『眠りながら歌って』冒頭 改稿

空がぼんやりと帯びはじめた色は藍色で,とおくの山々はじぶんにできた闇と影のちがいをしずかによろこんでいた。もうすこし近くの工業たちはひかえめにきらきらとして、ずっと精彩をはなっていた。きれいだった。眠気の脱力に勝てないわたしはヘッドレストに体重をあずけるのをこころもち嫌がっていた。それは髪形がみだれて、後頭部がぺしゃんとなってしまうのをきらう心理と言えたけど、そんな配慮をすべき相手はどこにもいなかった。髪ももう一年以上ショートヘアーをたもっている。楽だから、と何度も発した理由は、とっくに口になじんでいた。

いつかの過剰な自意識の名残か、過去の恋人といる時のくせがぬけないのか、わたしにはわからなくて、そのわからなさをふくめ今現在のわたしだという気がした。それがどうした、とおもいながらおもいまぶたを閉じた。藍色から灰色に変わった視覚情報はもう景色とは言えないのだろう。わたしは見えないものを、じっと見ていた。

 

日の出がしだいにはやくなっているのをわたしは知っているし、明日はそれがもっとはやくなることも知っている。しかしそれほんとうだろうか? 

たぶん、ほんとうだ。それはきっと、明日が来ることをわたしがみじんもうたがっていないこととおおきく関係しているんだろう。それはもちろんわたしにとっての明日という意味で、つまるところ、わたしは「明日もおいしい空気をどこかで吸っているわたし」というものをふかく信じているのだ。それはもう嘘みたいに。

信じてうたがわない。うたがわないことを、うたがわない。つるつるの脳みそで、ひたすらに前だけを見ている。信じる者はすくわれる、というけれど、わたしはうたがわないことを、うたがわないだけなので、それは何かちがうという気がする。うたがわない、の前だと、信じるはうさんくさく、気合のはいったものようにうつる。たぶん裸で鏡の前に立つようなものだ。わたしはじぶんのからだがきらいなので、ふだん脱衣所でもあまり見ないようにしているけど、時おりあえてまじまじと観察することがある。わたしはじぶんのみにくさにいらだちとかなしみをおぼえながら、全身からちからを抜いて鏡の前で立ち尽くす。もうだめだ、こうなったらじぶんに正直になるしかない、わたしは鏡の前に立ちながらいつもあきらめている。太っているわけでもないのに、みょうな具合に下腹がでている。中学生のころからそうだ。顔の肉がすくないせいで、へんてこなギャップがうまれてしまう。寝巻にしているハーフパンツのゴムの締め付けがその輪郭を強調するように赤い線を引いている。赤道みたいだ、とおもった。地球の真ん中に引かれた、じっさいには存在しない線。

いやみなくらいしろく、よわよわしいひかりをはなつ電球はもう換え時なのかもしれない。不安定に点滅して、開けっぱなしのドアの奥のむこうの闇を呼び寄せている。洗面台の上から下を向いたミニ扇風機、何故か傷だらけのドライヤー、整髪のためのスプレーとワックス、髭剃りのためのクリーム、毛先のひらいた歯ブラシが並ぶスタンドの横にコップと歯磨き粉、どれもひどくくたびれているように見える。生活感のある、というか生活そのものの脱衣所の雑多な具合と、年中無休で二十四時間作動している風呂場の換気扇のファンのせわしなさがわたしをいっそうなさけなくしていく。わたしは、わたしと目を合わせたままため息をはく。まねせんといてよ、と声を出さずにつぶやくと、鑑の中のわたしと、外にいるわたしが反転したような気分になる。ああ、変なことを考えているな、とおもいながら目をそらして浴室のドアを押す。窓のない風呂場の床はたいていしめっていて、それはこの家に住む人間がみな、じぶんの好きなタイミングでシャワーを浴びたり入浴したりするからで、それはいつからか機能しているルールで、だれかからあえて言及する必要もないくらい自然なことになっている。すくなくともこの家においては。

