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葛か海老(仮題)

   駅前の河津桜は満開で、焦げ茶色の細い幹や枝に絡みつくツツジ色の―花の色を形容するのに他の花の名を借りなければならぬとは皮肉な話だ―花弁はほとんど無数で、その一枚がはらりと風にさらわれると道路を挟んで二手にわかれた駅舎の南側へと飛んで行った。ある程度の上昇下降はあるものの、ほとんど一定の高さで飛んで行き、やがてどこかへ消えていった。日曜日とは言え、駅前の人通りはすくなくなかったし、人工的に植えられたでケヤキユリノキははじめからそこにいたのだと言わんばかりに高くどっしりとかまえていた。いくらツツジ色が景色に映えるといえども、あんなちいさな一枚ではたやすく見失ってしまう。それにこの日は朝から晴天で、雲もすくなく、横浜市中区にしてはめずらしく空の青さもずいぶんと鮮やかだった。初夏めいたはっきりとした色彩や濃い影の中では、あらゆるものが目立とうとする。それはまるで子どもたちの背比べのようなものかもしれない。彼らは背伸びまでしてじぶんの勝利を主張するが、数年もすればだれもかれもそんな高さなどものともしないほどに成長し、身体をおおきくする。競い争った事実などみな忘れて、恋や勉学や退屈に頭を悩ますようになる。この日のことごとくの鮮やかさも一過性のもので、たえず何かにさらわれていた。それは時間だったかもしれないし、無関心だったかもしれないし、彼ら自身だったかもしれない。

  南口から出れば横浜スタジアムはすぐ目の前で、さらに南へとのびる信号をひとつ渡ればその敷地内、つまりスタジアムを包括する横浜公園へと侵入することになる。四月一日の開幕前に最後のオープン戦が昼過ぎから行われることになっていたため、ユニフォーム姿の若いカップルや夫婦、子どもたちのすがたがちらほらと見受けられた。開始にはまだずいぶんと時間があったが、彼らはどうやって時間をすごすのだろう? この街ではそんなことを危惧する必要などどこにもない。スタジアムの輪郭をなぞるようにして歩けば噴水や花壇、さらに子ども向けの遊具のあるエリアに至るし、さらに行けば庭園風のちょっとした自然鑑賞をたのしむことのできるエリアもある。もしそこで満足できないのだとしても、公園を東に抜ければカフェやコーヒーショップなどいくらでもあるし、南東に抜ければ中華街があった。時間などいくらあっても足りないくらいではないか。しかし持っている金は有限で、体力も、試合開始までの時間も同じく有限なのだ。おそらく子どもたちは、いや、もしかすると大人たちもそうかもしれないが、今日のような春の陽気につつまれたこの街を最高にすばらしい場所だとおもうだろう。原風景のひとつとして胸にきざみ、色とりどりに咲きほこるチューリップやパンジーのにおいをちいさくやわらかい鼻でふんだんに嗅いだこと、ベンチに座り肩を寄せ合う恋人たちが楽しそうに語らっているのをおしゃれだとおもいつつながめたこと、おなかが空いたと駄々をこねれば母親が不満をこぼしながら一枚のイチゴジャムとマーガリンをうすく塗ったサンドイッチさしだしてくれたこと(本当はおやつの分なんだからね!)、そんなことを二十年後にもおもい出し、いつかじぶんの子どもにも同じことをさせてやりたいものだと考えるのだろう。それが至極当然ともいえるのは、このさわやかな都市の流儀がある種の普遍性を持っているからだろう。歴史や文明に培われたこの平穏が未来に失われることなどどうして想像できるだろうか?  こんな春の陽気の中で悲惨なことを考えるのはだれにもできない真似だった。

  夏(なつ)治(はる)は通行人のほとんどが南口から南へと抜けていくのに逆らうようにして北へと歩をすすめていた。駅そのものは利用せず、一駅以上先にある自宅からここまで歩いてきたのだ。それは健康のためでもあり、節約のためでもあった。彼はこれから昨日までのように職場へと向かなければならなかった。日曜日のこんな晴れた朝に、このままぶらぶらと散歩することが許されていないのをうらめしくおもった。とはいえ自宅からかれこれ三十分以上歩いていたので、身体は火照り、額には汗がうかんでいた。はじめに羽織っていた仕事日用のブルゾン―仕事に来る時はいつもこれを着用していた。キャラメル色の革製でもの自体は良く、値も張ったが、年期の入り具合と使いやすさから仕事日用に回していた。毎年一度はクリーニングに出してはいたが、特に手入れはしておらず、よく人から光沢やつやを褒められるのを夏治本人は不思議におもっていた―も今は小脇に挟み、なるべくちいさく折りたたんでいた。やはり冬は終わったのだ、例年より遅いソメイヨシノの開花も今日で一気に具合は変わるだろう、そんなことをおもいながら南口の駅舎の前を素通りし、ほとんど隣接した市役所との間の遊歩道へと足取りをずらした。その道の脇にも横浜公園よりは小規模ではあるものの花壇があった。区画に沿って直方体や立方体の白いブロックが置かれ、その中に土が敷かれ、植物たちが植えられていた。ほとんど毎日同じ道を通っているのに、花壇の内側での日々の変化になどこれまでまったく気がつかなかった。夏治はその事実に人知れずなさけないおもいをしながらも、今この瞬間に花々を愛でることで帳尻を合わせるような、おのれの感性のにぶさを清算するような気持ちでいた。各ブロックの花々は丁寧に手入れがされており、箱庭のような趣があった。それぞれ植えてある内容に大差はなかったが、遊歩道の中ほどの十字に交差する真ん中には木製のひときわ大きなブロックが置かれ、幹の細い一本のソメイヨシノが植えられていた。枝々のさきを見やればほんのりのうすべに色に染まっているのもの、まだ蕾の状態だった。ふだんこの木の前を通ることはなかった。その前に空いた駐車場とタクシーばかりが停まる一方通行の道路を横切り、風のつよいビルの谷間へと足を向けていた。それはもちろん日々仕事があるからだが、今朝のように朝にうまく時間をつくればソメイヨシノに近寄り、その変化を見過ごさずにすむかもしれない。日曜日のほとんど人通りのない遊歩道―この先はビジネス街へとつづいているのだ―ではソメイヨシノの細い幹にそっと手を押し当てることだってできる。ほんのすこし、時間のことが気にかかったが、ポケットの中からスマートフォンを出すのがおっくうだった。十中八九余裕はあると踏んでいた。歩んできた道をそのまま追うようにして風がそよそよと吹きつづけていて、それが非常にここちよかった。汗がしだいに引いていくのを感じていた。

