むかし書いたもの②『四つのルパン、あるいは四つ目の』

ルパンはもはやだれも愛していませんでした。それは確固たる事実だと言わざるを得ません。この時代にルパンという名を使用することの危険性、わずらわしさ、つまるところ誤解のされやすさについては重々承知しているつもりです。何を隠そうわたしはルパン三世のファンでしたし愛知県安城市の実家にある漫画なんて、それはもう紙面に穴があくほど精読したといっても過言ではないのです。そのことをうたがうならば、ぜひわたしの母に問い合わせてください。ただ、年老いたわたしの母が明確な記憶力を発揮できるかはわかりませんが。現在わたしたちがルパンと聞いて想起するのはおよそ三つに分類するとおもいます。ひとつ、あの名高き怪盗紳士アルセーヌ・ルパン。彼を語る上で欠かせないのは作者であるモーリス・ルブランにちがいありません。しかし幸か不幸か今手元に彼の伝記がないことはつたえておくべきでしょう。わたしがモーリス・ルブランについて断言できるのは彼がルーアンの作家だと言うことだけです。ルーアン! なんというかぐわしいひびきでしょう! あの偉大なるギュスターヴ・フローベールを生んだ、かのクロード・モネが愛したルーアン大聖堂有するノルマンディーのここちよい風を耳元に感じることができるのではないでしょうか? わたしはまぎれもなくルーアン、ひいてはノルマンディーにあこがれを抱いています。それはもちろん決して口にだすべき想いではなかったのです。じしんの内に秘めた真の敬意や倫理というのは公然の場で表現すべきでないというのがわたしの古くからの考え方です。ゆえに現在のわたしはこれ以上ルブランについて語ることができないのです。これはまことになげかわしい事実ですが、そうしたなげかわしさを超え、わたしたちは先にすすむ必要があります。なんせこれはじぶん語りの小説ではなく、ルパンを主役にすえた学術的なテクストなのです。とりあえずわたしたちはルーアンとノルマンディーの残り香だけを都合よく記憶しておきましょう。わたしがこうしてモーリス・ルブランを置き去りにしたこと、読者の皆様にはよくよく記憶しておいてもらいたいのです。わたしはいずれ置き去りにした大作家に何かしらの決着をつけることになるでしょう。とにかく話をアルセーヌ・ルパンにもどせば彼は一九〇五年に創造されたそうです。百年以上の時を超え、生みの親より多大な名声をほこる彼はこの時代を生きるひとびとにとってある種のしたしみをもってむかえられるべきです。というのも彼は義賊であったばかりでなくフェミニストであり空手や柔道のじゅうぶんに熟練した使い手なのです。ふしぎなことにこうした事実の羅列だけで彼がどういった種類の人間かがわたしたちにはすぐ想像できてしまうのです。これはどういったことでしょう? つまりわたしたちはすでに現代人のステレオタイプとしてアルセーヌ・ルパンの名を胸の中にふかく刻んでいるのです。誤解をおそれずに言えば、ふかい場所に刻まれた名というのはじぶんで感じることができないものです。それはじぶんの顔を直接見ることができない原理とおなじ、と言ってしまえばわかりやすいでしょうか。わたしたちは今、世界市民としての模範をこの愛すべき紳士・アルセーヌ・ルパンに見いだすことができるでしょうし、そうした論文をたいした労力なしにつづることも可能でしょう。しかしこのテクストにおける目的はまったくことなるのです。わたしはこころを鬼にして話をまえにすすめることにします。さようなら、シルクハットとモノクルをたたえた気高き怪盗紳士よ! いずれわたしたちはあなたの前にもどってくるかもしれませんし、そうなることは一生ないかもしれません。モーリス・ルブランの名を冠するかもしれませんし、彼とは無関係に事をはこぶかもしれません。いずれにせよこの場で何かを請け負うことはできないのです。さらに言えばそれはテクストというものの性と言えますし、わたしの怠惰な性分とも言えます。さぁさておきまして、ふたつ、世界を股にかける大泥棒ルパン三世。彼の知名度はすくなくともこの日本において彼の祖父を上回っているでしょう(ここであえて言及しておきたいのはモーリス・ルブラン&アルセーヌ・ルパン/モンキー・パンチルパン三世を並列に置いて比較・検証することに何ら意味がないということです。彼らは個々人同士での関係でしかまともな意味を持たないのです)。偉大な祖父の遺産として「窃盗術」という著作を受け取ったおさなき日の彼は以後の修練により「盗み」「殺し」の技術にみがきをかけたのです。完成されたそのひょうきんな立ち振る舞いからは想像できぬほどの血のにじむ努力! 長身痩躯から繰りだされる派手で隙のないアクション、膨大な知識を駆使する明晰な頭脳、瞬間の判断の正確さ、愛嬌たっぷりの憎めない性格、魔法めいた華麗な変装に代表される「窃盗術」に魅了される人間は数多く、都内某所には秘密裏のあやしげなファン倶楽部なるものも存在するそうです。そのことについて捜査する能力と金銭が欠乏していることを恥じると共にここに謝意をしるします。わたしがおもうに彼の超人性は彼が義賊でないこととおおきく関係しています。義賊がかくもセクシュアルな魅力を放ち得るでしょうか? あの豊かなもみあげとりりしい猿顔、初期でひんぱんにえがかれた性描写の数々は彼がじしんの良心にのみにしたがわないことを見事に象徴しているのです(話がいくぶんかそれるのをご容赦ください。わたしはルパン三世の服装といえば、まずナイトブルーのジャケットとライムライトのネクタイをおもい浮かべるのですが、どうやら今はカーマインのジャケットとイエローのネクタイを想起するひとがおおいようです。これは漫画版よりアニメ版や映画版がひろくしたしまれている証拠ではないでしょうか、というと生粋のファンを自負する方々からお叱りを受けそうですが)。そしておおくの読者諸兄がご存知のとおり抜け目ない狡知は時として紋切型の正義より強力な鉄槌を悪にくだすのです(彼はパートナーである次元大介と共に「おれたちは正義の味方じゃない」という台詞ものこしています)。いわば紋切型の正義とは正面から迫る壁です。どんなにやわらかい素材でできていようと、それが悪の心臓を背中からぶち抜くことはありません。上記したとおりわたしはかつて彼に恋をしていました。それは性や次元(もちろん次元大介のことではありません)を超えたある種の普遍性を持ったものでした。ここで「ある種の」とつづったのはこの普遍性が括弧つきのものだからです。この意味においてわたしは今もルパン三世を変わらぬ熱量で愛しているということができます。つまりかつて存在したあらゆる恋情は精神のどこかに保存されているという、あのいかがわしい妄論をわたしは全力で支持するのです。もちろんこの態度は批判されてしかるべきでしょう。しかし読者の皆様におきましては結論づけることを保留されるのをおすすめします。このテクストが何かしらの力を持つとすれば、それは批判的態度と結論をとおざけることの有意義性を提示するかぎりにおいてでしょう。このことばの真意はいずれあきらかになるはずです。ところでわたしが警戒しているのはいくらかの話の脱線に皆様があきあきとしているのではないかということで、わたしとしましてはできるかぎり簡潔に要点だけをかいつまんでいるつもりなのですが、いかんせんこれまで伝記というものを書いたことがありませんし恥を承知で言わせていただければ、そうした類の文献にほとんど目をとおしたことがないのです。しかしわたしは今向き合っているこの伝記がある種の普遍性を帯びることをきわめて早い段階から確信しているのです。少々先走ってしまったことをお許しください。そう、これは正真正銘の伝記なのです。この点の説明に関しましても読者の皆様においては今しばらく辛抱していただく必要があります。それはわたしとしても非常にこころ苦しいのだと、ここで一言弁明させていただきます。さて話を前にすすめましょう。三つ、スズキ株式会社が製造しているボックス型軽自動車ラパン。そう、この丸みを帯びた愛らしい見た目の四輪車の正式名はラパンでありルパンではないのですが、一定数のひとびとにおきましてはこの自動車の名前をルパンとまちがえて記憶しているのです。このことについても正式な確認はとれておりますし何よりわたし自身そう勘ちがいしていたのです。わたしはこのことを何ら恥とはおもいません。それはむろん分母が非常におおきいといったくだらない理由ではありません。恥とは本来みずからの能力を過信した振る舞いにのみ付随すべき感情です。本件においてわたしに過信したことがあるとすればラパンの売れ筋見込みうんぬんくらいで、それは本稿とはまったく無縁の事項なのです。とにかくこのテクストを書くにあたってさまざまな調査をするまでわたしがラパンをルパンだとおもい込んでいたのは事実です。このことはわたしが一文目にしるしたルパンなる人物とおおいに関係しているのです。さて、ここでようやく本題突入となりそうです。この伝記の主人公はわたしがルパンと勝手に呼んでいるある人物のことなのです。その呼び名に確固たる必然性などないでしょう。しかし名前に必然性をあたえるのはいつだって時間と反復だったことを忘れてはなりません。辛抱づよく付き合ってくださっている皆様に読了のあかつきとして、このテクストにまつわるあらゆる判断をゆだねるつもりでいることをここで宣誓させていただきます。

すべてはルパンの名のもとに!

ああ、ルパン、わたしはその人物をおもうだけでうっとりしてしまうのです。保存してあるルパン三世への恋情と入り混じっているとの批判はまったく意味がないと先手を打っておきます。先手を打つことにこれほど慣れた書き手というのも珍しいでしょう。しかし慣れた者こそ油断すると取りかえしのつかないことをしでかすものなのです。さらに言えば先手の有効性とは物事が結果まで到達しないと見えてこないものです。中途の、かりそめの有効性でよろこんでいるうちはまだまだ尻が青いと言わざるを得ません。わたしは先手を打つことにかけてプロ並みの手練れですが、その結果を正当に判断する資格はわたしにないのです。ここでいう資格とは客観性、つまり外部であることです。先手を打つことは物事ときつく絡みつくことなのだと経験則で学んでいます。わたしが今先手を打ったのはこのテクストとそれへの批判に対してです。つまり今の先手はわたしをそれらと不可分に接着してしまったのです。それはおそろしい事実でしょうか? いいえ、わたしはそうとらえません。何故なら今は作文の最中で、わたしはひたすらに前を見ているのです。それでも不安というのは唐突に去来してわたしたちのこころを引きずりまわすでしょう。そうした時にはたったひとつの名を口ずさめばいいのです。ルパン、ルパン、ルパン……なんとふしだらな、それでいてまっとうな恍惚でしょう。しかしわたしはいつまでも陶然としていないで先をいそぐべきでしょう! 伝記作者としてそろそろニヤニヤするのを止めなければなりません。子どもはもうとっくに眠る時間なのです。

 

