三部草稿 続&12/31 sun

 

……

「わたしはそれを耳にしながら朝餉の準備をしていたのです。なんとも幸せなことです。鍋の火を一度止め、味噌をホイッパーと味噌漉しで溶かしました。そのあと、切り終えた分葱をざるに入れていると、ふたたびキビタキの声が聞こえたのです。それもさっきよりずいぶんと近くで。その距離におもわず顔を上げると、窓の向こうの景色が見えました。夜がすっかり明けていると、はっきり認識しました。というのも、山から顔を出したばかりの朝陽がまぶしいくらいに照っていたのです。キッチンの窓はわたしの身長に対して低いため、ふだんならばさほど遠くまで見通せないのですが、この時は石川さん家の駐車場も、森の中でひときわ背のたかい杉の木のてっぺんも、その奥の山道のガードレールまでもはっきりと見えました。昔、車に乗っていた時によく利用した道です。あの窓から見えるガードレールはちょうど曲がり角の部分で、新鮮なひかりを浴びてつやつやしているのがわかりました。たしかに老眼ですから、景色と焦点を合わせるのに時間はかかりましたよ。だからわたしにはあの人影が、最初からあったのか、それとも途中であらわれたのか、そのあたりがさっぱりわからないのです。ひとつ言えるのは、わたしが腰をかがめた状態で、手に分葱を持ったまま窓をのぞいていると、山道にしみのようなものが浮き上がってきたということで、時間がたつにつれそれが人影だとわかったのです。虚言じみた話ですが、ご存知のとおり、わたしに嘘をつく必要などないでしょう? 背の高さからして男性だと推測しました。彼は曲がり角から景色を見ているようにも、そこから飛び降りようとしているようにも見えました。が、肝心の表情はまったく確認できませんでした。わたしはもうキビタキのことなんてすっかり忘れて、彼をじっと見つめていました。いやに細身の人影はうごくことなく、ただおごそかに立ち尽くしていたのです。わたしは何か神聖なものと向き合っているような気になっていくのを感じていました。ちょうど奈良で大きな雄鹿と目を合わせた時のような……神気を宿したものには独特の雰囲気があるのです。ただひとつ言わせてもらうならば、あの鹿を陽だとすれば、彼は陰だということです。それじゃあまるで死神のよう、そうおもうが早いか、とおくから大砲をおもわせる、どーん、という音が聞こえたのです。いえ、正確には大砲とはほどとおい音でした。大砲の音はもっと低く、すんでいるものです。あれは非常ににごっていました。どちらかといえば爆発音に近いような……わたしの五感のうち、耳がもっともまともだということは何度も説明してきたはずです。おそらく自動車同士の衝突か自損事故だろうと五秒もしないうちに予想してました。事実、それは当たったのです。このあたりのトンネルのほとんどは抜けた先がすぐカーブにさしかかるため、事故がわりとおおいのです。しかもこの時間はちょうど朝陽が逆光で、目がくらみやすいと有名なのです。ゆえに早朝ということもかんがみて、田舎好きな観光客が起こした事故だろうとふんでいたのですが、それはまちがっていました。市街地から来たヤンキーによる自損事故だったのです。死亡者が出たかどうかは聞きませんでした。そんなことにさほど興味はないのです。どうせ酒でも飲んでいたのだろうと温子は言っていました。同感です。温子はやはりこの町一番の情報通なのです。温子から電話があったのは音がして、二十分くらいしてからでした。彼女の声のうしろから、しつけの行きとどいてない犬たちのきゃんきゃんはしゃぐ鳴き声が聞こえて、とても不快でした。それは相変わらずの話です。わたしはそれをおくびにも出さず、みじかい相づちだけでだいたいの会話を済ませました。わたしたちはもう何年もこんな具合なのです。向こうからすればわたしの様子を気かけ、もっと言えば面倒を見ているような気ですらいるでしょうが、実態はまったくの反対なのです。毎朝わたしは彼女からの電話を待っているのです。それはもちろん彼女と会話を楽しみにしているわけではなく、彼女が無事に生きていることの確認、いわば生存確認ですね。向こうがそうしているようで、じつはわたしがそれを実行しているわけです。この意味を慎重に検討していただきたいところです。神と祈りの関係についても同じことが言えるのではないでしょうか、つまり無数の祈りが神をかたどる、と口にすれば恐れおおいですが、そういった側面があるのは事実だといおもいます……」

