1/19 fri

六時半過ぎに起床。三十分の筋トレ。この時点で肋骨の内側と内腿が筋肉痛を起こしていることを知った。その後ジョギング。二日目。前日と同じコースを走った。前日よりもやく三十分早いスタートだったため、その分だけうす暗かった。人はおなじようにまばらで、バスはおなじようにすくない乗車客を乗せて走っていた。ジョギングに関しては前日よりもはるかに楽に感じられた。もちろんきついことにきつく、汗もかくのだが、へんに耳や喉が痛くなることはなかった。前日よりもすこしだけ長い距離を走ってからブレイク。森林公園についてからはとにかく朝日がまぶしかった。広場から見えるはずの富士山はまったくもって見えなかった。帰宅するまでのタイムも若干ちぢんでいた。上下のウィンドブレーカーを脱いでシャワーを浴びていると、立ちくらみがした。その後も午前中は妙に視界のぐらつく感覚があった。たとえば用を足している時に壁を見つめていると、それが油でにじんだかのようにゆらゆらゆれた。こういう時はたいてい水分が足りていないというのが経験則なのだが、そんなこともないようにおもえた。一応パックで煮だした玄米茶をおおめに飲んではみたが、すくなくとも午前中に改善は見られなかった。

シャワーを浴び、身体を乾かしてからブログを書いた。このタイミングで書けば筋トレージョギングの流れに次いで朝のルーティンになるのではないかとジョギング中におもいついたのをそのまま実行した。この時から背中に違和感をおぼえはじめていた。仕事をしている時にもおぼえた、左肩甲骨付近の筋のこわばりである。おそらくジョギングのせいだろう。あまり気にすると生活に支障が出るのはわかっていたのだが、時間を追うごとに違和感は増していった。夕方過ぎには明確に痛みとなっており、夜中の作業は痛みが気になって集中できない時間さえあり、とにかく苛立った。

ブログを書いてからは作文へとうつった。前日のすべるような感覚は完全にうしなわれており、エンジンをかけるのに時間がかかった。それでもやはり昨夜のような感覚まではいたらず、じぶんとしてはまあまあのペースで書いた。全体としてはまずまず。途中で厚揚げと長葱のチャンプルーをつくり、白米と共に食らい昼食とした。食いすぎた。小休憩はさみつつ、一時前までねばった。その後元町の上島珈琲へと移動し、ミルク紅茶を飲みながら読書をした。店内はにぎわっており、客のほとんどは老人だった。空いている席がすくなかったのもあり、ぐるりを老人にかこまれるかたちとなった。オセロみたいにじぶんも老人となる、くだらない想像をした。老老介護をしているとおもわれる夫妻とその母親が隣に座っていた。母親が口元からサンドイッチをこぼしながら食べるのを補助する妻(娘?)の熱心さに、すこし胸を打たれた。先日母と会ったからかもしれない。会うたびに母の衰えを実感し、反動的に思いのほか元気な部分を見て安心する、というのが近年のならいとなっている。Tもふくめ、子どもに何もしてあげられない、と母はよく言う。別に何をしてもらいたいわけではないが、その気持ちはこちらにだってあった。つまり親孝行らしいことが何もできない、という心情だ。あまり書くとネガティヴになりそうなのでやめておく。

読書は後藤明生コレクション4のつづき。増していく背中の違和感もあり、集中するのに時間がかかった。大阪ワッソ、四天王寺ワッソは個人的にすごく好きだった。後藤明生のエッセイ風掌編に関しては、終わらせ方がどれもかっこいい。彼の文章にふれていると、どうしてもブリコラージュということばがちらつく。

……。そもそも代用品とは変化するものである。変化するから代用品なのである。……                     『蜂アカデミーへの報告』

こうした発言は、「その場で手に入るものを」寄せ集めて自分で作る」というブリコラージュの概念との親近性を示しているかのようだ。じぶんがこういった類の小説を書くとしたら、それは二三年以上先の話だとは思うが、手法や感覚というのは非常に勉強になる。途中、勉強になる、という感覚で読書をしているじぶんに気づいた。この日も約百頁読んだ。上島珈琲をあとにすると、急に腹を下した感覚におそわれた。早足で帰宅した。下痢生活四日目である。よくなっているものの、まだまだ本調子ではない。帰宅してから久しぶりにDUOを使って英語の勉強した。はじめたところですぐに着信があった。福島さんだった。とらずに一呼吸おいた。だれかからじぶんが仕事を辞めたことを聞いたのだと、仕事を紹介してくれるのだと直感した。メモ帳を片手に掛け直すと、すぐにつながった。予想はぜんぶ当たっていた。場所は関内駅近くの雑居ビルの二階、つまり元職場のすぐ近くで、福島さんとふたり仕事(ふたり仕事をさそってくれるということは実はすごくありがたいし、うれしいことである)という話だった。ふたりで四十席を回し、鍋もやっているらしく、相当にきついことが想像できた。ランチはなく、夜だけで十七時半オープン二十二時半がラスト、休みは日曜のみの週一だと聞いた。給料はそれなりに良い、くわしい話は面接した際に店長に聞けばいいと福島さんは言っていた。言い方や仕事内容的にもそれはまず間違いないようにおもえた。しかし急募という話らしく、じぶんとしてはせめてあと一ヵ月は欲しいというのが本音だったし、前の職場とあまりに近いことや、仕事内容的にも若干の不満があった(じぶんとしては金より勉強になるところがいい。居酒屋的な仕事はあまり興味がない。何にせよ中途半端におもえた)。とりあえず話は受けておき、後日ふたたび電話する旨をつたえた。こうした話を一度で決めてしまうのは何かと良くないと、そういった処世術も多少は学んできたのだ。そして時間をおけばおくほど、もらった話を受けるのはちがうなと感じるようになった。

出鼻をくじかれたものの(もちろんありがたい話ではあるのだけど)英語学習を再開した。じぶんの頭の悪さに辟易としながら一時間ほどやったところで作文へと移行した。途中でモヤシナムル(このナムルが天才的にうまかった!)をつくり、白飯と共に食らって晩飯とした。背中の痛みが増すのを刻々と実感し、銭湯に行くべきかと考えたが、今さら外に出るのもおっくうだった。同じ理由でかわかみかココペリに行こうとぼんやり考えていたのも取りやめた。日付が変わるころまでだらだらと、体勢を変えたり、玄米茶を飲んだりしながらねばった。二日前に考えた構成とはだいぶ変わってきたが、それはそれでありだと感じている。一部ごとに形式を変えたいという狙いもそうだし、五部に関しては五部でおもしろいことができそうな気がしている。微細なものの微細なものによる微細な再上演、というのがひとつテーマなのかもしれない。結局風呂にも入らず、服もろくに着替えないまま、背中にシップを貼るなどの処置もせず、たいだに炬燵で寝てしまった。無職になってから炬燵で寝たのは初めてかもしれない。一日の終わりがあまりにもおそまつで、笑うこともできない。