『壱路(仮)』冒頭

早朝のひかりが白みはじめた時にはまだ山々の輪郭の、うっすらと浮いたのを眺めることしかできずさわやかともぬるいとも形容できる微風をうつろに乾いた眼球や唇、痩せこけた頬、寝間着にした襤褸のTシャツと数年前に百バーツで購入した穴あきのタイパンツからむき出しの手足で受けて歩くさまは露骨に妖怪をおもわせる異様さで、闇の住人が何かの手ちがいで夜を抜け出してきたさまにも見えいずれ陽が昇りきれば音もなくひかりに溶けるのではないかとくだらぬ邪推をゆるすほどだとその証左に夏の休暇を謳歌する地元の若者たち(といっても彼と年齢のさほど変わらぬ)がそのうちの一人の(無論両親の全額負担による)買ったばかりだという外国製のセダンを幾度も席を替え替えしながら乗り回し、地元の古めかしいものの在住する者らには希少な憩いの場として機能するダーツバーの壁にまで染みついたアルコールとほんのり脱法めいた煙の臭いを十二分に堪能したあと、点検を怠ったネオンの不規則な点滅と不快な作動音を浴びながら出発した際にはふかく更けていた夜もほとんど明けたことでいやます高揚さえ山あいのいくぶんか急なカーブを超えたさきにふとあらわれたその予期せぬ登場、慣習的に点灯していた効果のとぼしくなりつつあるヘッドライトに照らされた視界への闖入をゆるした際に、もうすくなくとも十分以上我がもの顏して通り過ぎてきたこの先数kmは何もない一本道を途方もなく疲労困憊したふうな足取りでいく姿をみとめた瞬間に馬鹿騒ぎを中断し、しばしことばを失ったことをあげるのにいささか無理があるすればそれは予期せぬ登場や闖入の際にはだれもが似たような反応を取るもので乗車していた四人はたしかに困惑したものの、なんだよ今の……とひとりがつぶやけば別のひとりが、なんかやばそうだったな……と返し、それぞれが口や耳になれたことばをぶつけることで平穏を取り戻していき中断した騒ぎを次第に回復する。陽光の射さぬ山肌をヘッドライトでつぶさに照らすようにして行けども二本の光線がひかりを宿しはじめた大気にうまく刺さらずひっそりとわだかまるのは水面に浮いた油膜が消えることなくのこるのと似ていたが、そんな事実などどうでもいいのだと言わんばかりに外国製のセダンは改造したエンジンの放つ無粋なうねりを上げて前進したしかにすれちがった何者かをたしかに存在した恐怖の刹那をはるか後方に置いていく。四人の目の前には別の山あいにまとまった数棟のペンションがあり遠目には、というより見る角度によっては森の中に点在するかのようだがおのおの創意工夫をこらしたであろう建物や看板あるいは敷地内の意匠は寄れば寄るほど明晰で、一帯を貫通する竜の背骨のような山々の区分を無効化するような列なりの中でひときわ背の高い峰が、その高さを誇示するかごとくあるいはその高さがゆえに選ばれたのだと言わんばかりに輪郭を濃くし、後光と呼ぶにはまだよわいもののその頂からほんのりと放っている。四人の中でもっとも鼻のふとったするどい目つきの若者は後部座席にどっしりと深く体重をあずけながらペンションのある一画と山吹色をわずかに宿したうすい曇天によって輪郭を濃くしていく峰の刻一刻の変化を交互にさほど意識するでもなく眺めており徹夜は苦手で普段ならば自然と眠気がおそってくるはずなのに眼は一向に冴えたままで疲れだけが肩から腰にかけて重くぶら下がっているせいで不機嫌になりつつあったもののそれを悟られるのも面倒だとおもい下手な欠伸の真似をして目元を人差し指で撫でながら他の三人のすっかり復元した馬鹿騒ぎがえんえんとつづくのに嫌悪は募り、きつく握った拳の中で立てた爪はおのが皮膚を突き破らんばかりに猛っていた。四人の中でもっとも頑丈で岩石を想起させるその拳固は車内唯一の労働者であることの証であり、これからまだ一か月ほどある休暇を舐め尽くすように満喫するであろう学生身分の三人への羨望に交じった微々たる軽蔑の象徴だった。昨夜も呼び出されたのは事務所に併設された(というより元々工場内に事務室を設けていたが事業拡大のため新たに土地を買い取り約十五年前に別棟を建設したものの正門の先の駐車場からそちらの方が近いため本館として認識する者が大半)硝子工場で仕上げの研磨作業を終えた二十一時前で本来ならば恋人の待つアパートへ直行するところだが彼のシフト上今日が休みであることをすでに知っていた三人からつよく誘われれば断るすべもないのがこの地域に在住する若者らに通底する特性なのかもしれないと周りを見てふとおもうこともあり、それぞれ別の大学に進学したはずの三人がことあるごとに彼をふくむ地元の仲間を呼びあつめては飲み明かすという今現在の状況からもいくぶんか結論めいて推察できるのは三人が大学生活を本人らの主張するほど順風満帆におくれていないという事実で、三者三様大学内でできたという恋人や友人の何気ない話をするのだがどこか虚構らしく空疎な印象をあたえるものであからさまな設定の欠陥は折ふし露呈しそうになったがそのたびに他者の善意とも悪意ともつかぬぎこちない一言や動作で話題はたやすく次へとうつったし、その移行は個人の意思というより場に居合わせた全員の総意といった具合で、十数年もの付き合いがあればことばなんかあんまいらねぇわな、と一週間前に語った慎吾は運転席で若干流行おくれのEDMに合わせて身体を前後に、いや過剰に加工された声の属す言語に合わせるならば後前にゆらしながら英単語をそれっぽく口ずさんでおり―慎吾は昔から英語の発音がきれいで、それは母方にイギリスの血が流れているからだとことあるごとに自慢していた。