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 8時起床。筋トレ。この日から本格的な無職生活となる。つまりすべての管理はおのれ次第ということである。金も、時間も、増やすも、減らすも、すべてはじぶんの選択ひとつにかかっているということだ。これはこれで、けっこうおそろしい。しかし目下のところは小説と読書に集中すべし。東浩紀存在論的、郵便的』をひとまず終え、Fさんとの読書会の課題書である後藤明生コレクション4を読みはじめた。初後藤明生である。まだ半分も読めていないが、現実と虚構あるいは虚構と虚構の境い目に擬似文書/擬似会話を力点としてもってくることで生じる狂いに惹かれた作家なのではないか。というより力点のみが生み出す力で小説を志向しようとしているような気がする。またそれとは別種のアプローチ、すなわち引用を力点とすることで小説を成立させる試みもしている。前者はそれなりに成功しているとおもうが、後者に関してはよくわからない。しかし今傾向をふたつにわけたが、それは間違いかもしれない。つまり後藤明生の作品において地の文章というのは擬似○○や引用のために書かれている、そんな感触がある。それはDJがscrap and buildで音楽をつくる手つきに似ているのかもしれない。

読書の大半は元町にあたらしくできたタリーズコーヒーでおこなった。混みあっていたこともあり、居心地はあまりよくなかった。元町なだけあって、外国人による利用がおおかった。英語はぜんぜん聞き取れなかった。以前より一層リスニングの能力が低下しているのがわかった。180Pほどで読書に区切りをつけ、書いている小説の五部の構成を考えた。こうした時に紙とペンを使うようになったのはいつからだろう? じぶんの場合、メモするためというより、イメージを紙面に描きだすなかでまとまりのない断片を脳内から引っ張り出し、それらをあくまでも脳内で構成する作業という気がする。ゆえにメモに書かれたことの大半は意味不明である。五部のアイディアがまとまるとついでに六部の明確なイメージも湧いてきたのでメモしておいた。タリーズを出るころには雨がひどくなっていた。ドラッグストアで買い物をして帰宅。部屋着に着替えて部屋の掃除。ランニングは明日からにしようと言い訳をして飯を食い、五部を書きはじめた。BGMを探す過程の中でjazz guitarが今のじぶんにちょうどよいのだと気づいた。四部の手直しも含め、三千字ちょっと書いたところで終了。布団に入り、後藤明生のつづきを読みはじめたが、早々に寝てしまった。おそらく23時すぎだった。