  今朝はやけにすっきりとした目覚めで、目覚まし時計が鳴る前にすでに身体を起こし、歯を磨きはじめていた。TVはつけずにステレオを起動し、スピーカーから音楽を流した。最近よく聴き、昨夜も流していた古いジャズの音源だった。夏治は古い音楽を好んで聴いたが、楽器は何ひとつ演奏できず、音楽に関する知識もうわべだけだった。ゆっくりと身支度をととのえ、朝食としてプレーンヨーグルトを食べ、飲むことのできない日も多々ある朝のアメリカンコーヒーもしっかりと味わうことができた。それでも何故か時間はあまり、何かをするには中途半端な時刻だったため、おもい切って出勤することにした。目覚めてから気分はずっとさわやかだった。何か嫌な夢を見ていたような気もしたが、目覚めた瞬間にはもう忘れていた。身体もいやかるく、昨日までの労働など存在しなかったようだとおもえた。気温のことなど気もせず習慣的にブルゾンをはおい、仕事日用のうす汚れたスニーカーを履き、玄関を出て鍵を閉めた時、つまり外気にふれた時、夏治はひとつの確信を得た。ああ、おれの気分がこんなにもいいのはとうとう春がやってきたからだ、と。彼は初夏をこよなく愛していた。その初夏をおもわせる春の陽気も同じく愛していた。アパートの二階から階段を軽快に下り、エントランスを抜けると、陽のひかりが彼をまんべんなくつつんだ。そのやわらかい温度差が飛び上がってしまいそうなほどうれしかった。その高揚のまま走りはじめ、住宅街を抜けることもできただろう。しかしそれを自制し、なるべくゆっくりとした歩調でゆるい勾配の坂道をくだった。早く職場に着く必要などどこにもなかった。明日は週に一度の定休日がゆえに仕込みはすくなかったし、予約もほとんどはいってなかった。出勤時刻の九時半ちょうどに職場に着いても―ふだんであれば最低でも十五分前には出社していた。昨日おとといに関しては仕込みが間に合わなかったため、三十分以上前にはすでに白衣に着替えていた―だれも文句など言わないだろう。いつもはきびしい親方も、こんな気持ちのいい日くらいは許してくれるにちがいなかった。ここのところ売り上げは伸びているし、じぶんは日ごろからまじめに勤務しているのだからなおのこと(となれば、時間の余裕はさらにできる?)。そんなことをぼんやりと考えながら、ところどころ寄り道しながら歩いた。ふだん通らない道を通るとこころがおどった。中華街の端ともそうではないとも言えるどっちつかずの狭い路上、行ったことのないスーパー銭湯の前を通ると、だらしなくくすんだランニングシャツを着た初老の男性が空を見ながら煙草をふかしていた。このひとは昨日までの寒さの中でもこんな格好で煙草をふかしていたんだろうか! 通勤路をすこしずれればこんなにもゆたかな世界が目の前で像をむすんでいた。低く張られた電線越しの空を烏が横切った。嘴には紙袋の切れはしか何かをくわえていた。あれで巣でもつくるのだろうか。烏の生態になどみじんの興味もわかないくせに疑問だけが粘ついて頭にのこった。ふと横を見やれば、路地裏の痩せた黒猫と目が合った。ひかりの加減もあり、瞳はあわい金色に染まっていた。足を止めてかまいたい気持ちもあったが、そんなことをすればたちまち時間はなくなってしまうだろう。今日はなるべくゆっくりと歩きたい気分だったのだ。もともと早足で、ふだんなら二十分弱で職場へと到達するほどのペースだが、この日はソメイヨシノの幹にふれた時点ですでに三十五分が経過していた。おれはこれまで早く歩きすぎていたのかもしれない。それは横浜に引っ越し今の職場に通いはじめた三年間を指していたのか、はたまた二十七年の人生そのものを指していたのかは彼にもわからなかった。ただ、これまで早く歩きすぎてきたことを後悔していた。明日から十五分早く起き、十分早く自宅を出よう、そうつよくおもったが、明日は休日で、明後日からの出勤までその気持ちが持続するとは到底おもえなかった。そんなことは夏治も重々承知していた。こうした折に突如つよい風が吹いた。風圧から顔をそらすと、河津桜の花弁が目の横を抜けて行き、さらに前を行く通行人をも越し、ビジネス街まで届くかという高さまで上がっていき、そのまま視界から消えていくまでの一部始終を目撃した。そろそろおれも行かないとなぁ、あとくされなくそうおもい、足をうごかした。太陽がうすい雲に隠れたからか、振り向いたさきの花壇に咲いたチューリップの色彩がいやに生々しく見えた。もう時間がないことはわかっているのに手にふれて観察せずにはいられなかった。作り物めいたしっとりとした葉々の中心からストローのような茎がたよりなく上に伸び、その先端では花弁がそっと何かをつつむかのようにふんわりと卵型にかさなり、アンバランスにおおきな花被を形成していた。