気まずそうに口をつぐんだ彼女は紅茶をそれまでよりおおく口にふくみ、時間をかけて飲みほした。一度立ちあがり、カップをキッチンのシンクまで持って行った。その際の顔つきは疲労が滲み出ているせいで、年齢より老けて見えた。先ほどまでたたえていた気品や凛々しさはどこにもなかった。カップを持つ手のふるえにより、ほとんど使用しなかったティースプーンがかちゃかちゃと小刻みにゆれた。リビングは朝のひかりに満ちていたが、暖簾で区切られたキッチンは横長の窓から明るさをうまく取りこめないため、すこしだけひんやりとしていた。換気扇の作動音が静けさを強調した。カップをシンクに置くと、ふだんより大きな音がした、と感じ眉をしかめたが、それもふくめありきたりな日常だった。外から蝉の鳴き声がよわく入りこんでいた。

彼女はふたたび席に着くと、大きくため息をついた。気だるそうな両目は眠そうにも見えるが、彼女自身その肉体に秘めた恒常的な眠気にはまるで無頓着だった。自身では睡眠を充分に取っているつもりなのが問題だった。心身の疲弊から生じる誤りは老いによる衰えとして傍目にうつった。誤りのほとんどは痛々しく、時に彼女という存在から目をそらさせる要因となっていたが本人はそれを悟らなかった。ただ、元気な時は目を宝石のようにかがやかせた。聡明というより無垢な表情で、赤子よりも体力のない目だった。老人特有の透明性と相まって、そのまま死へと移行するのではないかと、ただの物質と化してしまうのではないかと、危うさが常に付きまとった。その危うさは靭性の低い鉱物が持つ脆さに似ていた。ふかいため呼吸から地つづきにことばを放ちはじめた。うなり声を引き延ばしたように、ぼそぼそと話していたが、しだいに声量は回復した。

「そうです……視線をうつした時には、もうおそかったのです。そこに人影はなかったのです。わたしはじぶんの目をうたがいましたが何度目を凝らしても人影はおろか、動物の姿さえ見えませんでした。太陽がよりつよく照りだして、あのガードレールはもうほとんどひかっているみたいでした。わたしは身ぶるいしたのです。さっきの大きな音で事故をはやくも連想していたわたしはあの人影を死神だとおもったのです。鶸のような色をした服を着ていたはずですが、今となってはもうおぼえていません。それにしても何故身ぶるいなんてしてしまったのでしょう? 今さら死を恐れているわけでもないのに、むしろ待ち望んでいた時期があれほど長かったのに……おそらく不吉なもの、死を連想させる何かしらと、死そのものとは無関係なのです。たぶん、そうです。そうじゃないと説明できないもの……ああ、そうです、気を取り直したわたしは深呼吸をはさんでから朝餉を摂り、それから温子から電話がかかってきたのです。朝餉はやはり……どうしても味をひときわうすく感じてしまいます。もちろん身体のことを気づかって塩分をすくなくしています。味噌汁はまだ風味もあっておいしくいただけたのですが、煮っころがしはだめでした。昨夜の残りですから、常識的に考えれば昨夜より味はつまっているはずなのですが、まったく味を感じなかったのです。わたしはさきほど脳裏に浮かべた死神のイメージにとらわれていましたから、じぶんの衰えを、死を、より不吉なものと密着させて考えてしまったのです。約束の場所について、あれほど丁寧に教授していただいたにもかかわらず申し訳ないです……じぶんを恥じ、卑下するのは意味がないとおっしゃるかもしれません。また、充分に善行を積んできたと慰めてくださるかもしれません。けれど、わたしは自信がないのです。わたしはあの人を最後まで愛することができませんでした。それは果たして形式的な行いで埋められるものでしょうか? あの人はわたしを許してくれるのでしょうか?」

彼女の目は涙にうるみ、食卓上の竹製のケースに入ったティッシュボックスから二枚重ねのティッシュを二度引き抜くとそれを丁寧にたたみ、目元をかるく押さえた。涙のことごとくはティッシュへとしずみ、鼠色のしみとなった。彼女のいびつな皺をなぞる透明な筋はどこにもあらわれなかった。涙はすでに乾いていた。歳を重ねたからといってもとからゆるかった涙腺がさらにゆるくなることはなく、感情のうつろいやすさに比例して滲んだものが乾きやすくなっただけだった。用済みのティッシュを握りしめたままはげしく咳ばらいをした。最後に唾をのみ込んで喉にからんだ痰のほとんどを取りのぞいた。朝餉時のグラスに入った飲みかけの水の最後の一口をくいっと飲みほした。細く筋張った首の青白い血管が陽のひかりにさらされ、別の生き物のようにうごいた。

