1/18 thu

七時前に目覚めた。そこから約三十分間筋トレをしてジョギングをした。横浜では初となるジョギングである。家から根岸森林公園まで向かい、その後園内をまわり、少々ブレイクをはさみ、また走って帰宅した。めちゃくちゃきつかった。まず家を出てから最初の道が坂道なのだ。しかもしだいに斜度が増していくため、それをのぼりきるだけで一苦労だった。そこから山本町を経由して森林公園へと向かうのだが、この一本道も起伏がかなりはげしい。このあたりは丘や谷だったのだとあたらめて実感した。最後、角を折れるとまた坂道で、それはさほど長くないものの、かなりきつい勾配である。そこから二手の別れた園内の、せまい方の広場を二周し、ひろい方の歩行者用道路を三分の二周ほどして足を止めた。この時点で二十分以上走っていたはずである。残り三分の一は歩き、そこからふたたび走って帰宅した。こうした作業はなんでもそうだが、復路の方が圧倒的に楽だった。走りはじめて五分を過ぎたころからが一番つらかったと記憶している。耳がいやに痛み、喉奥にも冷気がしみた。ひたいに張りつく汗がうっとうしく感じられ、眼鏡を職場用のものにすればよかったと後悔した。十二三分をすぎたあたり(ひろい園内へと移動したころ合い)からきつさはなく、むしろ足は軽快になるようだったが、勾配に足をとられ、また一周しきるのは無理だとおもえたため徒歩に切り替えた。今さらだが、朝の森林公園は非常にすがすがしい空気で満ちていて、ほんとうに気持ちのいい場所だった。丘の上からは朝日がのぞめ、奥にある製油?工場からもくもくと煙が立ち上るのが雄大に見えた(というと不謹慎だろうか)。せまい方の広場からは天候による障害物がなければ富士山が見えると知っていたが、あいにく霧らしきものが立ちこめていた。不吉と悪意の象徴でもあるカラスが何羽も、あるいは何十羽も木々にとまり、広場を闊歩していたが、その姿や鳴き声さえどこかすがすがしいものに感じられた。園内ではじぶんのような何ちゃってジョガーをとはちがう、本格的な佇まいをした幾人もの男女や、散歩する犬とつがいの老人や単純に散歩を楽しむ中年男性らとすれちがった。公園からふたたび走りはじめた時に聴覚と、鼓動や走行における振動が妙なシンクロを起こし、耳の中がぶんぶんとうるさかった。しだいに治ったが、うっとうしかった。初日のジョギングは全体的にきつかったが、ここちよい運動だったとシャワーを浴びながら感じた。ルーティン化したいが、そうするためには気合が必要だろう。

身体をかわかし、身なりを整えてから作文。あまりはかどらず、時間だけがどんどん流れる感覚があった。途中からあせりはじめたが、あせってどうにかなるものでもない。昼食に炒飯とカップスープをつくり、食した。しばらく作業をつづけたところで中断し、外へ出かけることとした。若葉町あたりの映画館でアキ・カウリスマキ希望のかなた』を観るつもりだったが、もう上映が終わっていた。なんてことだ。とりあえずマント風のコートを着て、短くなった柳包丁をリュックサックに入れ、家を後にした。外はおもったよりあたたかく、快適だった。伊勢崎町にある包丁屋へと向かう途中にセブンイレブンに寄り、自社ブランドの安価な烏龍茶を買ったのだが、一口目が妙にあまく感じられた。嘘だろ、とおもい、もう一口飲むと、まだ甘さはあったが、ずいぶんとやわらいでいた。その後、口をつけるたびに甘さはなくなり、五口目くらいからは完全に消えていた。それにもしてもおいしくない烏龍茶である。風味がぜんぜんない。包丁屋の前にきて、木曜日が定休日だと知り、愕然とする。映画館につづき、包丁屋にまでふられてしまった。このまま帰るのもくやしかったので、眼鏡市場で眼鏡の調整をしてもらい、近くのベローチェで読書した。読書は最初集中するのに時間がかかったが、エンジンがかかればこっちのもんだった。百頁ほど読んだ。蜂アカデミーへの報告の後半―ジャムの空壜は特によいと感じた。ジャムの空壜から蜂の死骸が消えている展開を想像したじぶんはやはり物語に呪われていると感じた。最近、じぶんのことを物語の人間だとおもうことが増えた。正確には、物語の変奏=変相=変装に興味があるのだろう、という気がしている。ジャムの空壜を読んでいるあたりから腹が減ってしかたなかったので関内駅付近の日高屋でタンメンと餃子二枚を食し、生ビールを一杯飲みほした。無駄づかいをしている自覚はあったが、時間を金で買ったことにして言い訳とした。ちなみに関内駅付近というのは元職場のある場所でもある。感傷的になることなく、近くを通りすぎた。店先や店内の、ちいさくもちからづよい明かりがいい雰囲気を醸しだしていた。蝋燭のようだとおもった。傍目には繁盛してそうなのでよかった。帰宅前に石川町駅近くの青葉で買い物をした。油揚げ、厚揚げ、焼き豆腐、もやし、長葱、酒粕、調味料などを購入した。肉の代わりに豆腐や揚げを使うようになってからますますそれらへの愛が深まっている。まな板の消毒も気にしなくてよいし、安いし、うまいし、健康的だし、と言うことがない。安い肉をうまく食べる努力をするより、こうしたものを使ったほうがじぶんとしては効率が良いようにおもえる。昔ほど肉を好んで食さなくなった、というと中年くさいが、一応まだ二十代である。帰宅してからすこしだらだらした。石川町に道場六三郎の弟子が営む和食屋があると知り、今のうちにぜひ、と行きたくなったが、ひとりではなく守井さんと一緒に訪れたいと考えてしまった。あほか。次にふたりで会う機会があったら、告白してしまいそうなのがこわい。作文にはいると、昼間とは打って変わって、おどろくほどことばがつるつると出てくるのでとまどった。これでいいのか、と疑問を抱きながら文字を打ち込んだ。そうこうするうちに日付を超えていたので、明日にそなえて眠らねばとおもい、寝床にはいって読書をした。三頁ほど読んでさようなら。就寝は一時前だったか。