  ほんとうに時間がないのになぁ、そうつぶやきながら花弁のひとつを指先でなぞった。声はちいさく、掠れていた。うすい雲が流れ去ると、ふたたびやわらかい陽のひかりが彼をつつんだ。立ち並ぶビルの隙間からからシャンパンの泡のようなひかりの粒がゆっくりと降りそそいでいた。もう行けということか、そうおもいながら指先で触っていた花弁をつまんで外した。何も考えていなかった。気づいたら一枚だけ剥がしていた。河津桜ツツジ色をさらに濃くしたような一枚だった。

  おれは仕事に行く気がないのだろうか?  相変わらずゆっくりと歩いたまま、左手に乗せた花弁が風にさらわれてどこかに消えてしまうのを期待していた。彼が職場へと至るための最後の一本道、ビルの谷間の細い路地に差し掛かると案の定風がつよく吹いていて、あっという間にツツジ色は後方へ舞って行った。まるで夏治の歩いてきた道をたどるかのように。日陰に入るとすこし肌寒かったが、ブルゾンをはおるほどではなかった。それにしても日なたから日陰へ、日陰から日なたへと足を踏み入れた時の感触というのはなんと心地がいいのだろう。彼はひかりにも影にも質感があることを信じていた。路地の先では二三羽の烏が隣店のゴミ箱をあさっていた。

 

 小説らしい小説を書きたい。ウルフとかマンスフィールドみたいな小説が書きたい。

 

 

雨と埃(仮題)

透明

 

陽のささない廊下の空気はどことなく硬く、冷たく、そして青みがかっていた。晴れた空の青さを、雲が太陽をかくした時の翳りをそのままうつしていた。地上三階、トイレの脇の手洗い場、しまりのわるい蛇口からもれる水滴がちいさくしきつめられたタイル、しろくくすんだ正方形のひとつをぴちりぴちりと一定の間隔で打ちつづけていた。音はきわめてちいさく、ひびかなかった。しずくとしずくの間隔もひろいため、意識しなければその律動をたやすくつかみそこねてしまうだろう

階段をのぼったさき、見なれたはずの一本道をふと意識をうばわれ、どれくらいたたずんでいたのだろう。おそらく一分にも満たない静止だったが、この場所から知りうるすべてを見つくしたような気になった。人気のない校舎、だれもいない校舎というのはこんなにも人をまどわせる。外で部活動にいそしむ上級生らの声が、大会を間近にひかえたマーチングバンドの気合のはいった練習のさまがとおくに聞こえる。廊下に面した窓はおしなべて閉じ切っており、なでつけるように吹く風にがたごととふるえた。おおきく息を吐きだしてから廊下を歩きはじめた。やたらとおおきくひびく足音に禁忌を犯すかのごとくあまく、かさねればかさねるほど強気になった。のどからしぼりだすように声をはなった。それは歌だったかもしれない。あるいははなってから歌になったのかもしれない。声も最初はかすれ、いかにもたよりない具合だったが、慣れてくるとふだんどおりの鼻歌程度の声量となった。各教室前のロッカーの上には空気の抜けかけたバレーボール、引き解け結びでまとまったピンクやオレンジのビニールひも、使い古された縄跳び、図工の授業でつくった何かしらの作品や筒状にまるめられたポスター、やたらと分厚い資料や教科書、その間にはさまれたプリント、体育館用のシューズ、絵の具や粘土、赤白帽など、さまざまなものが雑多に置かれていた。すべてがどことなく硬く、冷たい空気におかされ、青みがかっていた。廊下から空をのぞいても太陽は見えなかった。校庭の外につらなる水田、稲は青々としげり断続的に吹く風に波打っていた。その奥の冗長にながい車道をオレンジの自動車がはしっていた。反対車線から鈍い銀色をした大型トラックが近づいて、両車はスピードをゆるめないまますれちがった。こういう光景を目にすると、いつもぶつからないか心配になった。いや、心配というよりぶつからないことがふしぎにおもえた。あの道の幅も、二車線あることも、きちんと知っているはずなのに。陽をかくしていたおおきな雲がながれたのか、とおくの景色から順に陽光をあびていく。じょじょにこちらへと移動する陽光に、そのためらいのなさに、圧倒的な力づよさに、すこしだけ身体がこわばった。本人すらこわばったことを認識しないほど、ほんのわずかに。校舎の影がうきぼりとなり、とおくの景色からはふたたび陽光が消えていた。晴れてはいたが、雲のおおい一日だった。初夏のさわやかな日だったのか、梅雨時の晴れた一日だったのか、もはや正確な日付をおもいだすことは不可能だった。歩調をゆるめて窓の外をながめ、別の二台が何事もなくとおりすぎたのを確認してからもとのように廊下をすすんだ。

午前中で授業の終わる土曜日、廊下の一番奥の教室に忘れ物をしたのだと、友だちと歩く通学路で気がついた。ながく弛緩してつづく列の最後尾をだれよりもだらだらと歩いていたゆえに、振りむいてもと来た道をたどってもだれともすれちがわなかった。正門を抜ければ、校庭で部活にそなえた上級生らがおのおののペースで持参した弁当を食べすすめたり、器具やら楽器やら測定器やらさまざまなものをはこんだりするさまが見えた。校舎、校庭の奥の裏門あたりの一階部分には職員室があり、そこから直接外に出られるつくりとなっているため、数人の教員が上級生らの様子を見るともなしに何かしらの話をしているのがうかがえた。まっすぐに校舎へと近づいて、そのまま吸いこまれるように昇降口から侵入した。だれにも気に留められず、とがめられることもなかった。人気のない昇降口はひんやりとしていた。すがたは見えなかったものの、上級生らのさわぎ声がちかくから聞こえた。たぶん音楽室から楽器を運搬するマーチングバンドだったかもしれない。兄の声がそこに混じってないか、注意ぶかく聞いたもののわからなかった。