おわかりのとおりルパンということば、単語、ひびきになみなみならぬ警戒心を持ったわたしが彼女をルパンと名付けたのは他ならぬ彼女の風貌からでした。そう、わたしがルパンと呼ぶ人物は女性なのです。さらに言えば七十を超えた老年です。わたしが彼女をそう呼ぶと決めたのは背を丸めて椅子に座りこむすがたがあまりにも前述した三つ目のルパン、つまり軽自動車のラパンに似ていたためです。がっしりと広い肩幅の無骨な印象を緩和するようで、その実補強している厚手のしゃれた水色のカーディガン、年相応でいてモダンな上品さを演出する金縁の丸眼鏡、おおよそのつやをうしなっているもののしっかり手入れしてある白髪をふんわりとまとめたオールバック、こうしたもろもろの可愛らしい要素はわたしにラパンを想起させたのです。ちなみにラパンのデザインは弁当箱をモチーフしたそうですが彼女のどっしりと座りこむ姿もまたそうした重量感にぴったりではないでしょうか? ここでわたしたちのルパンの名誉のために付け加えなければならないのが彼女は決して太っていないということです。おそらく骨太で背が高いのでしょう。たしかに痩せてはいませんが彼女の年齢(おそらく七十をとうにすぎている)をかんがみればこうした健康そうな出で立ちだけで彼女の生に対する意識の高さは証明されるでしょう。差支えがなければ、こう言い換えることも可能なはずです。わたしが先手における手練れであるのと同様に彼女も生における手練れである、と。わたしは彼女の立ち姿を今日まで一度しか目撃しておらず、あれはいくぶんか特殊な状況だったのですが平素の歩行においても、おそらくあの時とおなじように背筋はぴんと伸び、腰などかがめず、どちらかの足を引きずることもないでしょう。こうした予想に反論の余地はないようにおもえます。彼女のおおきく開かれた目はみずからの老いを自覚する者のみがやどす独特の透明性をみじんもたたえませんでした。それだけ生命力がたかく自信に満ちているということです。すくなくともあと二十年はその生命を維持することでしょう。ところでわたしがおもうにたっぷりの自信に満ちた態度というのはルパンにおける絶対的な共通項ではないでしょうか? ルパンは自身の風貌が道化めいていることを自覚しながら、それを積極的に活用し敵や見る者を油断させ心身の一瞬の隙を突くのですが、そうした作業にたっぷりの自信が必要だということは言わずもがなのことと存じます。ここでいくつかの適切な例を挙げることも可能ですが先へいそぐべきとの判断のもと割愛させていただきます。添付した別冊の資料「それぞれのルパンの歴史」「ルパンの必然性」等に詳細はありますので気になる方はそちらをご参考ください。わたしたちのルパンはおおきな目をしています。それは彼女の双眼が虚空を見つめるのに最適あることを物語りますが彼女は決して過去や空想におぼれないのです。わたしがどうしてこうしたことを確信的に語ることができるのか、その説明についてはしばしお待ちください。わたしはまず皆様にルパンの魅力をつたえたいのです。わたしがルパンをはじめて目撃したのは東京駅に隣接するKITTEの三階でした。「Feel JAPAN」をコンセプトにしたこの建物でわたしたちが出会ったというのはどこか示唆的ではないでしょうか? 横浜に居をかまえるわたしはふだんほとんど都内へと出向きませんが、この日は二泊三日の東京観光におとずれた母の見送りでした。寒風吹き荒れる一月半ば、午後三時半過ぎに東京駅構内で母とわかれたわたしはそのまま帰宅するのもどこか味気なくおもえ、かといって近場を散策するのも寒さのため気のりしなかったのですが駅と隣接するこの商業施設ならば当時のじぶんの欲求にぴったりだとおもえたのです(読者の皆様は現在話題の中心がわたしであることに違和感をおぼえているでしょうが、ここはしばし我慢の時間です。わたしも非常につらい状況にいるのです。ああ、どうか短気をおこさないでください。短気はあらゆる真実から逆走する行為です。これを威圧的な警告だと受け取らないでいただけることをかたく確信している筆者より)。KITTEをおとずれたのはこれで二度目でした。かつての東京中央郵便局の外観を可能なかぎりのこしたとうたうだけあり、まだオープンしてさほど経っていないにもかかわらず「昭和モダニズムを感じさせる」レトロな雰囲気をかもし、丸の内近辺のしゃれた建物ともうまくなじんでいるさまはどこか感動的ですし一階から六階までつづく巨大な吹き抜け構造はやはりすがすがしいものでした。館内は北海道から沖縄まで全国各地の銘品やこだわりの品、地元で愛される老舗の味などをあつかう約百店舗が出店しているのですが、いかんせんわたしのような貧乏庶民には気の引けるような値段のものばかりでした。しかしこれまた貧乏根性からウィンドウショッピングを楽しんだのです。ここでの詳細もまた省くべきかもしれませんが四階のマルノウチリーディングスタイルでココアを飲みながら一服した時のことはいずれ語ることになるでしょう。秩序だったものを好むわたしは一階から順に見て回り、フロアを一周してから次にすすむというありきたりな鑑賞をしていたわけです。ちなみに地下一階があることも知っていたのですが、いわゆるデパ地下的なつくりとなっているためこの日は足をはこびませんでした。一階は雑貨店などもあるのですが、大半が飲食店のためほとんど見るところもなかったというのが本音でした。しかし本格的な和菓子を提供する店舗とバリスタの淹れるコーヒーを楽しめるカフェと千疋屋総本店のフルーツパーラーがおなじフロアに会しているというのはぜいたくなものだと素人ながらに感じ入り、またそれを平然と成す東京という街の巨大さ、みずからの都会性で現状の都会性を更新・修復・改築していく洗練されたアーヴァンなスタイル、昨年に整備を終えたばかりの東京駅前丸の内広場のすばらしい景観(その魅力について語るには本稿が適切な場所でないことは重々承知しています。いずれ別稿を用意し詩情ゆたかにことばをつらね叙述するとしましょう)や皇居周辺のひろびろとした営みに歴史の壮大さをかさね、ネガティヴで抽象的な観念に想いを馳せたのを今でも鮮明におぼえています。かいつまんで言えばデザイン的にも文化遺産的にも商業的にも成功したこの施設はひとびとの感覚をするどくするのです。ここに来て東京という街の歴史やパースペクティブを想像しない人間などいないでしょう。すぐれた建築とはその存在をもって人を批評家にしてしまうのです。いわばわたしはその罠にまんまと引っかかったわけです。こうした気分の高揚がルパンとの出会いに一役も二役も買っていたことは言うまでもないでしょう。二階はレディスファッションをメインであつかっているのですがエスカレーターであがったすぐ先に日本郵便株式会社と東京大学総合研究博物館が共同で運営をおこなう公共貢献施設インターメディアテクがあり、その存在を知らなかったわたしはこころをおどらせながら中を観覧したのです。入場料は無料と良心的にもかかわらず歴史的・文化的に貴重な資料が数多く展示されていました。もちろんレプリカが大半を占めていましたが、あの場所で肝心なことは学術上正確とされる情報の羅列であるため、そこに不満を持つことはありませんでした。わたしの関心は展示されたクジラの骨がレプリカであることより、そのおおきさや骨々の成す全身の構成につよく向いたのです。情報の海に浮いて生活するわれわれにとってひとつひとつの情報がどれほど正確であるかを知ることは本来重要な意味を持つはずです。そうした確信なしに海に錨を下ろす者はある種の感覚麻痺に陥っているのです。しかしこうした麻痺はすでに横行しているのではないでしょうか? そもそもわたしたちの自己連続性、いわゆるアイデンティとはどこからやってくるのでしょう? おっと少々話が逸れてしまいました。とにかくインターメディアテクに関しては正式なホームページもあるようですし、あらかたの詳細情報はそちらを見た方が無難に入手できるでしょう。なんにせよわたしが下手な描写を書きつらねるより一度おとずれていただくのが最良の手段だとおもえます。わたしにはこの場所を魅力的にえがく才能がみじんもないのです。それに今の目的はわたしのルパンとの出会いを叙述することです。これは慎重に行うべきです。はたしてわたしはルパンという人物を魅力的にえがくことができるでしょうか? ああ、こうした自問自体があざといのです。わたしはルパンを魅力的に書く自信をじゅうぶんに持っています。ゆえにわたしは今も休まずに手をうごかしているのです。この確信はどこから来るのか、それはわたしにしかルパンを描写することができないという事実に依拠しているのです。わたしが何故インターメディアテクを魅力的に書けないか、それはあの場所について書くことはだれにでもできる行為だからです。読者のうちの何名かがわたしのことを卑怯者だとののしる声が今にも聞こえてきそうです。しかしこれは秘密の告白でもあるのです。すなわちわたしがルパンと呼ぶ人物がどういった人物なのかはわたししか知らないのです。いえ、正確にいえばわたしさえ知らないのです。知らないことについて書く、こうした態度は学術的観点から非難されるものでしょう。しかしあらゆる学説は仮定から出発し、その仮定だけをたよりに徒手空拳することからはじまるのだと聞いたことがあります。手にざらつく感触へと意識を集中することで何かしらの法則を見いだし、実験をかさね、法則らしきものを証明する。これを想像力に経験を肉付けする作業と以外どう形容できるでしょうか? わたし言わせれば学問とはどうあがいてもバベルの塔を建築する営みなのです。無数の独立した真理からシグナルを抽出するさまは太古の人々が夜空に浮かぶ無数の星々から星座をむすぶのとよく似ているでしょう。こう書いてしまうと誤解を生みそうですが、わたしは決して学問を馬鹿にしているわけではありません。想像力というものを低く見積もるべきではないと余計なことばをつらねているだけなのです。それに純粋な敬意というものはユーモアでつつみファニーに仕立てないと見るにたえないものでしょう。敬意にはどうあがいても狂気がやどってしまうのですから、純度がたかければなおのことです。

秘密と物語に関するわたしの意見を言わせてもらえばどんな読者にもご納得いただける説明をできるはずですが、いかんせんわたしたちはじぶんたちの議論に熱中するあまり主役であるルパンを置き去りにしているようです。ほらごらんなさい、あのふかふかのソファーからこちらをじーっと見ているではありませんか。いや、これは訂正して順を追って説明しましょう。そもそもルパンはわたしにはっきりと視線をおくったことなどないのです。むしろ彼女がわたしに熱いまなざしでも注ごうものならそれこそ興ざめでしょう。インターメディアテクは二階と三階にまたがっているため展示をこころゆくまでたのしんだわたしは三階の出入り口から通常のフロアへともどったのです。すぐ近くでは休むことなく作動する二本のエスカレーターがありきたりな×印をえがいていました。三階にはメンズファッションや生活雑貨などを取り扱う店舗があることをさっそく視認していたので一周してみようという気になっていたのです。わたしはエスカレーターの裏側をさっそうと通過し全体を左に回るつもりだったのですが×印の手前に置かれた数台のソファー群(おそらくスーパーにある休憩用ベンチの上位互換)にふと目が向いてしまったのです。それはソファー同士の間隔がひろく設けられ、肘掛けもあり、座りごこちがよさそうだと感じたからかもしれません(わたしはすでにつかれていたのでしょうか?)。両脇を休憩中のサラリーマンにはさまれるかたちでソファーにどっぷりと腰かけ手元のスマートフォンを操作する彼女を見かけたのはその時がはじめてでした。そう、それがわたしたちのルパンです。身にまとう衣服はいくぶんか高級そうでしたが地味でどこか前時代的でした。これはあとになってわかったのですがルパンの衣服はどうやら着古しているものがほとんどのようです。しかしこうした事実は彼女の性質をあらわすものであって決して貶めるものではないはずです。ルパンは老眼鏡越しに焦点を調整しながらスマートフォンをすばやい指使いでタップしていました。指のうごきにどこか違和感があったのですが、この時はその正体をさとることができませんでした。事の真相はいずれあきらかになるでしょう。わたしは一目見てこの老女がどうしようもなく暇を持てあましているのだとわかりました。だれかを待っているようでもなさそうでしたし連れのいる雰囲気でもありませんでした。いびきをかきながら首を上にかしげて眠る右隣の小太り中年、肢を組む悠然とした姿勢で紙カップ入りのコーヒーをすすりつつビジネス本とタブレットに目をとおす左隣のさわやかな青年、両脇のサラリーマンのきれいな対比にもみじんも興味がないようでした。彼女は真剣な、それでいて気だるそうな目つきで液晶顔面をながめスムーズなうごきでタップをくり返していました。言わずもがな、わたしは足を止めていたわけではなくソファー群の前を行きかう数おおくの通行人のひとりとして場になじむ速度で歩行していました。市民として社会と一体化するためのたえまない努力はいかなる場面でも必要なのです。とくにこの国の首都おけるふるまいとなれば当然のことです。わたしはいわゆる首都主義で、首都主義であるがゆえに首都に住まないのです。わたしはあくまでも脇役でいたいのです。影響をあたえる者よりあたえられる者、なびかせる者よりなびく者でありたいのです。ゆえにわたしは羞恥心にまみれながらじぶんのことをつづっています。わたしは厚顔無恥な人間ではないとここで主張すること自体すでに厚顔無恥なのです。しかしながら伝記は時としてだれを書いたかよりだれによって書かれたかが重視されるものです。そうした読み方に賛同するわたしがじぶん自身を最低限説明することに矛盾はないでしょう。ここではわたしの中にある確固たる想いのみを提示しておくにとどめておきます。