わたしだって例にもれず、ほかのだれもいないタイミングで、こそこそとじぶんのからだを観察していたのだ。日曜日の夕方、きっと笑点ちびまる子ちゃんが放送しているくらいの時間帯に、わたしはようやくじぶんの部屋から抜け出してきた。週一の休みはどうしても怠惰になってしまう。サザエさんはなんとなくリアルタイムで観る習慣がついているので(と言うと昭は「あんなの録画してまで観るもんじゃないだろう」と付けくわえる。おなじふうにかんがえているからわたしもリアルタイムで観ている、というふうに何故想像してくれないのだろう)、それを計算してシャワーを浴びようとしている。蛇口をひねると、温度のない水が髪をぬらした。

 

ひかりのせいで目が覚めた、とおもった。まだ夜明け前だったから、高速道路の道路照明のせいかもしれない。似たようなスピードで幾百もながしてきたものが、急にまぶたの裏にささることだってあるだろう。道路照明のしろいひかりはどれも夢の中の電球よりちからづよいけど、どことなくさみしげに見えた。いや、満足げ? それは役割を終えようとしているから? 

空はしらむ、というよりと闇とオレンジ色をあわせた感じで、どちらかというと。

そう、助手席で眠っていたわたしは眠りのあささから今が早朝だとさとっていたけど、景色だけを切り取れば夕方のほうがしっくりくるだろう。口元からだらしなく垂れかけていたよだれをティッシュでそっとぬぐい、ついでに口にはいったままのミント味のガムをはきだし、前部座席の間に置かれたちいさなゴミ箱に捨てた。ミントの味はとっくになくなっていたけど、風味だけがかすかにのこっている。それがうっとうしいから飲みかけのジャスミンティーで流しこんだ。ぬるい液体は口にふくむと温度が体温とおなじになるのがわかる。ぐいっと飲みほして空になったペットボトルをドアのホルダーにもどした。かこん、と乾いた音が車内に小気味よくひびいた。空はいっこうにあかるくなる気配がなくて、もうこのままずっとくすぶっていることを決めたみたいだった。

「今どこ?」

「三重のまんなかくらいかな」

「まだとおいの?」

「まだまだ」

そう言いながら昭は電子タバコの先端をくわえた。顔はずっと前をむいていて、視線もちらちらうごいてはいるけど、基本的におなじところばかり見ている。二度とわたしと目を合わすのをやめたみたいだ、と感じながら、そんなわけないか、とひとりでにうかんだことばをひとりで打ち消した。

「さっき夢見てた」

昭は聞いているのか、いないのか、無視しているのか、そうじゃないのかもわからなかった。そういう話の聞き方をするのを知っているので、そのまま話しつづけた。昭がわたしたち以外にもそういう態度をとるのか、わたしは知らなかった。それに知ったところで意味もないとわかっていた。昭の会社のひととわたしが会うことなんてたぶんなくて、あるとすればいつかおとずれる昭の葬式くらいだという気がした。今、隣で自動車を運転している、息をしているひとの死を想像するのはむつかしいけど、一瞬だけその時の感情をさきどってしまった。一瞬なのに、とてもかなしくて、涙が出そうになった。ほんとうに昭が死んでしまったら、わたしはその悲しみに耐えられるだろうか、と不安になった。それはその時になってみないとわからない、というか時間をかけて乗り越えるしかない、というのが過去の死からまなんだ今のところの答えではあるのだけど、そんなの吹けば飛ぶような。たんぽぽの種。

下手なあくびでごまかして、目をこすった。目をこすると、視界は何かを更新したかのようにクリアになった。何が、どうか変わったかを説明することはできないけど。こういうものをわたしは勝手に「いろどり」と呼んでいる。起き抜けの、それでいて寝不足のからだにだるさがおもくぶらさがっている。