ひとつ年上の兄がいた。兄は上級生で、マーチングバンドの練習に参加していた。夕食や風呂の際に話を聞くのが好きだった。大会に向けて懸命に励む兄はすなおにかっこうよく、あこがれの対象だった。それはあくまで努力のさまを見て感じたもので、音楽そのものに食指はうごかなかった。生来ひどく不器用で、手先のものとなれば最悪の出来だった。当然興味も関心も湧きづらかった。また兄の専門となればちがう道をさがすのが筋だろうといかにも弟らしい発想をした。ソフトボールひいては野球にいっそう打ちこみはじめたのはやはり一年後だった。音楽や美術に正当な興味を抱くころにはもはや歳を取りすぎていたし、今さら何かをはじめるには情熱も時間も足りなかった。当時身長がおなじくらいで、体格もおなじくらいだったゆえか、はじめに兄弟と紹介された時にはどちらが兄かわからないとよく言われた。そこにどことない恥ずかしさと申し訳なさを感じていたのはこの時期前後一年くらいだったとおもう。成長期をすぎ、たがいに親元をはなれ一人暮らしをするようになれば、どちらがはた目に年上らしく見えるかなど気にもしなくなった。ふたりで会うたびに変わらないと言われたが、こちらから見れば兄は順当に歳をかさねているように見えた。いや、兄もほんとうはこちらの加齢を実感していたのかもしれない。それでも口癖のようにおなじ科白を放ったのだとすれば、読み取れるさまざまな感情に哀愁が付与される。生活の苦労を心配されたが、それはお互いさまだと杯を合わせかさねるなかでぽつりと漏らした。

渡り廊下や音のやたら反響する躍場を抜け、階段をのぼるうちに喧騒はとおくなった。ひんやりとした空気はつづいていた。陽のささない廊下の透きとおった青みがかった印象ははじめてではなかった。ひとりでここを通るのも教室に忘れ物をしたのもあの日がはじめてではなかった。もちろんわざと忘れ物などしなかった。そこまで賢しくもなれなかった。忘れ物を気づいた時にはいつでもはっとし、悔やみ、面倒くさがった。くり返した印象の総合なのか、おもいだせる場面はほとんど画一的だった。それもまた一貫してきたかと言われればあやしいが、たしかめる術を持ちあわせるはずもなかった。忘れたのは体操着と算数のテクストだった。テクストのほうはべつに忘れてもたいしたことなかったが、体操着は前日の忘れ物だったゆえにどうしてもこの日持ち帰る必要があった。母親の説教と父親のおだやかな嫌味は前日だけでもう充分だった。上履きが床をぺちんぺちんと打つ音が力なくひびくのに耳を、いや身体全体をあずけていた。前進するというより、その音に沿う感覚で足を前後にうごかした。荷物のすくない背中のランドセルの、肩ベルトや背当てのかるい感触までもがいやにはっきりと意識された。のぼってきたのとは別の階段と面したトイレを通りすぎれば、目的の教室はすぐそこだった。横目にのぞいたトイレは仄暗く、どことない陰気くささを感じた。行くつもりのない踊り場に上履きの音が反響した。その余韻にひたるうちに閉じた木製の二枚扉を前にしていた。足を止めることなく片方をいつもどおりの力で横にスライドさせた。その瞬間に風が吹いて、かぶっていた黄色い通学帽が頭から落ちかけた。ベランダに通じる奥の窓と、その手前の二枚が全開だった。だれかいるかとおもったが、だれもいなかった。麻色のカーテンがおおきくゆれ、うしろの黒板の上に四隅を画鋲で留められた書道用の半紙、クラス人数分の「星雲」の二文字がぱりぱりとかん高い音を立て、なかには今にも外れ落ちてしまいそうなものもあった。教室には陽がさしこんでいた。外からチューバの低音がひびき、それにつづいてスネアドラムの軽快な音が鳴った。だれかがだれかに指示を出しているのが聞こえる。まだ部活の午後練習のはじまる時間ではなかった。何故窓が開いていたのかはわからなかった。閉じ忘れにしてはあまりに大胆で、信じがたい開き方だった。ゆえに閉じるのもよくないとおもわれ、そのままにしておいた。通学帽がいやにうっとうしく、脱ぐと前髪が汗でしめっているのがわかった。汗をかくほど暑かったのか、それとも単純に蒸れていたのか、記憶の中で温度というものはあいまいで、ただ吹いていた風がここちよかったことはおぼえている。教室の真ん中あたりにあった席から算数のテクストと脇のフックにかかった体操着入れを取った。その前に椅子を引いた。ふだんと同じもののはずなのに、ふだんより重く感じた。床とこすれる音がうるさかった。お気に入りのコンパスで掘った机に消しゴムのカスがみっちりとたまっていた。指で表面をなぞればまるで穴など空いてないようだと授業中にひとり満足してにやけることがおおかった。もう決してあたらしくはない金属と木でできた机椅子、ひいては校舎そのもの、そこでの生活には金属と木のにおいが染みついていた。机に鼻をよせると鉛筆の芯のにおい、汗のようなすっぱいにおいがした。椅子に座り、ひざを机の裏面、教科書や道具箱をしまう金属部分にあてるとひんやりした。あの日鼻をよせて嗅ぎ、膝をひんやりする部分にあてたかは定かではない。椅子に座り、机に頬と耳をあてた。ベランダのほうを向き、金属製の柵と青い空と陽のひかりをぼんやりとながめた。おそらくトランペットだとおもわれる音が主旋律らしきメロディを奏でていた。兄かもしれない、とおもったが、それにしてはうますぎるとおもった。二年後の兄は非常に上手だったが、当時はまだはじめて数か月しか経っていなかった。兄は立派なトランペット奏者だった。サッカー部がゴールをうごかす時の掛け声が聞こえてきた。お腹がすいていないわけでも、昼食を食べたくないと意固地になっているわけでもなかった。ただ一度机につけてしまった頬と耳がここちよく、次にうごくだけの力が身体から抜けていた。……