わたしは、わたしのために伝記を書くのではありません。捧げものとしての伝記。すべてはルパンのために。

以上です。さぁ話をもどしましょう。ソファー群の前を通過しながら彼女のことが妙に気になったのは事実です。彼女は罠を仕掛けていたのでしょうか? 真相があきらかになることはありません。理由はわたしたちのルパンの特殊性としてみずからの記憶さえ盗んでしまうことが挙げられるからです。これもまた彼女を貶めているわけではありません。その証拠にわたしはかならずこの話に落ちをつけにもどってきます。何かと信用のきかないこの世の中で、わたしがこれほどまでに声を大にすることは伝記作家として恥じ入るべきことか、あるいは当然ことのでしょう。またはこう言うことができるかもしれません。あまりにも当たり前なため、かえってことばにすることが恥ずかしいのだと。しかしそうした態度は近年の風潮にふさわしくないようにおもえます。以前流行した「ポスト・トゥルース」ということばがしめすのは声高に意見を発しつづける者の執拗がいかにおそろしいかということです。わたしたちはかつてあまりにも内面の声を無視してしまったため、そのつけとしてだれもが一人前の批評家であろうと自身の意見らしきものをすっからかんのことばで語っているのです。のこされる選択はいずれ沈黙のみになるでしょう。わたしたちは今こっけいなやじろべえとしてバランスを必死でとっているのです。そうした社会においてルパンはまさしく調和をもたらす要因の主軸となるでしょう。結論めいた事項を何故先走って書いてしまうのか、読者の皆様は不審におもわれるかもしれませんが、わたしは本来脱線を好む人間ではないのです。しかしルパンというのはやっかいで、彼らについてうまく語ることはどんな伝記作家でも小説家でも不可能なのです。わたしは成り立てほやほやの伝記作家あるいは伝記作家の卵なのです。この事実がわたしを勇気づけるのは、いかようにもルパンを語りうるという柔軟性をひとつの担保として見いだすがゆえです。己のアマチュア性を盾にするわけではなく、むしろその逆なのです。激しさを求められる立場の人間はたとえ数瞬であろうとも苛烈なまでにかがやこうとするものなのです。その点わたしのつちかってきた市民性はすべてのルパンが有する冷酷な処世術と対を成しているのかもしれません。もちろんわたしはありきたりな市民ですが、すべては対の概念をもってたがいの輪郭を認識し合うのです。あの日ルパンはわたしに一瞥もくれませんでした。わたしにはそれがひどく理にかなっているようにおもえたのですが同時に何故かひどい辱めを受けているような気にもなったのです。先ほどから足踏みがつづいていることを認めたうえでふかくおわびいたします。わたしははじめてルパンと出会った時のことを鮮明におぼえているのですが語るべきこと、叙述すべきことはほとんどないのです。ゆえにこうして足踏みすることでせめて時の流れをゆるめようとしているのです。しかしこの方法はまちがっており、しかも質がわるいと言わねばならないでしょう。なんせわたしは楽しみながら文字をつづっているのです。本来書くこと自体の快楽は伝記作家にとって無縁のものでしょう。伝記作家とはおもうに禁欲的な職人です。作品そのものにじしんの技術を捧げきるのが彼らの流儀です。わたしの場合、少々異なるのは捧げる対象が作品そのものではなくルパンであるという点のみで、その差はひじょうにおおきく決定的ですが今はまだそのふたつを区別する必要もないようにおもえます。たがいに心底憎み合うことを運命づけられた者たちはたとえ幼少期に友情を交わしたとて、そのなつかしさが決定的な瞬間に何かしらの躊躇となることはないのです。

わたしが「物語る」べきはつまるところルパンと三度顔を合わせたという事実を新聞的にならべるところからはじまるのでしょう。わたしはKITTEの三階ではじめて彼女を、わたしたちのルパンを目にし、その矛盾をかかえた容姿と動作(今になってみればルパンは複雑なのであって矛盾などひとつもないことがわかります)にこころをうばわれ、しばらくそのイメージで胸をいっぱいにしながら館内をぼんやり歩いていると、ふいにその像と三つ目のルパン、すなわちラパンとがシンクロしたのです。こうしてわたしたちのルパンはかたちを得ました。すべてのものはあたらしい名を一度受け入れてよろこぶのが道理なのです。たとえそれが対象の知覚し得ないものだとしても。わたしには彼女の骨太な角ばった顎のラインや分厚いコートの生地感などが物質的に見えたことをここで後付けながらも説明させていただきます。そう、こうしたシンクロが起こったあとではすべてが後手にまわってしまうのです。覆水盆に返らずとはよく言ったもので、わたしのことばはよどみないようでいて、その実自然発生した緊張に満ち満ちているのです。こうした態度のことごとくはルパンから学んだことですし、ふだん無口なわたしが口をひらけばルパンのことばかり語りそうになるのをだれのせいかと問われれば、それはわたしとルパンふたりの名を挙げるべきでしょう。わたしはこのテクストを共著として世に出せないことをこれ以上なく無念におもっているのです。歯ぎしりさえ生むこの感情がわたしの健全な眠りをさまたげていること、つまりわたしは未だルパンにうばわれつづけているのです。わたしのうばわれた眠りのエネルギーがどこか別の場所で有効に活用されていること、それを祈るばかりです。おそらくルパンはうまくやってくれているはずです。それくらいの信用は伝記作者として持ちあわせておくべきだとわたしは考えます。

 

KITTEの三階を適当に周回してきたわたしは当然ながら×印の裏側に置かれたソファー群の前を自然な速度でとおりすぎたのです。その自然さにこたえるようにルパンはすがたを消していました。わたしは残念というよりむしろほくそ笑むような気持でこのあっけなさをよろこびました。もしかするとわたしの口元には笑みが浮かんでいたかもしれません。わたしは×印を超えると四階へとつづくエスカレーターへと折り返しました。前述したマルノウチリーディングスタイルでコーヒーを飲むことがひとつの区切りとなるのをすでに予感していたのです。この時のわたしはまだじぶんが何故高揚しているのかもわかりませんでしたし、いずれルパンと再会することになるとは想像さえしなかったのです。もしかするとわたしは疲労困憊気味だったのかもしれません。他の店舗にはほとんど目もくれずマルノウチリーディングスタイルへとすべりこむとそのまま本屋となっているスペースで何か目ぼしいものがないかさがしはじめました。以前ここでおもわぬ本との出会いがあったのです。しかしこの日は不漁で、というより陳列してある本の種類が以前と変わっていたことが原因でピンとくる書籍を目にすることはできませんでした。それはもしかするとことごとくわたしのせいだったのかもしれません。というのもすでにわたしの脳内ではルパンの印象がふくらんでいましたし疲労もそれなりにたまっていたはずだからです。わたしは本屋のスペースから抜け、日本的なあいまいさで区切られたカフェスペースでココアを注文し、窓際の席で外を見ながら一服しました。直前までコーヒーを所望していたはずなのに、いざ店員と相対してやり取りする段になると急に甘いものが飲みたくなったのです。行為の詳細に何か特別な意味があるとおもえませんが一事実としてもろもろを書きしるしておくことは学術的見地から要請される態度です。こうした慣習やそれをめんどうだと感じてしまう怠惰をルパンにうばってほしいと願うのはあまりにもあさはかで、他力本願で、おもわず自嘲の笑みがこぼれます。しかしご安心ください! ルパンは雇われた場合以外のぞまれた物など盗みはしないのです。予期せぬ物をすばやく、あるいは予期された物を予期せぬ方法で窃盗するのがルパンなのです。わたしはもっとこまかく念入りにわたしたちのルパンのことをしらべるべきでしたが現代社会では個人間でのプライバシー侵害に対して口うるさく言われてしまうものなのです。しかし誓って言えるのはわたしがこの伝記をすこしでも良いものにしようと努力している点で、もしかするとこの事実さえルパンにうばわれてしまう可能性はありますが、わたしとしてはこの熱意をしばらく厳重な金庫のうちにしまっておくつもりです。それがどうなるかはわたしと読者の皆様で最後に確認しましょう。ルパンが勝つにせよ、わたしが守りきるにせよ読者の皆様はまちがいなく楽しめるはずです。ルパンがそうである以上わたしもエンターテイナーとしてふるまうつもりです。これは劇場に対するわたしの愛情のしるしなのですが、この話に関してはいずれ別の場所でつづるつもりです。

窓際の席から丸の内のビル群や眼下の東京駅をながめながらわたしは目撃した老女のこと、すなわちルパンのことを考えていました。ココアを飲みすすめるうちにリラックスし、鼻先をくすぐる湯気がぼんやりした思考やイメージに輪郭をあたえるのを感じました。わたしがこころの内でルパンの名をはじめてさけんだのはこの場所でした。わたしたちのルパンはここで産声を上げたのです。老女が産声を上げる、一見するとちんぷんかんぷんかもしれませんが、ここまでお付き合いいただいた読者の皆様ならご理解していただけるでしょう。これは本来口にすべきではないですが、わたしたちは今確実にルパン―わたし―皆様という共犯関係を円環にしようとしています。わたしたちはいずれまん丸できれいな円になるでしょう。これはある種の予言です。こう書くといかにもじぶんが怪盗を演じているようで気色悪いですが、わたしは健全な市民としてルパンとの境目をはっきりさせておきます。そうした人間でなければ他人の伝記を書くことなど不可能なのです。ココアをゆっくりとすすり、こころの内でルパンの名をさけびながらもわたしはほとんど興奮しませんでした。それは甘美にここちよくねばりつくだけで今のような熱狂を生まなかったのです。そもそもルパンがはじめから好印象ということはめったにないのです。ある程度の理解がないと愛せないのは世の中に存在するほとんどのものにあてはまる事項かもしれません。わたしたちがルパンをながく愛せるのはその理解が永遠に完成しないからです。無条件に愛せる者の愛情、あるいは愛される者への愛情というものは人を愚かにするのです。このような共犯関係をすくなくともわたしたちにおいては決して構築すべきではないのです。わたしたちは甘美な、それでいて緊張した恋愛の上澄みをすくう作業に埋没することとしましょう。こうした抽象的な話をしている間でもルパンはどこかのソファーにすわりスマートフォンを操作しつづけるのです。この事実がどれだけわたしを勇気づけることでしょう! さぁ急ぎましょう! わたしは早くルパンとの再会について語るべきでしょう。そうしないとにっちもさっちもいかないことが山ほどあるのです。しかし共有すべきことがあまりにもおおいというのはひとつの不幸でしょうか? それとも幸福でしょうか? わたしはこのテクストがはじまって以来ずっと前のめりで落ち着きがないのですが、それをふざけてやっているわけではないと何度でも説明させていただきます。もちろんわたしはうまくやるつもりなのです。ルパンは型にはまった方法で処理できる輩ではありませんし、そう語ったところでルパンの魅力は百分の一もつたわりません。わたしはしばらくルパンのペースに合わせるつもりです。彼らがわたしを翻弄するならわたしはよろこんで右往左往しますし、のぞみとあらばさほどおおくない手元の持ち金をすべて献上するつもりですらいるのです。わたしが今「献上」ということばを使ったのはルパンの「適度に冷酷で、獲物を徹底的に追いつめない」という特性を逆手に取るためで、わたしはあの銭形警部とはまったくちがうやり方で彼らを追跡するつもりなのです。わたしは距離感をわきまえた奴隷として、マリオネットとして、だれの目にもたのしくうつるようこころがけています。こうした態度が吉と出るか凶と出るか、わたしには想像もつきません(予想とたわむれることなく結果を前提として書くものをわたしは伝記と呼びません。それは不利な証拠を隠ぺいしてつづった論文のようなものです)。伝記とは小説よりありふれていて、資料的で、専門的で、かわいた魅力に満ちているものなのです。それはそうと伝記作者はしばしば伝記に似ていると聞いたことがあります。

 