現在は地元から最も近い私立大学で英米文化を学んでいるが勉学にはほとんど集中していないため英語能力は高校時代の方が高かった、その証拠にかつて(かろうじて)聞き取れたはずのネイティヴ同士の会話を今はまったくと言っていいほど理解できなくなっている(とはいえ英単語はちらほらと拾える)ともう何度耳にしたかわからない話を酔うたびに意気揚々と口にする―その振動に合わせておどる左耳のピアスが音楽とは半拍にもとどかないほどわずかずれて絶え間ないのが山頂からいまだ姿を見せぬもののつよまりつつある陽光のしのばす山吹色と陰影をなすのを後部座席からじっと見つめながらいっこうにおとずれない眠気をふしぎにおもった。右斜め前の助手席では外国製のセダンの持ち主(無論名義は父親)である和哉が煙草をふかしながら淡い水色のレンズが印象的なサングラス越しの視線をまっすぐ前へ伸ばしていた。髪色と髪型を頻繁に変えるようになったのは大学に進学してからで見るたびに変化する髪の具合は知己らを毎回おどろかせたが―不動産業を営む父親は豪快に笑って許してくれたが母親はいつも苦い顔をするのだと軽蔑した口調で話すのが常で、昔から母親との折り合いが悪いのは地元で付き合いのある人間はのこらず周知する事実だった―本人はいたって落ち着いており、こんなん中高の反動だから、どうせあと二年せんうちにおれら短髪に黒髪だわ、と右の口角をくいっとあげるニヒルな笑顔を見せながらも切れ長な眦のせいでよりいっそうきわだつするどい眼光はやはりとげとげしい印象を相手に与え、その目つきはなんなのよ、ほんとうに嫌な子ね、と幼いころに母親から何度も言われたことをネタにして話すほど割り切っていると本人は口にするものの二日前に編んだばかりだという赤のエクステンションを織りこんだドレッドヘアーは自己防衛のための武装に見えると左斜め後ろからバックミラーに映る浅黒くてほどよい広さの額と生え際へと目線をうつしながらおもった。空気のよどみと全身の中途半端な硬直が長くつづいたせいで苛立ちというより不快な気分になっておりそれには大食いで有名な正勝が右隣の後部座席で二十四時間営業のマクドナルド(いやに高く大きく掲げられた看板―角がないのに明確に大文字を意識させる駱駝の瘤を想起させる芥子色の曲線ひかるM字―と埋まることを知らない広大な駐車スペースが空の広さやほぼ四方を囲む山々のひそやかな圧迫感を助長している)のドライブスルーで買ったテリヤキマックバーガーとチキンマックナゲット15ピースとマックフライポテトLとプラスチックカップ入りのサイドサラダ(これ食べてるから無問題!)とマックシェイクバニラMを海老のごとく背中を丸めたままのいかにも自閉的な姿勢―故意に伸ばした襟足が細長い首のきめ細かな肌をわずかにのぞかせつつも着古したTシャツのよれたネックを隠し咀嚼に合わせてゆれるさまはどことなく水飲みに没頭する野良猫のたくましい毛並みを想起させる―でゆっくりとかつ気ままなペースで飲み食いしているのが気に入らないことも影響しており、豚みてぇだなと何度も口にしたことばをこれが最後の一回だと言わんばかりの真の侮蔑をこめてつぶやいても案の定とどかず座席の左右のドアにひとつずつ設けられたホルダーに挿しておいた飲みかけのペットボトルに入った生ぬるい烏龍茶を朝方のねばついた口内に流し入れかるくゆすぐようにして最後の一滴まで飲み干し空になった容器を適当なかたちにつぶす。じゃりじゃり、というプラスチックボトルが圧縮するとき特有のきしみが空疎にひびいたが車内は相変わらずの喧噪で外国製のセダンが山肌をなぞるのは麓と平行で、朝のうっすらとしたひかりに滲んだのはやりきれない退屈なのだと悟りながらも視線をそらすようにして深くため息をつきながら窓の外に目をこらす。ペンションのあった一画は目の前から左横に移動しており一時接近したもののそこへと降りる道を曲がらずに直進(と言っても実際は慎吾の運転の粗さもあり相当曲がりくねっているのだが)したためふたたび距離はひらきつつある。次第に後方へとずれていくのを横目でじっと見つめていたがリアピラーに隠れはじめると視界に収めることをあきらめてふたたび視線を車内へともどせばジャンクフードと男四人のかもす獣くささに煙草の煙や香水のあざといにおいが絡みつけばもはや悪臭であるとにわかに我慢できなくなり、だれにことわりもせず左手の人差し指(指腹にこしらえた線状の火傷痕がまだすこしひりひりする。アルコールで血流がよくなるとじんわりと熱を帯び血は出ないものの熟れた苺の色がしぶとくのこる)で手元を見ることなくパワーウィンドウスイッチを操作する。唐突に開いた窓から最も素早く射しこんだのは風ではなく自動車そのものが風を切るごうごうといういくぶんかかん高い音と早朝のまろやかに澄んだ冷気で窓際に寄せた若者の前髪が明確に煽られるまでには時間的なずれ―無論窓そのものがゆっくりとしか開かないことやわずか二寸ほどの隙間ができたところで操作を終えてしまったことも関係している―があり、その頃になっても右隣の席の正勝は背を丸めたまま十二個目のチキンマックナゲットを頬張っていたし運転席の慎吾はまばらな集中力で相変わらず首と声帯をふるわせていた。ただ一人助手席の和哉だけが車内の変化に気づきヘッドレストにあずけていた首に力をこめて左後方へとひねりながら声をかけたもののうす暗い車内に不必要な淡い水色のレンズが印象的なサングラス越しには対象者の姿は曖昧にしか見えなかった。和哉自身明晰にとらえる必要を感じておらず左隣の慎吾の大きく隆起した喉仏をぼやついた視界にうつしながら別の生き物のようだとおもった。