 

 

滅びの日

 

回想していたのか夢うつつだったのかよくわからぬまま目をひらくと部屋が真っ赤に染まっていた。冷えた床に直接しいた座椅子に座り、背もたれをすこしだけ倒し足をのばしていた。口がやたらとかわいていた。物干し場に面する窓から西日が狙いすましたかのごとくするどくさしこんでいた。住宅に囲まれた日当たりのわるい部屋なのに晴れた日の夕暮れ時には真っ赤に染まることが多々あった。赤くなった部屋に身を置くとき、肉体や物々の濃くなり長くなった影をじっと見つめるのが常套だった。その先には玄関があった。明かりがないゆえ暗く、安アパートの木造建築らしく陰気だった。いや、そもそもが異常な陰気で、たとえ明かりがあったにせよそれは視界的にある程度の鮮明さをもたらすだけで、陰気さそのものはかえって白々しく増してしまう。ドアポストに広告や光熱費の請求書が容赦なく投げこまれると、その大げさな音に逐一におどろいた。廊下からひびく足音でこちら近づいているのを察知するだけでどことなく気味がわるかった。築四十年木造のすえたにおいと下見に来た時からぬぐえない線香くささ、冬でもどことなくしめった空気がただようこの玄関からは死や腐敗といった印象を拭い去ることができなかった。極端にうすい壁のせいで、隣人のまた隣人のくしゃみや咳まで聞こえることがあった。ロフトがある分天井は高かったが、真上に住む者の生活音もひどくひびいた。二階建ての一階、角部屋の物干し場には雑草の生い茂った塀の脇を抜ければ簡単にたどりつくことができるし、そもそも塀自体がたよりなく低い。それに各部屋との区切りは気もち程度の衝立があるだけでまったくもって明確ではない。こうした特徴のせいで建物の掃除に来た大家に中を何度ものぞかれたことがあった。ふと窓の外をのぞくと知らない人間が物干し場にいるというのは単純におそろしくおもえた。じっさい華奢な大家とは別の、太った男性らしき人影がこちらをうかがっていたこともあり、その時にはあまりの緊張で身うごきすら取れなかった。陽のささない昼下がり、遮光カーテン越しに目は合っていた。しばらくすると人影は隣の部屋の衝立の方へと消えていった。見た瞬間に泥棒だと直感したが、それをたしかめることもうったえることもしなかった。しばらく緊張したまま窓際をうろついた。この部屋においてはセキュリティやプライバシーという概念がまるで無視されていた。そのせいか、周辺で暮らす野良猫との遭遇率は異常だった。物干し場に出ればかならずと言っていいほど野良猫と出会った。塀の角に乗ってこちらを見つめるものもあれば、積まれたブロックコンクリートのくずれた部分からひょっこり顔をだすものもいた。毎回出会うものは変わった。愛想がよく、もう一度会いたいとおもったものはもう二度とやってこなかったが、不細工で何をするでもなくふてぶてしく去っていくものとは二三度同じ場面を演じた。性格から見た目までさまざまな猫が物干し場には来た。ほとんどの猫が痩せていた。こちらを警戒していないようならば部屋にある牛乳や菓子パンを適当にあたえ、それを摂取するさまを見ていた。餌付けしようなどとはおもっていなかった。痩せているものに食料をあたえるのは何か当然の義務のようにおもえた。一度塀の向いがわの住宅の主婦と目が合い、ひどく気まずい想いをした。忠告はされなかったが、あからさまにこちらの行為を責める侮蔑的なまなざしだった。平日の昼間から何をしているんだとあきれてものも言えなかったのかもしれない。夜になればさかった猫特有のやかましさが近隣にはひびくのをかんがみれば、一見してこちらをとがめたくなる気持ちも理解できた。しかしここに住みはじめた当初から猫はさかっていたし、そもそも餌付けしていたわけでもなかった。玄関扉の向こうで遮断機がかんかんかんと鳴りはじめ、建物全体がかるくきしんだ。一分後、窓はふるえ電車が都心から郊外へと抜けていくのがわかった。夕暮れ時から午後八時すぎくらいまでは頻繁に電車が往来し、そのたびにかんかんかんと遮断機は機械的に無機質に音をたて、安アパートの窓はゆれた。住みはじめた当初はなれない電車にかんするもろもろをわずらわしくおもったが、一か月もすればほとんど気にならなくなり、半年もすれば部屋にこもりがちな生活においてのゆるい外部との接続のように感じられた。しかし気持ちがふさぐ時期には当初のわずらわしさがよみがえり、通過する電車からそれにかかわる人らへ、人らから社会へと嫌悪感がふくらみ、やがてそれが収縮すると自己嫌悪へと帰着し、無性にみじめな気もちになった。