「それにしてもわたしは何故じぶんにしか通用しない文言を嫌うのでしょうか?  たしかに説明の際にことばが不足することはありますが、わたしが恣意的に何かをはぶいて口にすることはほとんどないはずです。わたしは昔から客観的なものが好きでした。都会より田舎を好み、団欒や喧騒より静寂や厳粛を好んできました。今まで何度もくり返し伝えてきましたが、わたしはどんな場所でもじぶんのいる位置からはじまる透視図を脳裏に描いてしまうのです。人や物の位置を鳥瞰して、何かとてつもなく大きな営みに触れているような気になるのです。それは受けてきた教育と何かしら関係があるのでしょうか?  ひとつ言えることはわたしとあの人は同郷人で、いわば幼馴染だったということです。ふたりの気質の隔たりはそのままあの時代の男女の差だった、と近頃はよくおもいます。今にして思えばふたりが一番幸せだったのは小学生の頃でした。わたしの方がいくぶんか背が高く、意地っ張りで、傲慢だった頃です。わたしたちは対等に話し、ふざけ、ささやき合っていました。そこに恋愛の緊張はなく、たがいに異性の先生にあこがれを抱いていたはずです。裸を見ることも見せることもためらいませんでした。そこにはあの人の成長? 性徴? がおそかったことも影響しているはずです。ところが、中学に進学すると状況は一変したのです。まずクラスが別になってしまいました。小学校ではずっと一組しかなかったのが、中学校はいきなり四組編成となったのです。小学生までわたしたちはいわば四つに分裂してしまったのです。その分裂を喜ぶものもいれば、すぐに慣れるものもいましたが、たぶん、わたしだけが最後まで馴染めなかったとおもいます。もちろん学校生活は難なくこなしましたよ。成績だって優秀でしたし、クラスメイトとも仲良くできました。けれど心のどこかはいつも満たされなかったのです。あの人は中学に進学すると嘘みたいに背を伸ばし、声を野太くしました。率直に言って、気味が悪かったです。野球部に入って、亀の子たわしのような浅黒い肌を誇らしげしているのも嫌でした。もちろんわたしも次第に子どもの身体から大人のそれへと変化していましたよ。けれど、それは小学校の頃から予兆があったのです。あの人の場合はほんとうにいきなりと言うか、雨上がりの筍のようで……それにあの人は露骨にわたしを避けるようになりました。わたしはずっと交流の機会をうかがっていましたが、いい加減意地を張るのにも疲れて、挨拶さえしなくなったのです。わたしたちはあの頃からすでに互いの名前を呼ばなくなっていました。夫婦というものがそれで成立するのだから不思議なものです。じっさい、自由恋愛なんてものは虚構なのです。すくなくともわたしにとっては。あやふやな感情が、既存のやり方、つまり婚姻という制度に引き渡されることでかろうじて態を成しているだけの話です。自由恋愛の歴史はあさいのだと、それだけは若者たちに伝えたかったのですが、結果変わり者だと疎まれるだけでしたね。きっと学生時代のわたしも聞く耳を持たなかったとおもいます。つまり若さとは向こう見ずでいられることです。恐れを知りながら恐れないことではないのです。中学二年生の春、藪から棒に告白してくれた遠藤くんと付き合って、デートを重ねました。何も、何ひとつ楽しくなかったです。遠藤くんは髭が濃くて、どことなく父を想起させました。彼との口づけを頑なに拒んだのはそのせいでした。口づけは処女の命、母にそう言われたことをおもい出し、躊躇したわけではありません。母は奔放な姉をずっと憎んでいました……そんな話も以前にはしましたよね? 結果、わたしは母の願いどおりに生きてきました。それはわたしの選択がたまたま彼女の願望とかさなっただけで、作為の介在する余地などありませんでした。けれどどうでしょう、わたしと姉の人生はどちらが豊かでしたか? わたしはもうとっくに思い出の世界に生きているのです。わたしに白紙の未来など必要ないのです。わたしに残されたすべての未来は過去を反芻するための時間なのです。おわかりでしょう? わたしにとって最大の幸福はあの人との間に子を成さなかったことです。わたしがあの人の肉体を愛する時期と、あの人がわたしの精神を愛する時期があまりにも離れていたのです……下手すればそれは四半世紀もの……ああ、もうこんな時間ですか。今日はゴーヤとミニトマトの収穫日です。ゴーヤは去年より大ぶりで、ミニトマトも張りがあって美味しそうです。キュウリはきれいなヒトデ型の花を咲かせました。梅雨頃のうどん粉病が嘘のようです。植物たちは今日も元気に陽のひかりを浴び、彼らのみじかい一生をまっとうするための一日を必死に生きるのです。ああ、また涙がこぼれそうです。もうわたしはじぶんが何に涙し声をふるわせるのかも……何も、何ひとつわからないのです。わたしは今、じぶんのつくった植物たちに愛着、いや愛情を感じています。わたしたちの間に子がないことは幸運でした。子というおぞましさ、親というおぞましさ、子をうしなう可能性の絶望、子に見捨てられる絶望……もうたくさんなのです。わたしは子でも親でもないのです。わたしは、ただちいさく祈りをささげるものでありたいのです。絶対者である神は子を一度も生まなかったのです。神が子を成す必要などあるでしょうか? いいえ、やはり教会はただしいのです。今年は茄子がとてもいい具合に実っています。秋には供物として本部にお届けできるとおもいます。今日も神と教会に平和の祈りをささげます。八月六日、朝。戦争が終わったあの日まであと九日」