これは小説ではないので、あれからわたしがどうやって横浜にもどったかなどしるす必要はみじんもないのです。わたしとルパンが再会したのはそれから三週間後の月曜日でした。二月にしてはかなりあたたかい一日で、港都市に吹く風もおだやかでした。空に雲はほとんどなく太陽もせいせいとしたようにかわいた空気の中で白っぽくかがやいていました。午後一時半過ぎ、わたしはみなとみらいのマークイズで所用と買い物を済ませたところで手には荷物を持っていたはずです。日没以降の別用にそなえて一度帰宅せねばならないことを面倒におもいながらも腹を満たすためにレストランの立ち並ぶ四階へと移動する途中でのことでした。わたしは一階から二階に移動し、そのまま三階へとつづくエスカレーターに乗りこむつもりでした。しかしその時二階の窓に面したトイレ付近のソファーに腰かけるルパンを発見したのです。服装がほとんどおなじだったこともあり一目見ただけでルパンだとわかりました。ルパン! わたしの胸の内のさけびが外にもれなかったのは奇跡的だった、とつづっても決して誇張にはなりません。どんな友人や異性にも感じたことのない新感覚の、それでいてどこかなつかしい高揚はわたしの口角を自然と上げていました。わたしは急きょ三階へと向かうのを取りやめ、たまたま空いていたルパンの隣のソファーに腰かけたのです。KITTEと比較すれば気品はややおとるもののマークイズのソファーもおなじくそれぞれ距離をたもっており、肘掛付きのソファーの座りごごちは上々でした。わたしたちのルパンが個人のプライバシーに関して非常にうるさい人物だということはこれまでの描写からもあきらかでしょう。わたしは警戒心をいだかれぬよう、ごくごく自然にふるまいました。横目で見るかぎりやはり服装はほとんどおなじでしたが直射日光の下で見る水色のカーディガンは毛玉だらけで、こまかなプリーツが印象的なロングスカートはほとんど色褪せているのだとわかりました。つやのない顔からも年齢がはっきりとうかがえたのです。ふかぶかときざまれたほうれい線と額の皺は彼女の人生がおおくのそれと同様に一筋縄ではいかなかったことをしめしていました。正直なところ、KITEEでは年齢不詳で謎につつまれていましたが、ここでおおくのことがおのずと理解されたのです。視覚情報とはなんと雄弁なのでしょう! 大半の状況においてわたしたちは身勝手な判断で謎をつくり、それにひたっているのだと言わざるを得ないのです。よく見ることで紐解かれる謎は山ほどあるのです。わたしたちの悲劇はよく見る者とそうでない者の差異が顕著なことに端を発するのでしょう。さらに言えばよく見る者の状況理解力が経験と共に成長する一方であるのに対し、そうでない者の括弧つきの想像力は脂肪をまとうように肥大するだけで鋭敏さとはほどとおくなっていくのです。観察の上位に想像力を規定することでおおくの物事が真実として日の目を浴びる機会をうしなうのです。ああ、人類がもっと見ることに集中していれば歴史はちがったかたちとなっていたはずなのに! そんなおもいに駆られたことのある人も数おおくいることでしょう。しかしその義憤めいた感情にさえ罠はひそんでいるのです。「見ることに集中する」とは余計な感情をストイックに抑制することです。見ること、想像すること、語ること、すくなくともこの三つを明確に区分し、かつそれらを総合して使用できない人間は伝記作者に向かないでしょう。ではこのわたしはどうか? その判断はやはりルパンと読者の皆様にゆだねるべきでしょう。

職務経歴上、老人とかかわることのおおかったわたしはルパンが七十歳過ぎの健康面にさほどおおきな問題のない人間だと見て取ることができました。この予想にどれほどの説得力があるか、わたしは知ることができません。しかし今はそんな事実関係うんぬんを気にしている場合ではありません。わたしたちは語りはじめたら最後、書き抜くか捨てるかのどちらかを選択しなければならないのです。立ち止まることで見えてくるものもありますが、伝記やその他の資料の作成というのはなるべく時間をかけず一気呵成におこなうのが一番よい方法なのです。その決定的な理由についてもいずれ語る予定です。わたしはソファーで一息つくと、ようやく冷静さを取りもどしはじめたのです。この日はじめてルパンを目にした時の興奮はすでになく、めったにない偶然だとおもえた再会さえ狙いどおりの必然だったのだと我ながらおどろくほど余裕しゃくしゃくの解釈へと書き換えていたのです。一度満ちた潮がはげしく引いてしまうのとおなじようなものだと断言することに抵抗があるのは伝記作者としての態度をころころ変える輩だとおもわれるのがシャクだからです。たしかにわたしは気分屋ですが、それはあくまでもプライベートでの話であり、この場でのふるまいにおいては首尾一貫を徹底しているのです。もしこのテクストが大風呂敷をひろげているのならば、わたしはその中にきれいにおさまってひとつの捧げものとなるでしょう。さあ話をもどしましょう。わたしたちのルパンはまたしてもスマートフォンをとてつもない速度でタップしていたのです。その指のうごきはやはり洗練されており顔つきも真剣そのものでした。わたしもそれにならってジャケットのポケットからスマートフォンを取りだし、何かしらの操作を開始しようとおもったのですが、わたしは適当にアプリを起動させたりメールを確認したりするだけでまともに楽しむことなどできませんでした。意識を基本的にルパンへと向けていた、というのは言い訳にすぎないのです。角にすわったルパンの前には大学生らしき青年がこちらに背を向けて腰かけており、わたしたちとおなじくスマートフォンを操作していました。その前のOL風の女性はスマートフォンを握りしめたままイヤフォンを装着し頭をかがめて過眠を取っていました。さらに前の老人はステッキ片手にあさく腰かけ、連れを待っているようでした。こうして周囲を観察していると、スマートフォンをいう文明の機器をまったく使いこなせていないことをあらためて自覚せざるを得ませんでした。健全な市民にあるまじき怠惰だということは重々承知しています。道具の使用に関してはジャンルを問わず第一に使いこむことが重要なのです。道具とかかわる人間はその道具に関することごとくの情報を得るように努力すべきで、今や生活必需品となりつつある文明の機器となればなおのことです。わたしがスマートフォンを持てあましてしまうのはそれをただしく使いこなせていないからなのです。ちょうど楽器が楽器を演奏できない者にとってただただ不細工な単音を出すだけの物体でしかないように。つまるところ道具にはそれぞれ作法があるのです。作法とは本来人から教わるもの、あるいは見様見真似で学ぶものであったはずです。それができないということはわたしの人間関係がいかに希薄であるかをおのずと露呈してしまうのですが、この話は横に置いておきましょう。それに今はインターネット検索を使えばじぶんである程度の理解を得ることは可能ですし、どちらにせよ問題なのはわたしの怠惰なのです。この今さらながらの事実に多少自責の念をいだきつつもへこたれるほど繊細にできていないのがわたしという人間です。ここでふとおもいついたのがスマートフォンのメモ機能をつかってルパンの様子を描写することで、わたしは隣のソファーに腰かけるルパンを横目でちらちらとのぞきながら文章を打ちこみはじめたのです。そのメモは後日消してしまいましたが作業に没頭したわたしの指はふだんスマートフォンをさわる時よりもずいぶんなめらかで躊躇がないもんだと妙な俯瞰でよろこんでいました。指のうごきが加速するにつれ両目はいつしか画面にくぎ付けとなっていたのです。わたしが後日メモを消去したのはこの理由からです。つまりわたしはあの時すでにルパンの描写を放棄していたのです。最初の数行はきわめて資料的でひかえめな文章だったと記憶していますが途中からKITTEでのいきさつやある種の考察、疑念といったものを書き込んでいました。それは観察者にあるまじき行為、おもい上がりです。あの時の最大にして唯一の目的はルパンの刻一刻をていねいに描写し彼女に関する情報をなるべくおおく獲得することでした。わたしはじぶんで己の目的を裏切った愚か者です。しかしこうした脱線の衝動は伝記作者に必要なユーモアのひとつではないでしょうか? 何もわたしは自己弁護しようとしているのではありません。きわめて一般的な世間話として下等な伝記が全国各地で流布し、もっぱらつまらないと評判なのはそれらにユーモアが不足しているせいだと言いたいのです。くだらない伝記ほどこれが本来の伝記だと言わんばかりの厚顔無恥ぶりで読者をへきえきとさせています。こうした現象は伝記にかぎった話ではありませんし小説や音楽、映画などで具体的な例をだすこともできるでしょう。しかしどこかしこにも牙を向けるこの態度も伝記にはふさわしからぬものです。こうした牙は伝記作者がほほえみを成す唇の裏側にかくしておくべきなのです。人間が持ちうるもろもろの牙はかくれているからこそ価値があると表現するだけでは足りません。むしろかくれていることが存在の条件であり本質なのです。こうしたことばにドイツの批評家の名前を想起した読者がいらっしゃったとすれば、その方は非常にするどいと言わざるを得ません。そう、わたしはいずれベンヤミンとルパンを並行してあつかう論文も手がけることになるでしょう。わたしの考えでは彼らを比較することで「美/窃盗/テクスト構築」の三者関係にメスを入れられるはずです。むろんこの三者関係の解体に関してはすでに手垢まみれでしょう。しかしわたしはこの手で直接施術を行いたいのです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というのはビスマルク箴言の過度な意訳ですが、このことばに順ずるならばわたしは決定的に愚者でありつづけるしだいです。わたしからすれば経験から学ぶだけでも上々なのです。というより人はたいていの場合経験から何も学ばず流してしまうものでしょう。たとえばルパンの職人技は決して歴史のみで身に付くものではありません。経験を基調に歴史を総合し心身の調和を図るのがおそらく最良の手段と言えましょうが実践において問われるのは運と要領のよさであり、数をこなすことによって勢いをつけた感性はみるみるするどくなるのでしょう。ああ、わたしたちはなんと運まかせで緊張感のない綱渡りをしているのでしょうか!

上記の意味合いにおいてお見せしたわたしの牙は完全にイミテーションでした。しかしこれもわたしが駆け出しの伝記作家であるがゆえのミスだと大目に見ていただきたいのです。わたしの皮肉は小説を書こうとすれば伝記っぽくなり伝記を書こうとすれば小説っぽくなる点にあります。こうした特性をことごとく考慮したうえで身の振り方を考えるべきなのです。じぶん自身を理解しておくことは世界と対峙するうえでおおきな武器となるはずです。このことを教えてくれたのはかつて愛読したルパン三世だったとしるせば、それはあまりにも出来すぎた話のように見えるかもしれません。

あの日のわたしの最大の過失は作文に熱中しすぎてルパンが席を立ったのにまったく気づかなかったことです。ふと隣を見てその予期せぬ不在を知るとおもわず目を見ひらき息をのみました。そして周囲をすばやく見わたしましたが、それらしい人影はどこにもなかったのです。まだわたしはルパンについて何も知らないのも同然でした。ゆえにわたしは彼女についての妄想をふくまらせるべくしてふくらませたのです。

すくなくとも最後の記憶ではまだルパンはスマートフォンの操作に熱中していました。この時のわたしはルパンがどんな作業に没頭しているか知りませんでした。何度も液晶画面をのぞこうとしたのですがルパンは手元の絶妙な角度と保護シートでみずからのプライバシーを見事にまもっていたのです。窓際の陽光を受けてしろく反射しつづける液晶画面は秘密保護を徹底する分厚い壁のように見えました。言わばルパンは晴天さえも味方につけていたのです。ルパンの不在をよろこぶ理由などありませんが同様に悲しむ理由もありませんでした。わたしはあの時わずかにあせっただけで、たんたんとその場を去る準備をはじめたのです。二度あることは三度ある、わたしはもうすでにルパンとの再会を確信していたのです。それも近い将来に。勘のするどいタイプではないですが、こうした類の確信は直感を超えているというのが経験則です。おそらく預言とは確信が個人の肉体からあふれることではじめてことばを得るのでしょう。これは預言者―宗教論ではなくルパンに関するテクストなので、これ以上言及するのはよしておきます。すくなくともわたしはルパンを預言者と見なす風潮には反対で、そうした意見とは頑として対立するつもりです。スマートフォンに打ち込んでいた文章をひとまず句点まで仕上げるとすぐさま立ちあがり三階へとつづくエスカレーターへと向かったのです。その時のわたしの軽快な歩調は一足先に春を先取りしたかのようにさっそうとしていました。わたしの内側にあったものがルパンのおかげで芽吹いたのです。これでおわかりのとおりルパンとは決して盗むだけの存在ではありません。窃盗と付与を並行しておこなえること、ルパンの絶対条件のひとつとして挙げておきます。

