1/20 sat

五時前に一度起床し、炬燵で寝てしまったことを後悔し、布団で寝直した。背中と肋骨の内側がかなり痛かった。六時十五分にふたたび起床。約三十分筋トレしてからジョギングに移行した。痛みがあるため本来ならば行わない方が賢明だとおもわれたが、習慣化しているものがなし崩しになりそうだと予感し、無理やり実行した。腹筋を鍛える動作が背筋にぴきぴきときた。外に出ると前日よりも十五分ほど早い時刻だったことと曇天が影響してかなりうす暗かった。走りはじめは雨がふっていた、がじきに止んだ。走りはじめてからしばらくして右足の裏に痛みがあることを知った。身体をいたわるように姿勢を意識し、前日よりもゆっくりと走った。走ること自体には慣れてきているようで、疲れはそこまで蓄積しなかった。これまでのジョギングの中でもっとも着込んで走ったせいか汗が止まらなかった。雨のせいで湿度が高くなっていたせいかもしれない。高湿度を特別苦手とする体質である。そんなのみんなそうだろうと思われそうだが(だれに?)、幼いころの高熱や思春期にありがちな緊張癖のせいで自律神経が狂っているため、汗腺や尿の機能がぶっこわれているのだ。これはもはや体質だからしかたないのだが、痩身のひょろ長い眼鏡男がよくわからない場面でひとり汗をかくというのは傍目にひどく不自然にうつるらしく、今まで何度もツッコまれてきた経験がある。ちなみに手汗も唐突にひどくなることが多々あり、意識してしまうと余計にダメである。

ペースを落としていたせいか、前日よりも若干長い距離を走ることができた。ブレイクをはさんでいると、一羽のカラスとじっと目が合った。近づいていくとどこかへ飛んで行った。威嚇のつもりもなかった。恨まれていたら嫌だな、とおもった。カラスは人を判別し、おそうこともあるといつかTVで観たことがあった。だから余計ひるんではいけないとおもっているのかもしれない。舐められたら終わり、舐めても終わり、というわけだ。唾奇のlyricでそんなのがあった。

へとへとになって帰宅し、シャワーを浴びた。背中がぴきぴきと痛んだ。全身のこわばりもあるので、今日は銭湯に行くと決めた。シャワーを浴びながら銭湯に行くことを決めるのは何か変な感じがした。身体をかわかしてからブログを書いた。正直、何のために書いているのかぜんぜんわからない。あまりたのしいともおもえない。タイピングがおそいせいで時間だけがかかる。じぶんに合わない書き方をしているのかもしれない、ばくぜんとおもうが、いかんせん改善するほどの意欲もない。ここのところ毎日更新しているせいか、アクセス数は伸びてはいる。しかし、じぶんで書いていてこれのいったい何がおもしろいのかと疑問におもう。じぶんだったらまず読まない。そもそもじぶんでもブログなんてほとんど読み返さない。こう言ってしまうのもなんだが、書いている小説の方がよっぽどかおもしろい。ブログはおれの戦場じゃない。かといってストレッチや柔軟の場になっているわけでもない。きっとまだなじみがないのだ。よくわからない他人のようだ。ブログのほうでも、きっとおれのことがよくわからないだろう。いきなりディープキスはできない。おたがいの距離感を知ることが大事だとおもうんだよね、クッソだせぇ台詞を恥ずかしげもなく口にするサラリーマン風の男が脳裏でちらついた。いつか焼き鳥屋で見た醜悪なカップルだった。

ブログを更新したあと、そのまま作文へと移行する気になれず、英語の勉強を怠惰にこなした。やる気がでなかった。やる気がでないと悲しくなった。AmazonPrimeで映画でも観ようかとおもったが、それも気がすすまなかった。ウォッチリストに作品だけがたまっていく現状だった。映画がきらいなわけではなかったが、ここ数年妙にさけてしまう傾向にあった。観れば面白いとおもうし、もっとディグりたいなと素直に感じるのだが、そこからなかなか踏みだせない。時期じゃないのだろう、そうおもいはじめてからどれくらいの月日が流れたか。