最後のことばを言い終え、ボイスレコーダーのボタンをふたたび押し、側部にある電源スイッチをオフにしたところで大きく息を吐きだした。この吐息には充足感と教一日に対する熱意がこもっていたが、そこには死への不安がかすかにまぎれていた。欠伸をしながら皺だらけの右手で口元をかくした。目を閉じればうるんだ瞳から一滴の涙がこぼれた。まぶたをやさしく開いた両目は透明な生気に満ちていた。

農作業のための着替えや支度をととのえるのにさほど時間はかからなかった。道具の大半は畑の近くの納屋に置いてあった。春先に買った麦わら帽子はまだ色褪せておらず、玄関の帽子掛けからぶら下がっているのを確認しても、かたちをぴんと保っているのがすがすがしかった。ほうじ茶と氷の入った水筒を肩から下げると肩甲骨まわりの筋肉がきしんだ。傷だらけのバケツと土の付着した軍手をたずさえ、ドアを抜けるとまだ午前八時前にもかかわらず白昼めいたつよいひかりがアスファルトにさんさんとふりそそいでいた。電柱や木々の陰影が焼き付けたかのように濃かった。近くから蝉や鳥の鳴き声が聞こえたが、意識はどこか茫然としており個々の判別がつかなかった。気温は多少上がりはじめていたものの標高が高いため本格的な暑熱とはほどとおかった。これから趣味とも仕事ともつかない「ただの作業」へと向かうというのに足どりはおもく、覇気がなかった。彼女はさきほど口にした自身のことばを反芻しながらその行為へとおぼれていた。つまり拡張した「思い出の世界」にひたっていたのだ。ボイスレコーダーのボタンを押した時以外は必要最低限のことばしか、いや、必要最低限のことばさえ発さないのが彼女の日常だった。このボタンはボイスレコーダーを起動させるためだけのものではないのです……これもすでに語ったことばだった。十二歳で四つに引き裂かれて以来、彼女はずっと何かに人生をささげたがっていた。それはきわめて原初的な欲求だった。