 

再会は三週間後にごく自然なかたちでおとずれたのです。三月第一週、わたしは朝寝坊した休日を取りもどすべくコーヒーで気合を入れようとしていました。元町のタリーズコーヒーは営業を開始して日があさく内装もきれいのなので人があつまりやすいのでしょう(エクセルシオールカフェの居抜き物件ではあるのですが)。たいてい混みあっており、この日もテーブル席はほとんど埋まりバッグや買い物袋を足元の籠に入れた主婦層メインの客でがやがやとにぎわっていました。こうつづると皮肉と取られるかもしれませんが、わたしがタリーズコーヒーを好ましくおもうのはコーヒーショップであるにもかかわらず店内に充満するコーヒーの香りがうすい点です。コーヒーに関して言えば、わたしは基本的にじぶんのカップから立ちのぼるホットコーヒーの蒸気・香り以外を愛することができません。入り口からすぐ右に折れた奥まったスペースには一人用のソファーが三席分用意してあり、そのうちの二席分がまるっと空いていることを視認したわたしは先に席を取り喧騒と店員たちのあわただしい笑顔と昼下がりの気だるさをこめかみに感じながら「本日のコーヒー」ショートサイズを購入し紙カップではなくマグカップでもらい、折り返すようにしてリュックサックを置いた席へともどったのです。先月末からローベルト・ヴァルザー作品集を読み返していたわたしは本の世界へと没入するため歌詞のない音楽(John Coltrane『Ballads』)で耳をふさぐことにしました。今おもうとコーヒーに口をつけるよりに先に本をひらいたのではないでしょうか? こうした所作がルパンの召喚に一役買ったというつもりはありません。わたしは神秘主義、いわゆる「おまじない」を信頼しない人間ですが事実を羅列することは因果関係を拡大することにつながり結果的に意味らしきものを生んでしまうのではないでしょうか? ゆえに学問や科学的アプローチにはどこか魔術的なところがあるのです。本来出来事に対して解釈が発生するはずなのにいつしか違和感のない速度でスムーズな逆転がおこっており、わたしたちは一度ふかみにはまってしまうと以前の感覚や記憶をすっぽりと失くしてしまうのです。時代や常識が抜け殻をたえまなく過去へ流すように、星々の位置が変化しつづけるようにわたしたちは忘却を常におこなっているのでしょう。人間は出来事のことごとくを引きずって生きることなどできず、それぞれの時代に見合った座標をかえりみてシンボルと認識するのです。時代を超越しうるのは個人のねつ造した概念だけです。しかしこの概念は他人のそれとたやすく結合し、ある種の普遍性をおびはじめるのです。その例としてルパンを挙げることに異論はないでしょう。やはりルパンは偉大な発明品というよりほかありません……わたしはヴァルザーの文章に目をとおしながらぼんやりとルパンのことを考えていたのです。現代日本社会にて巨大企業が営むコーヒーショップの片すみでモダン・ジャズの巨匠のサックスを耳にしながら百年以上前にドイツ語で書かれたテクストを新訳として日本語で読む、この営みにどうして奇跡を感じないでいられるでしょうか? 奇跡は人の想像力や予感をゆたかにするものです。ゆえにわたしがルパンの登場を前にルパンのことを考えていた事実をたんなる偶然と見なすことはナンセンスだと言えるでしょう。コーヒーをちびちびと口にしながら五十頁ほど読みすすめたところでふと集中が途切れイヤフォンを外すと相変わらずの喧噪が耳孔に侵入してきました。ひかえめにあくびをし、冷めたコーヒーを口にして八割ほど飲んだところで何気なく隣の席を見るとルパンが三週間前とおなじようにソファーにふかく腰かけながらスマートフォンを操作していたのです。もちろんわたしはおどろきましたが今になって冷静に振り返るとそれはルパンの登場そのものというよりわたしたちの距離の近さに起因していたようです。ルパンの服装は以前より若干華々しく見えました。間接照明と今まで目にしたことのなかったグリーンアゲートの立派なブローチのおかげでしょう。むろんブローチは前時代的なもので若者が身に付ければ笑い種となってしまう代物でしたが、わたしたちのルパンはそれをオールバックの頭髪に格好よくたたえることができたのです。この事実だけでルパンの気品を感じていただけることとおもいます。スカートは以前より丈のみじかい生地のかるそうなフレアスカートでした。基調となる水色もいやにあかるいため大胆な選択のよう見えましたが高齢者用の合成皮革製ウォーキングシューズの落ちついた色合いとごつごつした印象が総合のバランスをうまく保っていました。さすがはルパン、わたしは外したイヤフォンをリュックサックへとしまいながら彼女のスマートフォンの操作に熱中した横顔をちらちらと観察していました。右手でがっしりと固定した画面の角度はやはり完璧で、のぞき見ることはできませんでした。その時ふと彼女のテーブルに置いてあった黒地のハンカチがぽとりと床に落ちました。わたしはとっさに手をのばしかけましたがルパンとバッティングすることをおそれ瞬時にうごきを止めました。よく観察すると、そのハンカチはきれいに折りたたまれてこそいるものの脂じみてきたならしかったのです。白の水玉は茶色くよごれ全体的に嫌なてかりを帯びていました。しかしルパンの方ではハンカチが落ちたことにさえ気づいていないようでした。その様子にがっかりしたわたしは上半身を折り曲げ少々ぶっきらぼうにハンカチをひろうと、それをルパンに手わたしました。ルパンはわたしがうごいたことでようやくことの次第をさとったようで目を見ながらハンカチを差しだすと、かるく唖然とした表情で紋切型の礼を述べました。ルパンの老人特有のふるえがわたしをひどくみじめな気分にしました。わたしはルパンに礼など言われたくも、そんなふぬけた顔つきを見たくもありませんでした。ルパンはわたしが差しだした物など無言で受け取るべきでしたし、もっと言えば何故傲慢にも手わたそうとするのか、ほこりを払って元の場所にもどせばいいのだとののしってくれてもよかったのです。また彼女は不注意にもわたしからハンカチを受け取る際にスマートフォンの液晶画面をこちらに向けていました。そこに映っていたのは『ポケモンGO』のプレイ画面で中央ではコラッタがからだをゆらしながら立っていました。わたしはあらゆることに愕然としながら、同時に暗澹としたよろこびに浸りながら彼女に話しかけました。できるだけ小声にしたのはわたしたちだけの秘密を作成したいという下心からでしたが今にしておもうとこれが失敗をまねいたのです。

「あなたはずっとゲームに夢中になっていればよかったのです。気品ただよう様子でソファーに腰かけるさまがどれだけおおくの人々のいやしとなっているか、ほんとうは想像にかたくないのでしょう? わたしはあなたが命じさえすれば右腕としてあらゆる作業の補助にまわるつもりです。もちろん報酬はそれなりにいただきますよ。なんせ怪盗の本性は徹底した利己主義にあるのですからね。こうした覚悟が固まったのはついさっきのことです。今日あなたの顔を見るまでわたしはあなたのことなどすっかり忘れていましたが拝見した瞬間、今日のためにじぶんが生きてきたのだとわかりました。いえ、もっとかざり気なく言えば、わたしの精神はとっくに盗まれていたのです。しかしわたしたちはいつまでも「盗まれた者」の立場で出来事を語るのではなく、そろそろ「盗まれた物」の視点から窃盗を見つめ直すべきでしょう。窃盗を二者間でとらえることは本質の看過ではないでしょうか? すくなくともわたしの忠誠心はあなたにさらわれたことをよろこんでいるようです。あなたが意図した窃盗にせよそうでないにせよ、あなたにはわたしの忠誠心を大切にする義務があるのです。それは強者、というより魅力をはなつ人間が引き受けるべき責任なのです。しかし真に魅力を放つ人間はこのことを義務とも責任とも取らずかろやかに立ち回るでしょう。わたしの見込んだところではあなたもそうした類の天才であるはずです。わたしのこのような脅迫じみた態度はたしかに褒められるべきではありませんが厚顔無恥な批判をあびせるのは三流の素人だけのはずです。人生にこうした不可逆な化学変化があることを賢明な人たちはみなさとっているのです。ところであなたはいつからごじぶんの人生に退屈しかないこと、また退屈しかないゆえにそこを享楽で満たすよりほかないと考えるようになったのでしょうか? わたしは何よりまずあなたのスマートフォンの使いっぷりに感服したのです。わたしは名前も知らないあなたのことを人前で平然と先生と呼ぶことができます。ふふ、こうしたことばにおどろいていらっしゃるようですね。あなたはおそらく過去にたくさんの敬意をそそがれてきたはずですが時代はここ数年あなたをないがしろにしてきたのではないでしょうか? この質問に瞳がぐっと引きしまったこと、わたしはしかと目撃しました。贅肉のない品格と一見相対するようなふるまいの成すふしぎなハーモニーがどれだけの相乗効果を生んでいるか、どうやらあなたは自覚していないようですね。仮に知っていたとしてもあなたは眉ひとつうごかさない、そんな人間だとわたしは確信しているのです。あふれ出るこの敬意をもし信じてくださるならば、ここでぜひあなたのお名前を教えていただきたいのですが……いや、やはりよしておきましょう。わたしはすでにあなたの名をみずからの手であたえてしまったのです。戸籍上の名前が今さらどんな意味を持つというのでしょう? ふざけるのもいい加減にしてください。わたしはわたしの好きにあなたのことを呼ばせてもらいます。あなたもどうかわたしのことをお好きな名前で呼んでください。それがどんな名前でもわたしはよろこんで返事をし、いかなる場所でもそのひびきを耳にすればたちまちあなたの前にすがたをあらわすでしょう。大胆にもわたしはあなたに娘がいることをすでに察知しているのです。おそらく一人娘なのでしょう。失礼ですが仲はあまりよくないようですね。いえ、弁明はけっこうです。あなたのような所作やふんいきを有する方が一人娘と仲よくやっていることなどあり得ないのです。あなたはすでに娘さんとうまく連絡を取れない状況にいるのでしょう? わたしが自信たっぷりにこうした質問をすることにあなたは疑問を持つかもしれません。しかしあなたはもろもろの疑問に対してふかい追及をせずとも真実に行きついてしまうのです。その嗅覚こそあなたをルパンたらしめているのでしょう。嗅覚を絶対的な根底としているからこそ、あなたのひょうひょうとした威厳はかろやかなままでいられるのです。鼻が顔面の中央に位置することの必然性、わたしは今おもったことをそのまま口にしています。もうひとつ申し上げれば、わたしはあなたの娘さんに手紙を書きたいのです。むろんテーマはあなたの魅力についてです。そしてあなたと娘さんの関係がいかにわたしを勇気づけているかの感謝をしるしたいのです。しかしあなた同様わたしにその宛先を知ることはできません。わたしの願いをどうかふざけたものだと受け取らないでください。真面目すぎる突飛な願いというものは悲しいかな、その場かぎりの冗談として流されてしまうのです」

ルパンはこうした文言を浴びながらぼんやりとわたしの顔面を見つめていました。その表情は謎めいており、内に秘めた感情を読み取ることは不可能でした。話しはじめた時もその表情はみじんも変化しなかったので想像よりしゃがれていたその声をルパンのものだと認識するのにしばし時間がかかりました。わたしは人の話を聞きとるのがあまり上手ではないのです。想像で不足分をおぎなうとすればルパンがわたしに返したことばは以下の文面となります。

「ずいぶん早口ね。わたしにはあなたが何て言っているか、ぜんぜんわからないんです。この歳ですからね、耳もとおくなってしまって。わたしにはたしかに一人娘がいましたよ。でも、もうずいぶん前に亡くなったんです。娘は駆け落ち同然で家を出て行ったんですよ。家の人は非常にきびしい人でしたから、わたしはだまってあの子を見送るしかなかったんです。今でもあの晩のこと、夢に見るんですよ。笑ってしまいますよね。もうこんなお婆さんなのに」

