2021/1/25

仕事をやめて十日ほど経った。やめる前から「やめてからやることリスト」なるものを作成していたが体調をくずしてしまったこともあり、なかなかうまく進捗しない。仕事をやめると必ずと言っていいほど体調をくずす。緊張の糸が切れてしまうのだろう。ふだん、仕事をしている時に緊張しているとはあまりおもわないが、どこかで負担がかかっていたのかもしれない。ぼくはじぶんの身体のことをうまく把握できない。これはぼくにかぎった話ではないだろうし、じぶんだけが特別感覚がにぶいともおもわない。ただ、ぼくがじぶんの身体の感覚を長年軽視していたのは事実だとおもう。ぼくはここ数年でやっとじぶんの身体の調子を意識するようになった。それは何故かと自問すると、明確なきっかけはなかったが、Tにお前はじぶんのことぜんぜんわかってないもんなぁといったニュアンスのことばをよく投げられており、それを意識させられる具体的な出来事やアクションがあったからだとおもう。結果、たしかにぼくはその辺りの自覚がうすいなぁとおもうようになった。昔、知り合いの板前に、じぶんを大事にしない人はだれも大事にできないよ、と唐突に言われたことがあった。別の人に、君は自傷的だからね、と訳知り顔で言われたこともあった。ぼくはじぶんのことを自傷的とはおもわないし、明確に自傷とされているような行為に走ったこともあるにはあるが人並みだとおもっている。歳を重ねてもその自覚はゆるがないが、昔のじぶんを見て、そのように感じる人がいてもおかしくないなぁとはおもうようになった。

 

だからどうした。こんな自分語りは見苦しい。見るに堪えない。

そんなこたぁわかっている。ただ、一区切りついたから、この二年でどうしようもなく生成変化してしまったから、たまには書くことで整理しようとおもっただけだよ。

 

聴く音楽もずいぶんとHIPHOPに寄った。もとから好きだったけど、ここまで色が濃くなるとはおもわなかった。意外ですね、とか、イメージにないわ、とか言われることもあったな。だから何だよ、ぶっ殺すぞ。星野源とか好きです、気まぐれでそう口にすると安心したような顔をするんだ、そういうやつらは。だからなんだよ。本当にどうでもいいことばかりが頭にうかぶなぁ。酔っぱらってもないのに。飲酒量も増えた。これはYの影響もあるだろう。痩せたり太ったりして、結局は同じような体形のままでいる。筋トレしたりランニングしたり、つづかずに飽きて言い訳ばかりしている。ただ、今日は走った。それは何も誇るべき事実ではないが、ただ走った。ここちよかった。後半は汗が目にはいり、うっとうしかった。去年と同じ服を着ているが、去年と同じおれではない。そう、おれはこの一年で大きく変わった。その変化には衰えも含まれているが、それ以上に成長があったはずだ。これから先もこうやってできることを増やして、さまざまなことを経験して一年一年を積み重ねていきたい。やったことないことをやりたい。人生は一回だから、やりたいことをやらないと損、世界は広くて美しい、この人生の可能性は無限にある、そんなことを邪心なくおもえるほどじぶんや世界や歴史や人類を肯定できないし、するつもりもないが、一周回ってそういう気持ちになることはある。基本的に世界は失敗で、狂っていて、歴史なんて目を覆いたくなるほど悲惨で、人類なんて馬鹿で醜くて、存在のための暴力をどうしようもなく肯定せざるを得ないクソで、みんなじぶんのことばっかり考えるのが普通で、それをしないやつは甘ちゃんで、世間知らずで、安月給ではたらくことに文句を言うことさえ許されなくて、ぜんぶ自己責任で、うまい汁の行き先はぜんぶ予定説みたいなもんで、そんなのだれもが知っていて、もろもろをあきらめることは義務で、身の程を知ることも義務らしい、そんな社会、そんな世界でじぶんを肯定するには何かに踊ることでごまかすしか、ごまかすために踊るしかないんだ。でも、それでも、おれはだれかに踊らされるのは嫌だといつもおもってしまう。おれは、おれのビートで、リズムで踊りたい。だからおれはおれの物語に無理やり没頭する。目を閉じて叫びながら、首を振る。死ぬほど病むのも止めて、現実はほどほどに知って、傷つかないようにして、本当のグロテスクからは目を背けて、クソゲーの主人公として初期ステータス低めのハード設定でやっていくしかない。やっていくしかなかった。そんな言い訳の歴史も三十一年積み重なると微々たる厚さを、やっかいな熱さをたたえていて、それがまた今のじぶんを肯定する道具になっているのだから、自意識というのはどうしようもなく都合のいいもんだとほほ笑みながら浅いため息をつく昼下がり。

 

この二年で将来やりたいことはあまりぶれなかったが、すこしだけ具体的になった。そこはじぶんでもよかったとおもう。じぶんの料理を追求した割烹、鮨屋、天ぷら屋、三店舗を運営しながらフードロス問題に取り組む子ども食堂を地域に根付かせる。各店や地域のフードロスを子ども食堂の資源として当てられるシステムを作れるか、客に納得してもらえる物語を構築できるか、それまでの期間にランニングコストとして積極的にじぶんが損できる覚悟と体力があるか、ものすごく簡潔に言うと理想と問題はこれだ。だが机上の空論では何の意味もない。おれは今走っている物語を未完で終わらせるつもりはない。本当にそれだけは回避したいとおもっている。だから、これから先はもっと利己的に、鋭敏に、タイミングを逃さず、客や金を引っ張るために道化や不良の仮面をかぶり、上下をはっきりさせるための見栄を張り、それを板につけて、こころをつよく保つためのクソみたいな努力をしないといけない。つまるところ、パトロンが必要だ。ずっとやりたくないとおもっていたことを、みずからすすんでやるフェーズなのだとおもうと皮肉な人生だとおもう。こんなものだろうか? なりたくなかったじぶんになって、それでも連続性の中で時代の空気を吸って吐くのが当たり前なんだろうか? きっとそうなんだとおもう。おれは落ちこぼれだから、当たり前に疑問が絶えなかった。そんなのも、きっともう終わりだな。何度も仮死して、仮死したからこそいろんな瑕疵があって、古い歌詞が涙のように染みて苦く痛むことも将来への貸しだとじぶんに課した命題に答えはあるのか。性欲なんて、もうほとんどなくなった。気味が悪いんだよ、おれもあんたも。今日も暖房があたたかい。この部屋の罪深い風は、今日もひどく乾いている。とどのつまり、ぼくはとても元気です。元気でやってます。みなさん、調子はどうですか? 元気でいてくれたら、ぼくは本当にうれしいです。この文章をここまで読んでくれた人はもう交わらない人かもしれない、あるいは一度も交わったことのない人かもしれない。それだからこそ、ぼくはこのささやかな文章であなたたちの健康を祈ります。イバイバ。