歩をすすめながら四十五年前のせまいアパートでの同棲生活をおもい出していた。壁のうすい木造建築だったものの角部屋で隣人がなかったため、夜半過ぎや休日の昼間は閑静だった。若くして夫婦となったふたりに会話らしい会話はなかった。愛情をすでに終えたものと愛情の芽を無自覚にはぐくむものが共に生活することは無理があった。ふたりそれぞれ自身の結婚をうらんでいた。たがいの家の事情などじぶんたちに関係ないではないかと両家の関係に対する憤懣だけが皮肉な共通点だった。夫が仕事を終えて帰宅するとそこにはいつも気まずいがあった。夫は自宅の玄関を抜ける前にかならず大きなため息をついた。夕餉の準備やその他の家事、行うべき仕事を終えた妻は家の中で何をするでもなくじっとしている、テレビもつけず、本を読むでもなくただじっとしている、座布団の上で正座し、窓の外を、と言うより虚空を見つめている―ドアを開ければ想像した妻の姿が、想像したとおりにあった。飼っていた猫だけがのんきにあくびをしたり、平気な顔で物音を立てたりした。おかえりなさい、とかわいた声がひびけば、ただいま、とかわいた返事があった。二十代にして顔から疲れの相が消えなくなった夫はよく猫にだけ笑いかけた。それを横目で確認する妻は、その笑顔がほんとうはじぶんにも向けられていることを知りながら鈍感なふりをして夕餉をあたためることにした。ふたりは猫の世話を通じてのみ断片的な会話をするようになっていた。家々の塀をつたってベランダにやってきた野良猫を妻が無断で飼育しはじめた時にも夫はすんなりそれを受け入れたのだ。休日、パチンコや競馬を理由に家を空ける夫を妻はうらまなかった。顔を見ない方がたがいのためなのだと考えていた。意図的に距離を置いていると猫をとおして、たがいのことをおもいやれるようになった。そうなるためにかかった幾年もの時間の中で猫はどこからからか子種を授かっていた。夫は家猫にしているのだとばかりおもっていたが、妊娠を告げる妻のつめたい態度にふれて、実態をそれとなく悟った。

 

 

ラストの絵がまだ浮かびきってない。後半になるつれ迷いが生じている。

 

実家に帰った。新幹線が混みあっているせいで乗りたかったひかりに乗れず、こだまで三河安城駅までむかった。結果一時間ほど予定よりおそく地元に到着した。その時点で非常に機嫌が悪かった。さまざまな理由(主に前日までの労働や人間関係、さらに言えば今の社会に起因した)が複合して、じぶんでも情けなくなるくらい苛立っていた。そんな中わざわざ迎えに来てくれた母親と再会してしまったため、変な感じになってしまった。最悪だ、とおもいながらも一度もらしはじめた不満が堰を切ったようにとめどなくあふれてしまった。もうだれか殺してくれ、そう思って悲しくなった。それでもいざ実家に到着し、リビングの明かりの中で部屋着姿のリラックスした普段通りの父がEd Sheeran - Shape of YouのMVをAmazonのFireStickを使用してTVで流しているのを見ると、すっかり脱力してしまった。ああ、実家に帰ってきたんだなと思考する前に心身が感じていた。土産をわたし、用意してくれていた部屋着に着替えた。ちょっとおどった。実家はなんだかんだと今の仮宿よりひろいのだ。調子よくポジティヴになっていくじぶんが滑稽だった。炬燵を陣取り持ってきたPCを起動して小説の読み直しをはじめた。年末は忙しすぎて余裕がなかったためまったく小説を書くことができなかった。それをストレスにしないように意識していたが、そううまくはいかなかったなぁと三部を読み返しながらつくづくおもった。手直ししながらじぶんの中のモードが作文のそれへと切り替わっていくのを感じた。母親にうながされ三人で夕餉をとった。ビールと日本酒をすこしいただいた。一鶴の雛鳥と鳥飯と黒豆なんかを食した。うまかった。最後に何故かR1を飲まされた。食後、胃が痛むのを感じた(今もまだむかむかする)がそれを口にすることなくリビングで両親が紅白歌合戦を見るのに付き合った。持ち帰ったちぢれほうれん草のおひたしを褒めてくれたのがうれしかった。父も母もやはり自分の去就にはふれなかった。父が風呂にはいったのをきかっけに炬燵で文章をいじりはじめたが、紅白出場歌手らのあまりに下手な歌声や茶番じみた司会のせいでうまく集中できないため自室(と記しながら違和感があるのは実家を出たのはもう十年前だからか)へと移動し、作文のつづきをはじめた。途中YouTubeをひらいてしまったせいで年末のフリースタイルダンジョン特番を流し観してしまった。個人的には呂布カルマチームを応援していたが、準優勝だった。やっぱりR‐指定は抜群にうまい。正直音楽性はぜんぜん好みではないのだけど、じつはクリーピーナッツのラジオ音源は欠かさずチェックしている。彼らのラジオは楽に聞けるし、ふつうに笑ってしまう。友だち同士であほやっている感じもすごくいい。今日は聴いていたラジオ音源でDJ松永がエゴサーチの効用についてあつく語るのにペットボトルの茶をふきそうになった。あれは新横前駅で乗れなかったひかりを待っていた時のことか。同世代の人間とふれあう機会がほとんどないせいか、同世代というだけで無条件に応援したくなる変な気質が構築されつつある。その後もだらだらと、いつものペースで作文をつづけ、区切りのついたところで風呂にはいった。服を脱いだところで体重を計ると六十九キロとあって、マジかとびびった。半月前に銭湯で計った時は六十五キロだったのに。たしかに太ったよ、太ったけども。。。入浴後、気休め程度の筋トレをしながら紅白を観た。気休め程度の筋トレを終えてから自室にもどりふたたび作文とネットサーフィンをくり返し、今に至る。気づけばとっくに年を越している。両親も寝室へと移動したようだ。今日で三部をかたちだけでも最後まで書き上げたかったが、ラストのくだりを書くだけの余力がないと判断し、ブログを書くことにした。