ここまで述べたところでルパンは荷物を手早くまとめ立ちあがりました。

「このあとお友達と会う予定があるので、今日はここまでにさせてもらいますね。ハンカチをひろってくれてありがとう。あなたみたいに若い人と話す機会ってふだんないから、とっても新鮮だったわ。耳が悪くてごめんなさいね。ではまた、どこかでお会いしましょう」

ルパンの表情はいつしかいきいきとし、口元には笑みを浮かべていました。この場を立ち去ることがそんなにもうれしかったのでしょうか? すくなくともわたしは自己卑下的にとらえません。彼女にこのあと会いに行く友人などいないことはすでに明白ですが口からでまかせの、吹けば飛ぶ羽毛のようなことばを全力で支持するとしましょう。ルパンとやり合うにはあからさまな嘘にもちくいち反応して見せるべきだというのが持論です(この点銭形警部は中途半端で徹底性に欠けています)。ルパンは立ちあがると飲みかけのコーヒー片手にさっそうと店内を立ち去りました。背筋をぴんと伸ばした彼女の歩行はすみやかで無駄がありませんでした。口角はきゅっと引きしまり力づよいまなざしで前方のみを見すえていました。わたしは三週間前にマークイズでルパンを見失ったことをおもい出し、すべてに納得したのです。ルパンの伝記を書かなければならないと考えたのはこのタイミングでした。決断はきわめて迅速だったのです。その場でさっそく構成を練りはじめ、もう二時間ほど無料の水だけで混みあった店内に居座りました。何という横暴でしょう! 「お客様は神様」といった姿勢をわたしがいかに嫌悪するか、ルパンやその崇拝者の主義と相反するかを考慮していただければ想像にかたくないはずです。にもかかわらずわたしがメモ帳に乱雑なことばとアイディアをしるしたのはひとえにルパンへの情熱のせいでした。もちろんわたしはわたしの罪をみとめたうえで原因を語っているのです。ルパンに毒される人間はおしなべて無謀な輩です。自身の性質を冷静にとらえることのできない社会不適合者がおおい、とつづってしまえばしかるべき機関からお叱りを受けるでしょうか? しかしそうした人々によってルパンという存在は支えられています。つまり共有された概念とは注がれた熱量の総和なのです。ああ、わたしはここにきて何かおおきな間違いを唐突に犯してしまった気がします。このテクストは急ぎすぎているのでしょう。あれから一度もルパンに会っていません。すくなくともこのテクストを完成させるまでわたしたちが再会することはないはずです。わたし自身それをのぞみませんし……とこちらの都合をしるすことがどれだけ傲慢な態度か! お前に選択肢など一度もなかっただろう! わたしにはみずからを打擲する必要があります。願わくは読者の皆様に一発ずつもらいたいところです。そのためだったらわたしは元町のタリーズコーヒーにいつまでも居座る覚悟です。わたしはコーヒー一杯と水だけでどれだけ粘れるか試しますが、足をはこんでいただければ好きなドリンク一杯くらいはこちらの負担で提供しますので。わたしの風変わりなやり方に皆様を巻きこむつもりは毛頭ないのです。ところで以下のテクストは純粋な資料として読まれることを推奨します。今一度これは小説ではなくただの伝記であると念を押しておきます。慎重に慎重を期す、それでいて大胆に踏みこむ、それがつたない読書で学んだわたしなりの伝記作家の方法です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ルパンがだれも愛さんってゆーたからあたしもそうしただけやんけ、って言いたかったけど、そんなんゆーても時はもどらんし、過去を悔やんどってもしゃーないやんって作やんにも言われたっばっかやったけど、あたしはあん時、もーどーしていいんかぜんぜんわからんかったから、とりあえず予定どーり死んでみることにしたんやわ。ってゆーか、あたしがどーやって死んだかなんて、どーせだれも興味ないとおもうけど、やることも特にないしな、とりあえずテキトーにやらせてもらうわ。そもそもこれ、だれかに聞いてもらうことゼンテーにしてへんしな。ジコマンやん、ただの。

 

てゆーかさ、ペンギンのまくら、あたしがどんな気もちで捨てたかわかる? どーせなんもわからんのやからさ、あたしにかわまんといてよ。好きにやらせてよ、依存しとったもんはぜんぶ捨ててくんよ、オトンも、ネトゲも、スマホも、友だちも、ルパンも。

 

さみしーから浮気どーこーとか、あたしそんなんシュミちゃうしな。ドンキ前でどんぎまって鈍器もって、ってそれなんかの歌詞やんな。リリック? よー知らんけど、アキラとかサトシとかラップめっちゃ好きやったなー、アイツらん家、CDとゲームばっかやしな。あと、よーわからんダッサいカードとダーツ。あれ、あいつらテキトーに置くから針アブないねん。あんなきたない部屋でサングラス踏んでキレられるとか、マジ意味わからんしな。とりあえずあたしはイゼザギ町のドンキおって、あそこ、キャッチとかナンパの数エグいやんか。あの日も熱帯夜やぁゆーとんのにスーツとブリッブリンのネックスさげて、マジアホみたいやろ? むかしとちごーてホストっぽいんはもうぜんぜんピンとけぇへんから、だいたいシカトしよったんやけど、ルパンはなんかちごーたんよね。ルパンがゆーんは、あたしらずっと前にどっかで会うとるらしいわ。何回聞いてもへらへらしよるばっかやから、あたしも、もうええわ、ってあっちのマンション出たんよね。たぶん、もうそれも半年とか? そんくらい前の話。あたしはまだカエデさんとこでキャバやっとって、店変えたばっかで、おまえぜんぜん落ち着かんなって、そりゃあたし関西そだちやもーんって、テキトーにごまかしても、まぁ太客は何本かもっとったし、どーせこーやって生きてくんはわかっとったし、いつピンサロに流れるんとか、ブクドミ町のソープ紹介したるよとか、あんたさすがに失礼すぎひん? みたいなんもめっちゃおおくて、こんなんでストレスためるとか、そんなガキちゃうし、地方のキャバ嬢なんてたかが知れとるってわかっとったし、夢おって東京行くヤツもおったけど、たいがいイタイ目ぇ見よるみたいやし……でも、あたしらやって夢くらい見たってええやん。寝て見る夢はみんなすんなり受け入れるんやから、起きて見る夢ももうちょい堂々とさせてや。まぁそっちの方がバカげとるってゆーんはあたしもサンセイやけど。

 

あたしが子ども欲しなかったって、どうしてそんなひどいこと言いきれるんやろね、ルパンは、あたしをキズつけるのが大好きなんよ。あたしといっしょにおって、あたしをかたくなに抱かんことで、あたしがキズつくって勝手にタカくくっとんよ。半分あたっとんやけどさ、あんた、さすがにナル過ぎてキモいで、ってゆーても、ルパン、ずっと笑っとるだけやん。あたし、けっきょくルパンにさわられたことってほとんどなかったわ。きたないってマジでおもっとったんかな……とはぜったいにおもわんし、ってゆーかそんなんシュミちゃうし、酔っ払っとる時にだっこしてベッドまで運んでくれたんはおぼえとるけど、あたし、あん時めっちゃ酔うとったし、記憶もとびとびやし、こうやって死んでまうと記憶ってどんどんアカんなってく感じもあって、ってゆーかじぶんの意識みたいなんもちょっとずつうすうなっとる感じもあって、でもぜんぜんこわくはないんよね、なんか、ゆりかごにゆられてるみたいなんやわ、目ぇ閉じると、フユーカン? よーわからんけど、そんな感じやねん。

 

今あたしがどーなってるかってゆーとな、それもネタバレみたいになんねんけど、今三つ子になってん、こんなん笑うやろ。どーせいつものウソやろってユリアとか言いそうやけど、これがホンマなんやって。あたし、今三つ子のひよこになってん。まだ赤ちゃんやねんで。めっちゃふわふわやで。とりあえず他のヤツラめっちゃ色黒いから、たぶんカラスなんやとおもうわ。ホンマはもうちょいかわいい鳥がよかったんやけどなー、まぁ、きっとバチでも当たったんやわ。毎日オカンが運んでくるまっずい飯を三人で分けてんねん。オカンってゆーてもアレやで、鳥やで。あたし、ちっさいころからオカンおらんかったから、なんかシンセンやわ。あたしもこーやって赤ちゃんやった時はだれかにメンドー見てもらっとったんやなーって、なんかしみじみしてまうわ。きっと、あたしが赤ちゃんの時にはこーやってあたしん中にもだれかおったんやろうし。どーせこんなん順ぐり順ぐりやろって気ぃするわ。

 

オカンが何ゆーとるかはショージキぜんぜんわからんけど、たぶんあたしら三人のこと、ってゆーてもぜんぶあたしなんやけど、めっちゃ大切にしてくれとんのはわかるんよね。なんかな、あたしら見る時、目ぇめっちゃきらきらしよるし。あたしはやることないからずっとピーピー言いながら、せっまい巣ん中でふわふわ合戦してんねんけど、これがちょっとクセになるんやわ。われながらめっちゃふわふわやで、ヤバいで。フミやんのあの、マシュマロおっぱいやん。HよりのGな。あの子、ニューリンコンマくて、色もピンクやったなー。アレはちょいシットしてまうわ。顔はまぁアレやったけど、デブっとるわけちゃうし、アイキョーあるからやっぱ人気になるんよね。場外から何本も太客つくったって話もマジやし、セクキャバやっとったんもあるんか知らんけど、色恋すんのもあーゆー娘はうまいんよな、あたしなんか、マジどんだけ黒服にイヤミ言われたか。あん時は殺したろかっておもったけど、まさかじぶんが先に死ぬとはおもわんかったわ。あたしがどーやって死んだかは、これからまたおいおいな。ゆっくりやろーや。オンナノコせかすんはきらわれるで。いろいろしゃべんのにはな、バックボーンってやつが大事やねん。

 

死んだ時までずっと体重気にしてて、これで40キロ切ったかなって、じぶんの血ぃ見てアタマふらんふらんしながらおもったんよね、おかしいんも、くるっとるんもわかっとるよ、あたしはずっとフィクションみたいって言われとって、そんなん体験してないから言えんねん、って相手にゆーこともあればシカトしてつぶやくこともあって、ってゆーか、エアリプでどーこーするパリピなんてみんなクソやん。リリパ、渋谷、恵比寿、リキッドルーム、六本木、イエロー、ワンオーク、どーでもええし、あたしはそれ見てなんて言えばいいん? たのしそうだね、って標準語でるわ。スタンプとイイネ連打でごまかすしかないやん。ウケる、ってあたしめっちゃキライなことばやねんけど、そんなかるーいことば、口からぽんぽん出てくるわ、こんなんやったら痛客相手にしてる方がマシやん、って何べんおもたことか。

 

十六で生んで、あの子はすぐに死んで、認知せんでよかったってアキラはゆーて、あたしはなんかまちがってるっておもったけど、涙も出んくて、けっきょく病院で一回しか抱けんくて、そん時にもっとかわいがってあげたら結果は変わったんかなって、考えてもしゃーないこと、死んでもくよくよしてんのってマジでアホやん、ってゆーか、そんなんまだ引きずってるんだ、キャラにないわー、とか平気でゆーてくるやつもおるけど、ルパンはそーゆーあさはかなことはせんくて、もっと、スパッとあたしをキズつけるんよね、なんてゆーか、カクシンハン的? みたいな? 毎年あの子が死んだ日にはモクトーしとるし、スマホの予定表にも入れてあるし、アキラは最後まで信じてくれんかったけど、クッソ野郎やったけど、あの子の父親はぜったいにアキラやったし、たしかに円光もしよったけど、そんなん生でやるわけないやん、あたしやってそこまでバカちゃうし、べろべろに酔ったオトンにも一発殴られたけど、あのひとにそんな権利あるわけないってゆーんは今も変わらんし、ってゆーか、あたしのソーシキにも出んといてほしいわ、もうとっくにそんなん終わってるんやろうけど。ルパンはぜったい泣いてないんやろな。てゆーか、ソーシキにも出てないんちゃう? あんのサル顔のクソもみあげ引っぱったりたいわ。あたしやってルパンのために泣いたことなんて一回もなかったし、それはきっとおたがいさまなんやとおもう。だってそんなん、ぜんぜんあたしらしぃないもん。それにしても一回ヤっただけでカレシ面すんのもめっちゃ腹立つけど、ぜったいにヤろうとせんってゆーんはそれ以上やわ。あたし、これでも大箱でそれなりにかせぐ女やで? 金ツんでまでホテル行こうとするヤツも山ほどおんのにさ。