「太志、おまえ気分でも悪いんか」

「あ? いや、空気がこもってるなとおもって」

太志、と下の名前を呼ぶのは知己の中でも限られた者だけだと認識する若者が和哉からの投げ捨てるような口調を好ましく感じながらもぶっきらぼうに応答したのはダーツバーでのはした金とはいえ金のかかった(若者からすれば自ら稼いだという感覚のつよい)試合でのあからさまないかさまに腹を立てた名残が自然と採らせた無防備な強気であることを互いに理解しつつも声のトーンに差異があるのはわずかに開いた窓から射しこむいくぶんかかん高いごうごうという風の音との距離にひらきがあるせいだった。今年購入したばかりのあざやかな藍色のデニム地のハーフパンツの右ポケットに入れたスマートフォンがわずかに振動したのに気づいたのは両方の持ち主である若者だけでその十中八九まちがない相手を予想できているのもまた彼だけだった、というのも秘密主義者であるがゆえに恋人ができたことを周囲にひた隠しており(中にはその事実に気づいている者もいたがそうした話題を若者が露骨に敬遠するため風貌のいかつさや学生時代の気性の荒さもかんがみてふかく追及する者はいなかった)半同棲を開始してすでに一ヵ月弱の時間が経過していた。

 

コピペすると傍点なくなるのね。