今年、というかもう去年か、2017年はじぶんという人間が決定的にマイノリティなのだと自覚するにいたった年だった。じぶんのことを知る人間からするとおせぇよという話かもしれないが、じぶんはずっと普通の人間だとおもっていたので、その事実をおのれに突きつけなければならない時はそれなりにきつかった。どうしてどこかに「普通」のしあわせがあるって期待してんの? 結婚なんてできるとおもってたの? 馬鹿なの? じぶんを笑いながらも、ちくちく胸が痛んだ。むかしTがおれはずっと普通にあこがれていると言った時に、あくまで他人事として感傷的に聞いていたけど、おもいっきりじぶんにもあてはまってしまうのだと気づいた今年だった。狐につままれた気もちだった。才能あるマイノリティにあこがれているだけだと自己認識していたのに、蓋をあければ才能ないマイノリティだった。残念! 

そういえば今日のBGMはずっとTの新曲だった。あいつは相変わらず才能の塊でした。創作方面でじぶんの身近にいる人たちはおしなべて才能のある人たちばかりなのだけど、あいつはその中でもトップクラスにすごい。わが双子ちゃんながら、ほんとうに才能があるとおもうのでぜひ音楽をつづけてほしい。以下送ったline。音楽に関してはマジで素人なので的外れの可能性大。

聴いたよー。まず、こういう音楽だとおもってなかったからびっくりした笑 でも聴いたらやっぱりTのだなぁとおもった。むかしのTらしいメロディの感じは全然ないんだけど、どこかTらしいというか、懐かしいというか、なんかにやけちゃう感じね。
率直に、めっちゃいいとおもった。テーマ?メインメロディ?の感じは最近の高木正勝っぽくて、日本人らしいメロ感なのに急に現代音楽とかジャズっぽい要素が無理なく入るのが面白かったわ。展開の手数があって、聴き処もたくさんあるのは前と同じなんだけど、確実に違うなとおもったのはくり返しを嫌がらなくなったんじゃないかという点で、前は曲の長さからしても展開は早めにあるけどリフレインせずに切り上げるスタイルだったのに対して今回の曲はいい意味で一曲を最大公約数的に、できるだけ大きく構築しようとしているように感じたな。でもそこにやっぱり無理はなくて、奇をてらっている感じもなかった。なんというか、全体的にバランスがとてもいいとおもった。来るべきところ来るものがあるというか。
おれとしては以前のスタイルは風景を切り取る音楽で、今回のは風景を収める音楽だとおもった。つまり以前とちがって、音楽の中に時間が流れているような印象がある。だからはじまりから終わりまで必然性があるし、曲として自足している、そんな印象(以前のが完成度が低いとかそういう話ではもちろんなくて)
非常にテクニカルな音楽だと素人耳には聴こえたよ。おれにはよくわからんけど、和音とかコードとかも複雑なことをやってるんだろうなとおもった。そういえば、ピアノひとつで作り込んだ曲って、意外と聴いたことなかったかもね。装飾がないぶん、曲や構造に対して真摯に向き合ってるのがよくわかったよ。改めておくってくれてありがとね。まだPCから聴けてないから実家でじっくり聴かせてもらうわ。

 

今年2018年はとりあえず今の小説を完成させたい。そろそろ眠い。