12/9 sat

労働。休憩もとれないほどいそがしかった。コース用の煮物だけでも八十五人前くらい提供した。ファック、と思うすきさえなかった。とりあえずおわったことに安堵した。前日四時半まで起きていたが、ふしぎと眠気はなかった。背中と肩にまた痛みがはしるようになっている。休日に銭湯でジェットバスを利用するべきなのかもしれない。仕事終わりで社長にさそわれ、日本酒やビールを計三杯ほど付き合った。社長はたぶん八杯くらい飲んでいた。パントリーでの立ち飲みで、他に三人ほどいたが、途中三者三様着替えやトイレなどのタイミングがかさなり、社長とふたりで話す時間があった。社長はほんとうによくしてくれるし、ありがたいのだが開口一番に、おまえ次の仕事考えてるのか? と聞かれたのにはかるく辟易としてしまった。仕事からはなれて読み書きや勉強と向き合うために離職するのに次の職を決めているわけがないだろうと内心反論しつつも、ながしてそのまま聞き手となった。話の展開につれ、社長がじぶんの退社をほんとうに悲しんでくれているのがわかって切なくなった。ふだん涙など見せないひとなのに、どうしてこうもたやすく瞳を潤ませるのだろう。心配されると悲しくなるし、もうしわけないし、せつないし、いたたまれない。まともな社会人として生きていけない性格なのだとあらためておもった。はなから建設的な、構築的な人生を捨てているのだ。おれはただ生きて、ただ死にたい。ノマドでいたい。クソみたいな人生においてせめてもの自由意志(たとえスピノザのような運命論を支持するとしても)を持っていたい。流されたくない。自立し、そこそこに孤立していたい。最近ながらく顔を出さなかった希死念慮がふとをこころに落ちることがある。おれは基本的に人類の営みや人生というものに価値を認めていない(正確には価値がないというより、これ以上なく胸糞悪いと感じている)ので、いつも人生をやめたい=死にたいという気持ちを持っているのだが、それはじぶんにとってあたり前の感覚で、ゆえに「人生なんてくだらなくて滑稽で悲しくて死んでしまいたくなるほど残酷でもう死んでしまいたいけど、終わらせるのはべつに今日じゃなくていい、今日である必然性はない、ほんとうに辛くなったXデーにはいつでも死ねるような身軽さでいたい」はいつも抑圧されていてふだん意識することもほとんどないのだけど、確実に基底となっている。

 

なんだこれ、どうでもいいな。寝落ちしていた。例のごとく炬燵で。まったく読み書きしないまま一日が終わった。朝だ。ファック。いつも、いつでもいろんなものに中指を立てている。じぶんという存在の暴力性にどうしてみんな耐えられるんだろう、と本気で死にたかった四年前によく考えていたことを思い出した。