 

おまえ口悪すぎ、ってだれにものゆーとんねん。ホスト上がりの黒服がイキんなや、ってヒールでケリ入れたこともあるわ。そんなん話すと、その店治安わるいんだね、ってここら一帯もとからめちゃめちゃ治安悪いやんけ。中二のあたしを舐めまわしながら、ツレにマワしながらムダにテクだそうとしてくるハゲオヤジとか、シャブやってとんだバカップルと出会ったんも、実家以外でほんもんのあっち系見たんもここがはじめてやし、ってゆーか○○公園やって、なんかセレブっぽいふんいき出しとるけど、夜んなるとマリファナの売人うろついとるってけっこうゆーめいな話やん。べつにあたしはあたしをセイトー化するつもりないし、じぶんがクズで、けっきょく借りたゲンナマもそのままにしてとんじゃったってゆーんも自覚しとるし、まわりにメーワクかけてばっかの人生やったけど、あたしはじぶんがキズつけられるんをそのままにしとけるほど大人ちゃうし、そんなんケンカ売られたら買うんがジョーシキやとおもっとるタイプやから、なんでそんなわざとらしい関西弁なの? とかナメた感じでゆわれたら、そりゃ手ぇのひとつもでるし、ちっさいころから守ってくれるひとなんてだぁれもおらんかったし、ジコボーエイってことでたいがい話もつくやろ。オトンはまただれかのケツ追っかけまわして、あいかわらず派手な女が好きで、ほんまクッソどーしよーもない、二人目か三人目の「おかあさん」が路地裏で客とディープしとるん見て、めっちゃキレてるやんってユリアと爆笑した記憶あるけど、あれももう何年前って感じで、たぶんまだあたしはハタチんなってなくて、アキラかサトシとくっついたり別れたりしとって、咲夜とかケンジとヤッて、まわりにビッチって言われまくっとったころで、そんなん中学ん時からみんな知っとることやんって、円光やってあたしだけやなくてナギサやってアヤカやってやっとったのになんであたしだけ責められんの? アイツらやって、テキトーに浮気して、マルチはまって、目ぇひんむいて、あたしん財布ん中からゲンマナパクって、そんなん宗教やんってゆーたらあたしの腹蹴ったやん。アキラやって前の日にさんざんあたしんこと抱いとるくせにさ、顔は商売道具だから殴らん、って男気見せとるつもりのとことか、めっちゃダサかったし、そんでその後ハグとかよしよしとか、これラズド・ブレンズやん、あんたはニジギドリョーかって、あたしは永沢マザミかって、たしかに何回か似てるって言われたけど、まーあの娘とくらべるとおまえは胸ないけどな、ってマジホンマなんなん。そー言いながら首? うなじ? のにおい嗅ぐ客とかいて、すんすんすんのとかマジキモいから。細客のくせにアフターとかナメとんの? あたしがあーゆー時に黒服呼ばないおかげで、どんだけのクズが助かったとおもっとん? あーゆークズはじぶんだけ特別やっておもっとるからタチ悪いんよね。そんなにセックスしたいんやったら、もうちょい行けばソープあるやん。紹介したるわ。トイレまで追っかけてきてライン教えて~とかマジバカすぎ。はぁ……ちっ、なんか死んでもずっと人の悪口ゆーてるじぶんが、あほらしーなってきたわ。めっちゃ喉かわいてんけど、ちょっと、オカン、オカン、どこ行ってんよ。ちょっと、オカン!

 

カラスなんてぶっちゃけぜんぶ見た目おんなじやけど、でも、なんでかオカンかオカンやないかだけハッキリわかるんやわ、なんか、話がぜんぜんまとまっとらんのはわかっとるんよ、でもな、あたしの二十四年の人生、今さらどーやってふりかえるかなんてさ、そんなんあたしのジユーやん? ってゆーか、ショーミな、どっから話してえーかわからんのよね、あたしの生まれから? なんかそんなんインタビューみたいやん、別にそんなんしたいんとちゃうしな。てゆーか、なんであたしはずっとしゃべっとんやろ? さいわい他にやることないし、三人にわかれとるから、作業コーリツ三倍やしな、これ、ちょっとヤバいよな。キャバんの時ならガムとかあったらな、ずっとそれ噛んどったんやけど。あたし、前室で最大四時間キシリトール噛んどったからね。むかしのやっすい板ガムとちごーて今のんはちょっとええガムやったらずっと味するし、ふやけへんしな。やっぱ、あーゆーんがええわ。あたしはずっとうごいとんが性に合っとるんかもしれん。ビンボーゆすりはやめなよ、って何回もルパンに言われよったしな。ルパンはなんか、ホンマにビンボーゆすりイヤやったみたい。爆笑やわ。あん時だけトーンちゃうかったしな。あーゆー時、あたしがもっと女子っぽくかわいーしたら結果ちゃうかったんかな、ってそんなマイナス思考はやっぱシュミちゃうし、あたしはじぶんの意思で死んだんやから、今さらおもいのこすこともぜんぜんないはずやん。しいてゆーなら、歯ぁのホワイトニングして、キョーセイもしときたかったわ。しっくたな、そんくらいの金ならあったのに。肩とかこんの、歯並びのせいとかってよーゆーやん? ハタチん時に猫背はジリキでなおしたから、たぶん噛み合わせがわるいんやわ。

 

三人でずっとすりすりふわふわしとんって、よー考えたらビンボーゆすりといっしょやん、こっちの方が気もちええけど。

となりの木ぃのカラスがずっとこっち見てんねんな。あのネット~とした感じ、どっかで見たことあんねん。アレ、たぶん、勝手にあたしのこと好きんなってストーカーしよったヤツやで。豚ホルやろ、たしか。夏とか汗ヤバかったやん。アイツも死んだんやわ。しょもーないサラリーマンなったって里やんから聞いたけど、それもどこまでホンマかわからんしな。豚から鳥んなって、最後牛んなったら焼肉セットやんな、ウケる。てゆーか、あたしなんか勝手にAV出とるとか言われよって、あんなんマジでメーヨキソンやで。あれ、里やん否定しよったけど、ぜったいアイツもテキトーなことゆーとったしな。裏とってもアイツしらばっくれよってさぁ、ずっとシューチャクするんもめんどいんやって。サトウさんとか、△△のコモンベンゴシとか言いよったし、ここらけっこうユーメイなベンゴシさんおおいってジマン話もよー聞いてきたやん。うちらの中学って、ほんまのクズかエリートか成り上がりかの三択? みたいな? アオガクとかケーオーボーイの合コンとか、クッソくだらんやろ。けっきょくアイツらあたしらんこと見下しとるってなんでわからんのん? ミカとかマジでシュミ悪すぎ。どー考えてもあんなんヤリチンやん。セフレになってもしゃーないやんって。あーゆーチャラ箱いそうなイケメン風とか、どーせテキトーにやっとんやって。インスタのアレ、マウンティング合戦、的な。タカノゾミして大手のリーマン狙うんやったら、せめて三十オーバーにしぼろーや。マジであたしらなんて基本クズなんやから録画したロンバーとかコットダン見て笑っとりゃええんやって。こーゆー時に、むかしはあたしも……的な話すると、やんややんや言われるん目に見えとるやん。みんな知っとることやし、もう過去のことってわりきっとるから言えるけど、たしかにあたしやってホストにハマったわ、アスカに何百万もつぎこんだし、カイトでも百万くらい溶かしたんちゃうかな。まぁ言ったら、ぜんぶ黒歴史やん。でも、一年かそこらアソんで、キズついて、そんでけっきょくあーゆんはマボロシやなってこりたんやからえらいもんやろ。だから、オトンとあたしはぜったいちゃうんやって。あたし、アホでもいちおうガクシューするんやから。

 

そろそろマジで腹へってきたかも、っておもうとオカンはだいたいベストタイミング、ってゆーにはちょっとおそいんやけど、びゅーんって紙ヒコーキみたいな飛び方して帰ってきて、ぜんぜんうまないエサをくれるんやけど、あたしはむかしからバカ舌やったし、そのおかげでこーやってバクバク食べれるんやなっておもう。そこにカンジョーなんてなくて、ただただそうなんやなーっておもう。

だってあたしはちっさいころからひとりやったし、ほんもんのオカンは写真でしか顔知らんし、食べ物にこだわることなんて小学校あがるまで考えられんかったし、学校の給食だけがマジでたよりのツナで、ってこれはあたしがツナ缶ばっか食っとったってゆーんとちょっとかけとんやけど、アキラにもおまえツナばっか食うよなってよー言われたわ、まぁええわ、近くに住んどったタツキファミリーはずっとやさしぃしてくれたけど、運動会であたしの分までお弁当つくってくれて、リレーいっしょに走ってくれたんはユカちゃんやったけど、ヨシキくんの都合でみんなそろって鹿児島にひっこすってなったら、そんなんあたしも連れてって、なんて言えるわけないやん。あたしのホゴシャはあくまでもオトンなんはソーダンジョのおっさんらがバンバン家の戸ぉたたかんでもわかっとったことやもん。タツキはあたしが変な目で見られとん知っとっても話しかけてくれたし、おかげで友だちもできたってわかっとるし、あれからもしばらく、ホンマにめっちゃ好きで、あたしもオトンの都合でこっちん越してきてバタバタしよったけど中学上がってからもずっと好きやって、そん時はもうおたがい直では連絡とらんようになっとって、あたしはいっちゃん仲良かったエリカとメインで連絡しよって、エリカからタツキが鹿児島で彼女つくったってきいて、あたしはぜんぜんショックなんか受けてへんふりして、そのまま電話切って、そっからあっちの子ぉらの連絡にもどーこたえていーんかわからんなって、部活でいそがしーとか、ホンマはずっとキタク部やったのにメールでウソつくんとか、なんかだるくって、電気切れた暗い部屋で時間とかごまかしながら文章考えてるとき、ってゆーかあん時はパケホのガラケーやったなー、なついわ、そう、そん顔が机の上の置き鏡にふっとうつってもうて、なんやホンマぜんぶむなしなって、あたしたぶんあん時にはじめてリスカしたんやわ、おまえも女やから痛いんはそろそろ慣れとるやろ、ってオトンはきたない歯ぁ見せて笑って、ずっと部屋ん中でタバコばっか吸いよって、たぶんあたしがオカンに似てくんがずっとイヤやったんやろうね。酔った時にあたし見て、オカンの名前呼んだ時はマジで全身がぞわーってしたわ。でも、そんなんで殴られる意味がわからんしな。

 

