしとはとらえたことが一度もない。社会に適応するための経年変化だとしかおもわず、じしんの性根はあのころのままなのではないかと疑問符が頭からぬけない。しかしあのころにはやりすごせなかった夜をかんたんに乗りこなしてしまった、いやそれどころか乗りすごしてしまった、そうおもうと快活な気分になる。朝のすずやかな大気の中では空気のわずかなうごきさえ敏感にできる。肉体はとうに冷えはじめている。肉のすくない二の腕は鉱物のようにつめたい。空があかるくなるにつれ、街や物々の色彩が明確になる。早朝から営業を開始するセルフのうどん屋は茹で窯から立ちのぼる蒸気を換気扇や窓から逃がしている。市内に点在する学校の体育館では屋根裏にすむ大量の蝙蝠らが羽をやすめている。航空障害灯はまだ赤く、マンション下の信号はまだ黄色く点滅している。それぞれことなるリズムで朝までの時間をかぞえている。九年前にはコンビニエンスストアだったマンションの一階部分は来店型保険ショップに変わっている。二軒となりの一軒家の一階部分を店舗にしたラーメン屋はまだつづいている。学生の時分でも今でも朝や昼にはうどんばかり食していたが、夜になると時おりこの店の味噌ラーメンと餃子が無性に欲された。白髪混じりの長髪をゴムとねじった祭り柄の手拭いでぴっちりと留めた頑固な雰囲気の親仁と、いかにも田舎の善人らしい女将の対比が好ましい。生まれ育ちが名古屋だと告げてしばらくしたある日、ちいさなサイズの味噌カツ丼をサービスで出してくれた。あの人が間ちごうておおめにやったやつやけん、気にせんといて、と笑う女将の奥でわずかに口角を上げてほほ笑む親仁の角ばった顔を今でもおぼえている。どうもすみません、ありがとうございます、と何度も頭を下げた。こんな雨の日にごめんねぇ、と言うのに、いやいやむしろありがとうございます、あのまま家に居たら餓死するところでした、と軽口をたたいた。あの日は直撃した台風のせいで、朝からまったく陽がささず、昼間なのにひどく暗かった。ない食材をどうにかすることもできず、かといって通いのうどん屋までもむかうのも豪雨のせいでおっくうだった。じぶんひとりならば具なしのインスタント麺でもよかったものの、前日から泊まりの恋人がいたため近場で昼食を摂るよりほかなかった。男にとって味噌カツは故郷の味でも何でもなかったが、ひじょうに美味くいただいた。最初の一口を食べたかつての恋人は、カツがやわらかいとよろこんでいた。

 

非常に中途半端だが、これからTと会う。

最近のこと。適当に。

最近も相変わらず無職ライフを謳歌している。基本的には六時前に目覚め、筋トレをして、ジョギングをするというルーティンをこなしているのだが、最近は雨や雪のせいでジョギングをしないこともあった。それに睡眠時間が足りず布団から出るのがどうしてもおっくうな時もあり、そうした場合は怠惰に身をゆだね、サボってしまう。人気のない時間帯しか走りたくないという意固地があり、それは醜態をさらすまいとする過剰な自意識でもあるのだが、じっさい昼間は歩行者や自動車が邪魔でうまく走れないだろうという気もする。まあそれは言い訳だけども。今日は朝に怠惰を発揮したため、夕方からルーティンをこなした。ふだんより楽に感じたのは何故だろう。空気がさほど冷たくなかったから?

前にも書いたが一日があっという間に終わってしまう。特に麻痺しながら推敲をしていると、ほんとうに時間の流れが早い。そういう時は読書や英語勉強に切り替えればいいのに変にねばってしまう。それがよくない。気分は落ち込んでくるし、今日一日で何ができたかと振り返ると情けなくなる。こんなんだったら働いている方がよっぽどか有意義だ。

来週は火曜から三泊四日で金沢旅行である。一応和食の勉強のつもりではあるが、以前から金沢には憧れがあったので観光客らしく兼六園やら美術館やら茶屋町やらの観光を満喫してこようとおもう。輪島まで移動しようか迷っているが、来週はまた寒波の影響でえらく冷え込むらしいので交通機関が止まることを考えるとむつかしいかもしれない。ホテルと晩飯を摂る場所はすでに予約済みである。初日はT矢さんの親友(心友?)でありじぶんの双子兄Tの専門学校時代の同級生であるTさんの知り合いがやっているという八七というかほく市にあるお店へと伺うことになっている(Tばっかやんけ!)。二日目三日目は地元で有名な和食屋さんを念入りにググり、予約した。一番行きたかった店は何度電話してもつながらないので諦めた。残念。

最近ヴァルザーを読み返している。やはりおもしろい。と、同時に発見がある。何かを読み返すたびに一度目の読書でじぶんがいかに読めていないがわかる。じぶんの読書のきっかけはT矢さんのブログで言及されていたカフカとヴァルザーを大学の図書館で借りたことだと認識している(しかしどうだろう? TからT矢さんのブログを教えてもらった時点できっかけと言えるのでは?)ため、ヴァルザーには非常に思い入れがある。よくわからんがおもしろい! よくわからんが豊かな営みがあるぞ! とたしかに感じたあの瞬間のよろこびは今でも思い出すし、じぶんが小説を書く以上は忘れたくないと高揚である。

今日はじぶんの次の仕事について、知り合いの職人さんと話をしてきた。時期が合わないと小説を理由に一度ことわったが、その辺を考慮するからとふたたび誘っていただいた話である。いろいろと話してみて、魅力的な面のおおい職場だと感じた。業務的にはかなりきついものの自由な時間は以前の職場よりおおく取れそうである。じぶんの場合、料理を年齢がおそいことや左利きであることなど色々と面倒なのだが、そのあたりを折り込み済みで考えてくれているだけでも助かる。何より勉強になりそうだと率直におもった。発展途上の店をスタッフ一丸となって盛り上げていくのは好きだ。心が一気に働く方向へと傾いている。再来週中には返事をすると言って別れた。決まれば三月上旬から働きはじめることになる。あと一ヵ月だとおもうと、もっと今のうちに金を使わなければと感じる。とりあえずPCでも買うか。

帰宅後、推敲にひと区切りついたところで母に電話をした。最近痩せたかもしれないと伝えると、あんたこれ以上細なってどうすんの、この前(横浜に来た帰り)Tとも話したけどな、正直あんた顔つきが貧相やで、こういっちゃ悪いけど、何というか脂分がまったくないのよ、めっちゃ老けて見えたわ、とぼろくそに言われたので悲しくなった。じぶんでも顔の肉があまりにもすくないことは自覚していたが、やはり他人に言われると傷つく(おととしT矢さんと再会した際にも「げっそりした」と言われた)。特にじぶんは何かと顔から痩せてしまうタイプだし、咀嚼回数が少ないせいで顎の線も細い。もっと肉を食うべきなのか? 動物性たんぱく質を卵でしか摂取しない生活である。数年でここまで顔の肉が削げた人間をじぶんはじぶんとサカナクションの山口一郎しか知らない。とりあえず高菜と葱のチャーハンを食らった。

さて、この適当な文章も書くことがなくなってきたので、そろそろ閉じよう。