油揚げと長葱の卵とじをおかずに白米をくらったあと、自室に閉じこもるのも嫌だったので、外にでて予定どおり銭湯へと向かった。寿町が近いこともあってか、ガラの悪い客の多さが特徴である。禁止であるはずの刺青をしている老人、あからさまなヤクザ、伊勢崎町あたりでヤンチャしてそうな派手な若者、そんなのがごろごろいる。そういうひとたちを怖いとも何ともおもわなくなった。まがいなりにも調理師業界を見てきたおかげだろう。こちらから接触しなければ彼らは何もしてこない、むしろ穏やかなものだと中上健次もスラム街の住民や路上のひとびとを指して言っていた。脳みそを空っぽにしてジェットバスの噴射を浴び、他に入浴者のいない浴場でストレッチをし、足裏や肩や腰を念入りにもみほぐした。これだけで疲れが抜けていくのがよくわかる。まったく性的ではない、純粋な肉体的快楽というものがあるのだとここに来てはじめて知った。調子にのって長湯すると気持ち悪くなるとわかっていたので早めに切り上げ、バスタオルで全身をかるく拭いてから脱衣所のベンチに座り、汗がひくのを待った。背中の痛みが狙いどおり軽減していたのでうれしくなった。ジェットバスと大浴場は正義である。いつ訪れても見かける、いかにも主らしき坊主頭の刺青爺さんが他の客と大相撲の文句を垂れ流していた。その江戸っ子風の抑揚を耳にしながら目を閉じた。

その後、着替えてから元町のタリーズに移動し、読書をした。混みあっていた。なんとなく息苦しい感じがした。本を開くも、いまいち集中できない時間がつづいた。正直、内容があまり好みではなかった。この日で読みきれるとおもったが、最後の一篇だけ残してしまった。隣席にすわった七十前くらいの着飾った老女がスマートフォンを使っていたので、さすが元町あたりの年寄りはちがうなぁと元職場と比較しながらおもっていると、ちらっと見えた画面からポケモンGOをやっているのだとわかった。ちょうど何かしらのポケモンをゲットしているところだった。こちらとおなじくおひとりさまの老女が土曜日の混みあったコーヒーショップでポケモンGOをやっているという事実がおもろしくもあり、また悲しくもあった。犬の鳴き声が店内から聞こえたのでおどろいてそちらを向くと大型の、毛並みのきれいなレトリバーがおとなしく座っていた。あいつが鳴いたのかと疑問におもったが、他に犬らしき存在はなかった。どうやらペットも入店可の店舗らしい。特別不快感はおぼえなかったが、これを嫌がる他の客はいるだろうなぁとおもった。入り口付近の席だったため、自動ドアが開くたびに冷たい風が足元を冷やした。

タリーズをあとにし、帰宅すると眠気がおそってきたので、十五分だけ過眠をとった。その後ようやく本日の作文をはじめた。加筆作業というより全体の調整からはじめたのだが、おもいのほかうまく場面がおおく、うれしかった。Twitterにも書いたが、描写を足そうしてエピソードそのものが変質し、場面としてゆたかになることある。そうした瞬間に遭遇すると、小説を書いていてほんとうによかったとおもう。ささやかだが、よろこびというものがたしかにある。修正をしているつもりだったが、いつからか本格的な加筆作業に入っていた。二日前にも感じたような、文章のすべるような感覚があった。以前とはことなり不安はなく、落ち着いて書きすすめた。途中、あえてペースを落とすために焼き豆腐の炒め物をつくり、白米と共に食らって晩飯とした。その後もなんだかんだと粘り、草稿段階ではあるものの、五部を最後まで書ききった。

タイピングしながら、じぶんがいままでの小説とは趣のことなるテキストを構築していることに気づいていた。これまで四部書いてきたが、五部がもっともじぶんの中では異質である。こうしたものが書けたのはウルフ『ダロウェイ夫人』を再読した、さらに言えばフォークナー『響きと怒り』を読んだおかげだった。特に前者から得た展開方法のインスピレーションは大きかった。誤解を恐れずに言えば、五部は非常にベタな人物や物語、心理描写で構成されている。しかし、じぶんが注力したのはそうしたものをいかに配置し、時間軸に沿ったなめらかなうねりや必然性を生み出せるかという点だった。メロディアスな、それでいて技巧も効かせたピアノ曲をつくっているような感覚があった(この前の送ってくれたTの楽曲?)。文学的にあたらしいことはおそらく何もしていない。そうした仕事はできないし、やることに興味もない。しかし、じぶんにとってはこの五部の作文はある種の冒険だった。そしてそれにある程度の区切りがついた。久々にじぶんの小説における領分が拡大したことを実感できた。達成感とよろこびでハイになった。

この時点で二十二時過ぎだった。飲みに行ってもいいかとおもったが、すぐに眠くなるだろうと取りやめた。それに銭湯やコーヒーショップで使った金を気にしてもいた。収入がないのだから、もっと倹約しないといけない。しかし、倹約のための倹約となってはいけない。

けっきょく読書に移行した。すぐに眠気がきた。もうすこしだったものの、読み切ることができなかった。この日はちゃんと布団で寝た。しかし明かりと暖房を消し忘れていた。どこが倹約やねん。