真っ赤に染まった部屋からさしこんだ西日のするどさを見つめるうちに遮断機が鳴りはじめたのに必然性を感じていた。ひかりの向こうの塀の上、ちいさな影がうごくのがわかった。表の道路、ぱゆんぱゆんとはねるおおきめのゴムボールを投げてあそぶ子どもの声が聞こえた。数十秒後に遮断機が鳴りおえると、静寂がひろがった。西日がすこしずつ沈み行くのに並行して、部屋の中には夕闇がしのびつつあった。目をひらいた時には明確に見えた机の上の小物や書類の輪郭が影と一体化し消えていった。そのさまをながめるうちに西日が直接部屋をさす時間はおわっていた。窓の外は赤かったが、部屋の中は相当暗くなっていた。陽が落ちきる前に買い物に行こう、そうおもいながら立ちあがった。今日は魚が食べたいと午前中からかんがえていた。魚は近くのスーパーでも売っているが、新鮮で扱う種類が豊富なのは国道沿いのすこしはなれた場所にある専門店だった。そこまで行くには線路を超えたすぐさきの霊園を抜けるのが一番早かった。線路沿い、ついで霊園という立地、さらに築四十年という条件が相まったがゆえの家賃の安さで、その安さゆえに生活が成り立っていた。部屋着と外着を兼ねたタイパンツのひもを結びなおし、水道水で口をゆすいでから、サンダルを履いて部屋を出た。陽の当たらない暗い廊下は室内と空気の質感が同じだった。それは季節を問わずいつでもそうだった。入り口付近、部屋の数だけある郵便受けにはどれもぎっしりと広告がつまっている。素通りして表に出ると、また遮断機が鳴りはじめた。その前で待つのも退屈だろうとゴミ捨て場の横の自動販売機で烏龍茶を買った。手に取ると冷えていて気持ちよかった。栓を開けて飲めば、身体に染みわたるのがわかった。左後方から電車が近づきつつあった。遮断機が一定のリズムを刻むなか、錠を解いた自転車に乗ってペダルをこいだ。数メートルすすめば遮断機の前で、足をおろす前から目の前を電車が走り抜けていた。風が前髪をゆらすと、すこし肌ざむかった。夏はもう終わりかけているのだとあらためておもった。部屋にも冷房は入れてなかったし、なんとなく着ていた七分袖のうすい麻地のシャツの感触がここちよかった。あの部屋で冷房を入れるのは真夏のどうしようもない暑さの時だけだった。基本的に陰湿で、常にひんやりとした空気があった。ずっと陽のささない木造だとかえって蒸れるはずだと気味悪がった兄は一度だけ部屋をたずねたきりもう二度と敷居をまたがなかった。冬ではなおのこと冷え、帰宅してすぐの部屋の中心は外よりもずっと冷たい空気が流れているようにおもえた。線路を超えるとすぐに霊園を囲む高い木々が見えた。赤い空に貼りつけた手の込んだ切り絵のようだと感じた。烏の鳴き声が聞こえたが、姿は見えなかった。

巨大な霊園には自動車の入れる正門以外にもいくつかの入り口があり、そのうちのひとつから自転車に乗ったまま侵入した。本来ならば一度降りなければならなかったが、二輪車進入禁止の柵のあいだ、車体をまっすぐにしたままするりと抜けた。タイヤの細いスポーツタイプであるがゆえに動作もなかった。木々の影にまぎれて土や木の葉を轢いてすすんだ。犬を散歩させる老人、端に設けられた水汲み場でタオルをぬらす別の老人とすれちがった。そうとおくないどこかで烏が鳴いていた。碁盤の目のごとく規則正しく区切られた通路に出てからは徐行してすすんだ。迷惑にならぬようにとひとつ目の角を曲がり、中央にひろく設けられた十字路を行くことにした。園内中ほど、トイレや簡易警備室ちかくの木々に何かしらのほどこしをくわえる業者らのすがたが目についた。あたりを見わたせば等間隔でならぶ墓のうちのいくつかには花が供えてあり、さらにそのうちのいくつかの前にはひとのすがたがみとめられた。街灯はまだともっておらず、ひとの顔もうまく読み取ることができなかった。地上のものは霊園を囲む背の高い木々の陰影に染まり、見えていたはずの色は個性をうしなっていく。園内はいつにもまして静かだった。業者らの声や専用車の作動する音は聞こえていたが、それ以外耳に入るものといえば風にゆれる木々のざわめきくらいだった。国道を行くはずの自動車、都心と郊外を行き来するはずの電車、走行音がまるで聞こえなかった。耳が詰まっているようだとおもったが、そんなことはなく園内の空気の質感が硬くとどこっているのだとわかった。この空気のせいでやけに静かなのかと、腑に落ちぬ論理と知りつつ腑に落とした。自転車をゆっくりとこぎながらライトをつけるべきかなやんでいた。前を歩く人も何かとぶつかりそうな予感もなかったが、これだけ暗ければ点けるのが常識的な行動なのかとおもわれた。ぼんやりと目の前の道にだけ集中して足をうごかしていると、突然後方から大量の烏の鳴き声が聞こえておもわず振りかえった。黒と赤を入り混ぜたあまりに邪悪な様相の空に三十羽ちかい烏が一斉に木々から飛び立ったようだ。何がきっかけかはまったくわからなかったが、あの烏たちはもう二度とこの霊園を訪れないだろうと直感した。去りゆく数十羽の姿を目で追いながら、まるで滅びの日のようだとおもった。地球最後の日、こんなふうにあっけなくむかえてしまうのかもしれない。烏が視界から消えたところで地面におろしていた足をふたたびペダルに乗せた。ついでにライトも点けた。今日が滅びの日でもべつにかまわないとおもいながら一本道を突き当りまですすんだ。