「最近見るとおんなじ。めっちゃリアルで、日常的なのに、ぜんぶどっかずれてるんだよね。家の脱衣所、めっちゃきれいなのに夢の中だとちらかっててさ。お風呂も、みょうに閉鎖的っていうか、窓がなくて」

「たぶん、お前つかれてるんだよ。さっき息してないみたいに寝てたし」

「つかれてたら、ふつういびきかくんじゃないの?」

「お前のは、そういうんじゃないんだよ」

そう言い終えると、昭はアクセルをつよく踏んでスピードを上げた。道路をはしる自動車がすくないのは知っていたから問題ないのはわかっていたけど、慣れていたものが急に変わるとびっくりしてしまう。一定の速度で流していた道路照明が、はやくとおりすぎていく。空はオレンジをすこし濃くしたけど、そのぶん闇も増したような気がした。たぶん、それは勘ちがいだと、じぶんでもわかっていた。視界にちらつくしろいひかりがしだいにうっすらとしていく。夜が縫われて、閉じていく。夜と朝はリバーシブルのTシャツのように、その継ぎ目をきれいにかくしている。そんなことをかんがえた。こう感じたのだって、ああおもったのだって、今日がはじめてではなかった。

うしろを振りかえると、後部座席で政樹と万佐江が寝ている。ふたりの寝顔はよく似ている。ふたりともそれぞれ、べつの明後日をむいて口を魚のように開けている。いびきではないけれど、呼吸の音はたしかに聞こえる。万佐江のタオルケットまで半分うばいとった政樹は首を上にかしげて息苦しそうに見えるけど、政樹はよく変な体勢で寝ていて、それを指摘しても負担にしている様子がないので、きっとこの状況でもあとで起きたら、よく眠れた、なんて言うんだろう。どこでも眠れる、というのはあの家に住む人間の、ひいてはこの自動車に乗った四人の共通点だけど、眠りにつくまでの時間にはそれぞれ差があるようだ。中学二年生の政樹は今年の正月あたりからいっきに身長を伸ばしはじめ、声も野太くなっていくいっぽうで、半年たった今でもわたしはその事実を受け止めきれないでいる。顔つきはあきらかに変わり、あれだけつるつるでしろかった肌はあらあらしいニキビにおおわれ日焼けしている。ほそく引きしまったふくらはぎはまだ少年のもの、という感じがした。くらくても毛がすくないのはわかる。中学からはじめたハンドボールに熱中しているらしい。二年で選抜にえらばれんっておれだけやで、とうれしそうに食卓で話していたから、わたしたちまでうれしい気分になった。がつがつとご飯をほおばるさまは見ていて気もちがいい。じぶんだと下品に見そうだから、しないけど。

人間関係が良好なのか、成績がいいのか、学校自体をたのしめているのか、わたしは何も知らない。ぜんぶうまくいっていてほしいけど、それが無理なねがいだというのはわかっている。きっと平平凡凡でも、それすらも上々だったと、あとからおもうんだろう。夏の空とか、ぼんやり見ながら。

万佐江はふだん眠りがあさいとか、すぐ目が覚めると口にすることがおおいけど、わたしがそうした場面に遭遇したことはない。いや、わからない。もしかしたら立ち会ってきたのかもしれない。眠りの質とか実感とか、そんなは本人しかわからないことだから。そろそろ前を向こうかとおもった時にふと、万佐江の半分うばわれている小猫をポップなタッチでえがいたタオルケットが昔のわたしのお気に入りだと気づいた。ちいさい頃のわたしはそのタオルケットをかけてくれないと寝ないと何度もだだをこねていた。万佐江の手を焼かせた。質感もおおきさも、おもさもにおいも、ぜんぶ大好きだった。あれだけ好きで、執着していたものを手放すようになったきっかけってなんだったんだろう? 万佐江は口を魚のように開けて、時おり歯をかちかちと鳴らしている。またや、ピラニアみたい、って言おうかまよったけど、昭に無視されそうなのでだまっておいた。