滅びの日を見たのは二回目だったと魚屋で買い物しながらおもい返していた。一度目は大学生の時分、雪の降る日だった。帰省した際に地元の田園風景を兄とふたりで散歩していた。県外の大学に進学したこちらとは対照的に県庁所在地にある音楽の専門学校に通う兄は当時実家に住んでいた。家を出た時からすでに空の色はうす紫で、風がないせいか、さほど寒くなかったが雪はしんしんと積もることなく降っていた。ふたりで他愛もないことを話し合っていた。兄の音楽観、学校でどういった音楽をつくろうとしているかという話を興味深く聞き、奏でることも作ることもできない素人らしい感想や質問をくり返した。雪の降る音が録りたい、ふいにそう言った兄は人目のつかない公園のしげみにボイスレコーダーを設置した。今おもえば田舎ならではふるまいだった。小学校を超え、さらにその奥の二級河川に沿って歩けば土ばかり目立つ畑がつづく田舎道にいたった。ここにくると多少気温が下がり、風も頬にふれるようになった。このあたりから、たがいの恋愛に関する話をするようになっていた。おたがいうまくいかぬことといくことの狭間にゆれ、誠実に愛を語るものと不誠実に快楽を語るものにわかれた。ここでならばとある種の告白がなされれば、突き放すこともけなすこともせず、ただたんたんと受けとめ合った。この頃は将来に対するあわい期待がたしかにあった。しかしそれよりも不安の濃度がはるかに高く、人生にぼんやりと絶望し、犯しつづけているはずの途方もない間違いを見て見ぬふりする日々を流していた。どちらもみじめさを自覚しながらもつよがり、手袋をした両手をポケットにしまい、さみしい目をしながら逆風を浴びていた。目的はなかったがサイクリングロード沿いの小高い丘のような場所にいたると、そこから往路と復路が切り替わった。滅びの日を見たのはその瞬間だった。暗澹とした、あらゆる紫の類をちりばめ、斑にし、さらに濃い灰色と、一滴の白と黒をそれぞれ足し、筆で全体をかき混ぜたかのような、あまりに邪悪な、しんしんを雪が降りつづけていること自体何かの間違いかのごとく感じさせるような、今にもあの渦の中心から魔王なり悪魔なりが下りてきてもおかしくないと冗談半分本気半分でおもいながら、ふたりして空を見つめ、なんだあの空はどうしたんだと言い合った。確実に冷えつつある身体で興奮していた。空を観察しながら人気ない道を歩いた。本当に交わりたい人とは交われないものだと、肉欲ともプラトニックな意味合いともとれることばをどちらともなく言い合いながら、今日が地球最後の日でもおれはかまわん、とみじかく突き放すように言った。あの時突き放したもの、突き放したふりをしたもの、あるいは突き放したようでその実突き放されていたもの、そうしたことにぼんやりと想いを馳せていた。深くうなずきながらも兄の生きづらさを当時はまだ真摯に想像できていなかった。呼吸とともに白く立ち昇る息を見て竜になったかのようだとふいにはしゃげば、高校生の時分も毎年同じ科白を口にしていたと指摘された。その白さにふいに気づいたのは空の暗さが増す中で、息の白さだけが際立ったのかもしれない。しんしん降るものも土や植物の上にあさく積もったものも一様に鈍い銀色をしていた。ともりはじめた家々の明かりにも反応せず、ひかりを帯びることをみずから禁じているかのようだった。この空から生まれたものが白さをまとえないのは至極当然のこととおもわれた。帰り際に公園の茂みに寄るのを忘れかけたものの忘れなかった。録音されたもの聞けば、ぬれた路面を行く自動車の走行音くらいしか挙げるものはなく、基本的には風にゆれる茂みががさごそとうるさかった。そもそも雪の降る音など録れるはずもないのだと、あとになって母親と三人笑い合った。この日の夕食は母親らしい味をしたビーフシチューだった。

買ったのは勘八と烏賊の刺身、鮪の中落ち、くずれ明太子で、もともとは舌平目でも買ってムニエルにしようかとおもっていたもののいざ品を見ながら回るうちに小麦粉をつけて焼くのが手間に感じてしまい、ならば常備してあるチューブの山葵もあることだしと手を抜くことした。……

 

中途も中途、すべてが中途半端。二つの小編を同時に書いている。四つの小編をまとめてひとつの小説にしようと企てている。あとの二つも並行して書く予定。{2+2=4}=1の小説。記号の使い方があやしい。もう女性の一人称の語りで小説を書くことはないだろうと最近よく思う。前作でもうやりつくした、というのもあるけど、そうやって書くことにまるっきり興味がなくなっている。

千年前に書かれた小説を読みながら時の帝など生まれながらに絶大な権力を持ったものは蚊に一度も刺されることなく一生を終えたのかとふと夢想した。肉体をたえず駆けずりまわる血液が一度も肉体の外にもれずに生を閉じたものがいるとすれば、その死因はあきらかにその血を目にしなかったことだろう。もしもそんな人間がいるとすればの話だが。仮に自負をかかげるものがあらわれたとしてもいやはやあやしい。身勝手のすぎる朝焼けの前例がだれに聴かすでもない警鐘を鳴らしている。

二月にしてはあまりにあたたかな、二か月後をさきどったようなそんな陽気の中、思わず目をうたがったのは低い空にうかぶしろさが入道雲に見えたからで、何度見直しても小ぶりな夏雲としかとらえられないのをいぶかしんだ。耳に挿したイヤフォンから流していたのは桜の散り際をうたった異国語の曲で、どこにも秋がないのに必然を感じたのはその一季とかぞえるにはあまりに短命な時期をこよなく愛するがゆえの特別視か、それとも二重の春がうらがえしの秋とも取れるとする餓鬼じみた論理を持ちだしたがゆえの自嘲か。薄手のコートのポケットに手を突っこめば、おとといもらった土産物のもみじ饅頭が包装ビニールごと人肌ほどにあたたまっていた。

四季を問わず年に一度ほどの頻度で異性の肉体を買った。その都度の心身の調子をととのえてから臨むもののついに一度も果てることがなかった。行為の最中にふとした何かしらにつまずけば持ちなおすことができなかった。相手にも自身にもはげしい嫌悪がつのり胃がきりきりと痛んだ。回数をかさねるほどに緊張し、萎縮し、傲慢になった。かろうじての数十分でさえ純粋な歓びはなく安心と欺瞞だけが腰のあいだにぶらさがった。金を渡す時の馬鹿馬鹿しさは思いかえすだけで眉間に皺が寄る。帰り道にはいつも疲労とみじめさで死にたくなった。帰宅してから何をするでもなく横になって眠ることのできない肉体を持て余した。楽な姿勢で本を読めども憂鬱で集中を欠いた。思い出したかのように異性のにおいのしみついた衣服を脱ぎ捨て、なんのためらいもなくなでられた髪を洗うために浴室にこもる。その際にいつも果てを得なかった性器をはげますようにさわるのだが、ある時肉体が完全な不感症に陥っていることをさとった。大声を出して笑った。十秒後の欺瞞が腹立たしく浴槽にあさくたまった湯を拳でたたいた。天井まではねて張りついてから一滴ずつ床面へとたれるものらがその間隔でしかかぞえられぬ静寂をかぞえた。数時間前の調子のよさはなるほど灯滅せんとして光を増すということだったのかとあとになって気づいた。使い物にならぬとわかればかえって悩むことも焦れることもないとおもうのにどことない哀しさがあふれた。どうせ、どうせ資本主義なら金で愛情を買えればよかった、と濡れた両手で顔をおおいながらつぶやいた。あたたまった五体との温度差で胃が冷たい液を喉元まで押し上げた。最後に肉体を買った日はすこし気の早い春の嵐が吹きすさんでいた。花粉と砂埃は舞いつづけ、ゆられた都内の電車ども、乗車時刻は押しに押し、狭苦しい車内ではだれもかれもが押しに押された。

 

 

頭いてえ。目のチックがヤバい。だのにぜんぜん眠れねぇ。どうすりゃええねん。小説書くのはここまでにする。漢字のひらき具合でまよっている。どうしよう。

そういえば今朝、別の小説の推敲がおわった。明確に完成した感じがある。この感じはなかなか味わえないけど、なぜか達成感はまったくないんだよな、いつも。

 

『ゆらるゆらり』

味のないガムを噛んでいるみたいだと口にした。ほんとうに味のなくなったような気がした。あれからずっと噛みつづけている、味のないガムを。

生活は平々凡々、やろうとおもえば何でもやれると勘ちがいした時期はとうにとおりすぎて、何にもできないとすべてをあきらめる時期すらとおりすぎようとしている。何か、ポジティブな自己肯定につつまれる日々、もしかするとこれが歳をとるということなのかもしれない。

仕事は平々凡々、だれにでもできる仕事を馬鹿にしていた時期はながかったが、けっきょくはその場所に埋没するのが一番いいやり方なのだとおもう時期にさしかかった。仕事に期待することがらをすくなくすれば人生における負担の何割かはのぞけるのだとさとった。仕事をアイデンティティとするのは途方もないまちがいだとさけびたくなることがあった。そんな時は毒杯をあおるようにウィスキーをぐっと飲み干すのが一番いいやり方なのだとさとってからの数年がある。

朝焼けを見たことがなかった。正確には朝焼けを見たことがないと思いこんでいた。それもそのはずで早起きがむかしから苦手だった。高校から大学にかけては遅刻の常習犯だった。そんな為体でも三年四年とできっちり卒業できるのだから楽なものだとおもった。学生でなくなってからは一度も遅刻をしていない。どれだけ酒を飲もうが、疲れていようが、たとえ休日だろうが毎朝七時二十五分、きまった時刻に目がさめるようになった。一年目の桜が散る頃、生活と仕事をぬい合わせる機械になったかのようだとあわく感じたが、その感覚をどことなく引きずるうちに機械の役割を心身ともに引き受けることになった。つまり機械のような人間なのではなく、人間のような機械へと経年変化を遂げた。これらの隠喩のうちに煮え切らぬ化し切らぬジレンマがある。今もまだ無限に散りつづける桜の片が舞っている。

朝焼けをはじめてみた時に、これがはじめてではないのだとさとった。睦月、真冬の冷めた空気の中、すべての色をたたえた空のもっとも低い位置で太陽があまりにもまぶしかった。見なれた街のかたちは消え、首を上にかしげば雲雲が天使のように浮かんでいた。十歳、初夏、学校から三十キロほどはなれた山での自然教室、同級生たちと泊まったテントから抜け出してトイレに行こうと際の記憶がよみがえった。それは山山の向こうから唐突にさした強烈な、あまりに強烈なひかりだった。そのひかりに関するもろもろをなぜ今の今まで忘れていたのか。おそらくあまりにつよさに思わず目をつむったこと、しろさだけが霞のごとくのこったこと、その一連の流れにこたえを見ることができるだろう。テントに戻るまで道のりうんぬんはどうしても思いだせなかった。記憶はよみがえった瞬間からたちまち輪郭をうしない、ひかりの印象を中心にぼんやりとした映像として胸の内にちいさく折りたたまれてのこった。一度ひらいてしまったびっくり箱のようなもので、ひろげるのは他愛もない動作だった。朝焼け、おそらくは何度も夢に見ていたのだと、しばらくしてからさとった。平々凡々な仕事からの、ひとり酒におぼれてからの帰り道でのことだった。空風が吹けば首や指さきはさむかったが、顔は火照ってあつかった。歌をうたいたくなったが、何をうたっていいのかわからずに鼻をおおきくすすった。歩きながら振りむけば住宅の向こうでしろく浮かぶ小舟のような三日月がじっと息をひそめていた。

声もなく 晴天に伸ぶ 枯れ木の手

高校生の頃、大人に見られようと粋がった苦闘の日日があった。多少きらわれようとも同級生とはむやみにまじわらず教師やアルバイト先の大学生と背伸びした会話をしては悦にひたり、休日には歳不相応の恰好ばかりして喫茶店で煙草も吸えぬくせにあさく区切られた喫煙席にあえてすわっては向こう側での同い年らしきにぎわいに侮蔑のまなざしをおくった。はじめのうちはただひとりでカフェラテをたのしむだけの無意味な時間だったが、しばらくすると無沙汰を解消するために流行りの小説を持ちこむようになった。その趣味の悪さを自覚するに至るまでどれだけの駄文をむさぼり、どれだけの副流煙で肺を黒く染めたことか。化け物になりたい、とつよくおもったことは外見のみに固執した他人からの判断にゆだねる稚拙な認証欲求だった。禁煙席でひとりコーヒーを飲みながら窓の外をながめるひとみのうちに棲まう化け物を自覚する時期に至れば、ぶあつく区切られた向こう側に過去の似姿を横目ながらに探すこともそうむつかしくはない。