タツキは今ごろなにやっとんやろ? アヤミはあたしんこと覚えとんかな? ヨシキくんとユカちゃんはあいかわらずバカップルなんかな? みんな、ちゃんとしあわせなんかな? こーやって死んどらんとええけど。ケータイ変えた時に連絡先のこさんかったのはあたしやし、ずっとシカトしとったんもあたしやけど、今んなって、そんなん悔やむなんておそすぎするし、それやったら、あん時全力で甘えてみるべきやったし、ふたりなら、タツキなら、たぶんなんとかしてくれたんかもしれんけど、あたしはちっさいころからずっと人にメーワクかけるんがイヤやったし、それにそーゆーんに期待して裏切られるんもこわがってて、他人の純粋な好意とか、じぶんに向けられるわけないやんっておもってて、たぶん、それは今もおなじやって、だからこーやってなんかをごまかすみたいにずっとしゃべってて、あれからもしかするとあたしはずっと止まったまんま、カラダだけ大人になって、ってコナン君とテレコやんな、むかし写真で見たオカンの見た目とそっくりになって、ってゆーかすこしでも大人に見られたくてメイクするんも早かったし、だれかにカラダ売って、金かせいで、そーやないと生活できへんかったし、高二まで円光やってたんはぜんぶ、あたしが、必死で生きてくための努力で、なんであたしだけこんな苦しいんやろって、いつの間にか彼氏になっとったアキラはすぐ生でヤリたがったし、あたしが目の前でリスカしてもシカトしよったし、そばにいてほしい時もずっとゲームばっかしよった。あたしはもうタツキファミリーに合わせる顔もないくらいよごれとって、じぶんがいつまでもタツキんこと引きずっとんのもキモくて、思い出の中であの四人はずっとキラキラしとって、あたしはじぶんの想像ん中でもぜったいそれにさわれんくて、ってそんなんクソほどどーでもええわ、ってわざとでっかい声でさけんで、そんな朝がめっちゃ前にあって、ビルのあいだのせっまい路地裏で朝日あびて、ふとったネコとカラスがべつん場所でゴミあさとって、なんでか店からパクっとったつめしぼぶん投げて、殺すぞってまたさけんで、こころの底からじぶんのことがイヤんなって、それでも二十四までなんとか生きたんやから、だれにも理解されんでも、あたしはじぶんとしてはよーやったとおもうし、こーやって、オカンの口から出てくるどろどろのエサ食いながら、ずっと三人でふわふわしとんがたのしいんよね。でも、ひっきりなしにしゃべっとるようで、じつはあたしの意識もとびとびになってきとんはじぶんでもわかっとんねん。ちょっとずつな、こーやって死んでくんやなって感じ。じぶんってもんがドバドバの水でうすーくのばされてる、みたいな。キッチョムのボトルほとんど水やーん、みたいな。たぶん、一週間もしたらあたしはもうどこにもいなくなっとんやろうな。もしかしたーらまたべつの生き物になるんかもしれんけど、それはそれでだるいし、なんとなくそれもないような気ぃするんよね。でもわからん、ってゆーか、さいしょ死んだ時もべつにこーなるって知らんかったしな、次がどーなるかなんてよー考えたらぜんぜんわからんわ、でもな、たぶん、このままなんもなくなるんやとおもうわ、それがもののドーリやって、よー北村先生も言いよったしな。だんだんだんだんうすーく、ひきのばされーて、そのまま消えちゃうんやろな。それがええわ、うん、だってもともとそーゆー計画やったし。

 

おまえまだ若いんだから勉強せぇって言われても、やりたいことなんて特にないし、しいていえばNY住みたいってゆーんはあったけど、英語なんてぜんぜっんできへんし、チナツはガラにもなく英会話教室とか行っとったけど、あんなん効果なんてだれもわからんしな、西口んとこでカラんできた外人相手にペラペラそれっぽくしゃべっとったんやって、それがホンマかどーかなんかわからんしな。あんなんほぼほぼボディーランゲージ? やろ。チナツみたいなゴツいタイプはそもそも外人に受けんねん。

アキラもアホのくせにあたしには強気やった。たかが□□高校出とるくらいで何いきっとんねん。あんたも勉強なんかせーへんやん、ってゆーと、おれはラップ聞いて、ヒップホップの歴史しらべて、リリック書いてるから、そんだけ日本語にがっつりふれてるから、てか、おまえマンガすらまともに読めねーじゃん、集中力なさすぎ、とかマジウザすぎ。

 

あたしが最近、坂口ゲン太郎とか星野ケンとか好きってゆーと、おまえミーハーじゃね? シュミ変わりすぎだろって笑われて、あーゆー系の顔がもとからタイプやったしってゆーたら、みんなしてディスってきて、それやったら一番ちかいの店長じゃん、店長と付き合えや、とかマジでウザすぎ。あたしがガンギレしてもずっと笑っとるから、なんや途中から悲しなってきて、ってゆーかこわなってきて、あたし金だけバンッて置いて帰ったんよね。こっちのほうがドラマみたいやろ? 店出てマンションまでタクシー乗ってる時にルパンから電話あって、たぶんなんも知らんとかけてきたんやろうけど、あたしはそのタイミングで電話くれたことになんかな、めっちゃ安心して、ちょっと笑ってまうんやけど声聞いて、なんやろな、マジ落ちつくわぁとかキャラにないこと言っても、茶化さんでおってくれて、どうした? なんかあった? とかマジトーンで言ってきて、そんなんにかるくキュンってするとか、なんっかじぶんでもキモいなってツッコみながらも、なんでやろ、なんでかちょっとだけ涙出て、あー、今もおもい出すだけでもヤバいわ、あたしが石垣とか利尻でリゾキャバやりたいってゆーたら、それはそれでいいとおもう、そっちの方がココアのためになるとおもう、ってゆーてくれて、それはたぶん、あたしがうまくやってく唯一の方法やったんやけど、ルパンはおれも行くとか、ついてく、みたいなことぜったい言わんくって、そんなんはじめからわかっとったんやけど、それが変にくやしかったんはおぼえとる。ルパンがあたしんこと、どーおもっとるか、けっきょくあたしは最後までなんもわからんかったし、そこに関してはいっさい努力もせーへんかった。それはみとめるしかないジジツやわ。あたしはルパンのこと、なんも知らんくって、ルパンがどこでどー育ってきたか、どんな恋愛してどんなトラウマあるかなんて、ぜんぜんキョーミないけど、ルパンがあたしの自殺をすこしでも悲しんでくれたんかってゆーんは、ちょっとだけ気になるなー、とかやっぱダメやん、じぶんキモいって。

 

お茶っぴきとか、営業電話とか、やっとるヤツはずっとやっとるし、客が仕事の話しかせーへんなら、それ聞かんふりしてテキトーに相づちでもうったり、水割りつくったりすりゃええのに、変に仕事の話入ろうとするからめんどいし、客からもキラワレんねん。そんなんハコのおおきさなんてカンケーないから。チョーシのんなや。キャバ来とるからってかならずしもウチらとしゃべりにきとるわけちゃうってこと、ちっとは学ばなかんわ。それに年末なんてよけーそうやん。てか、一件目でウチんとこくるってメッタにないやん。そんくらいジョーシキやん。そこまであたしが仕込むヒツヨウあんの? とっろいふりしてなまけんなや、アタマつかいーや、って。世の中そんな甘ないし、じぶんの力で勝ってくんがシホン主義ってもんやろ? あたしはよーわからんけど、なんの努力もしとらんようなオッサンが政治家たたいとんのとか、なんやえっらそうなことゆーとんのとか、ぜったいおかしぃおもうし、けっきょくじぶん以外のおいしいおもいしとるヤツらひがんどるだけやん、そんなん。それやったらじぶんで勝手に政治家にでもなったらえーやん。そんくらい努力して、それでもうまくいかんかったらグチでもなんでも聞いたろってなるやん。いーこいーこのひとつだってでてくるもんやろ? テキトーにクダまくおっさんなんて、けっきょくどこんでもおるし、酔っ払って道の真ん中でリバースしたり立ちしょんしてもザイアク感なんてきっとみじんもなくて、生きとるじぶんがどーしよーもないってわかっとっても自殺する勇気とかセイギ感すらなくて、保険金で借金とか家族とかどーにでもなるし、あんたひとりおらんところで世の中なんも変わらんし、ってゆーか死んだ方がマシんなるくらいで、あたしはずっと、ずっとオトンみたいな人間がキライやし、じぶんに何が足りへんかなんてじぶんで考えるしかないんやって。そこまで人にメンドー見てもらおうなんてあまいし、そんなヒマなヤツなんてどーせろくでもないんやって。だいたいヒマで金のあるやつなんてソープ行くか競馬やるかFXやるかの三択で、どっれにしてもうさんくさいやん。あたしもゆーてしまえばじぶんの人生から逃げたんかもしれん。でも、あたしはじぶんのケツじぶんでふいたわ。どっかのだれかさんみたいにサイムがどーこーで首が回らんとかなかったし、しいて言えば部屋ん中のどっかに返してないDVDがあるかもなー、くらいな話で、それもきっとルパンならさっとすませてくれるはずやし、ってそれはルパンに期待しとるんやなくて、ルパンがそーゆーセイカクってだけの話やし、意外ときっちりしぃのとこあるんやねってゆーたらへらへらしよるばっかやけど、半ドーセイ? しよったらたいがいのことわかるし、洗タクモノはどーせいっしょに洗うんやし、あたしはじぶんのこと以外やらんタイプやけど、たまにネット見てプリンとかケーキとかつくったし、ハーゲンダッツとかスタバのフラペチーノとか買ってあげたし、それは見た目とちごーて甘いん好きって知っとったからやし、つくったんはうまいとかぜったい言わんかったけど、ぜんぶ食べてくれるんはやっぱうれしかったし、じゃあデザートのあとはあたしも食べてって、ジョーダンでテキトーにゆーとけばなんか結果は変わったんかな? ココアはひとりでも大丈夫そうだから、って言われた時になんか言いかえすこともできたんかな? ってそーゆーマイナス思考はホンマにイヤやから、あたしは今もこーやって前向いてるし、ここがどこなんかも知らんけど、もしあたしら三人が成長した時にも、まぁたぶんないやろけど、この意識がちょっとでものこっとったら、あたしはたぶんじぶんがどーなったか見に行くやろうし、そん時はたぶん、一回あの町もどってルパンとかオトンのようすもかるく確認するんやとおもう。そんで、もし行けそうやったら鹿児島まで行って、タツキファミリーがどーなっとるか、そんだけ見れたらもうホンマにやることないわ。てゆーか、そもそもあたし飛べるんかな? 羽? ウデ? うごかすんはべつにかんたんやけど、こっからとびおりるとかマジこわすぎやん。どっちかってゆーと、ずっとゼッキョー系とか得意やったし、高所キョーフショーとかやないけど、今すぐ、こっからとぶんとかは無理やんな。だって、まだあたしら三人ひよこみたいな感じやし、オカンとくらべたらカラダの色とかおおきさとか、ぜんぜんちゃうしな。まーけっきょく、三人でずっとふわふわしとんがいっちゃんたのしーんかもしれんな。こーやっとると、ショージキさみしー感じにはならへんしな。

 

ルパンはあたしがキレとる時は怒らんかったけど、一回だけ、あたしがODして死にたいって泣いた時にはキレとった。じぶんはEDのくにせな、ってこれだれがザブトンくれんねん。あん時もルパンはあたしになんも言わんかったけど、キレとんのはわかった。それくらいあたしにだってわかるやん、だって学はないけどバカやないし。学はマジでまったくないけど、生きとる時は必死でいろんなもんに食い下がってきたんやから。だから、あたしは死ぬ時、ルパンにはなんも言わんと死ぬことにしたんよね。それがあたしなりの気づかいやし、もっと言えばフクシューってやつやんな。映画とかでもそーやけど、フクシューって終わったら、だいたいそいつって死ぬやん? それか、フクシュー自体がざんない、ってゆーか、しょぼいってゆーか、むなしい、みたいな空気になるやん? だからあたしみたく、じぶんが死ぬことでフクシューにするってタイプはコーリツええ感じするやん。

 

そんでも死ぬんって、やっぱ疲れるもんやわ。慣れへんことはなんでもそやけど、こーやって目ぇ覚めるまでめっちゃ時間かかった気ぃする。ずっと、なっがーい眠り。夢もなくて、ふかーい、ってゆーか無。あたしってもんは一回完全になくなって、無になったんやけど、でもなんでかパッと目ぇ覚めた、ってゆーか覚めてしまった、的な? それはホンマはダメなことやってチョッカンでわかっとった。バグっとったんやろ、たぶん。フシギなもんやけど、その時点でじぶんが死んだんやってハッキリ自覚しとったんやわ。だれかになんか言われたわけやないけど、なんかの間違いでこーなったんやろな。ボタンのかけちがい? 的な? だって、こんなんおかしいやん。レーセイに考えたらぜったい変やわ。こーゆんふかくツイキューしたら、たぶんめっちゃ不安になるとおもうんやけど、あたし、そんなタイプちゃうし、なるようになるさー的な? その場のかっるいノリでこなすんがしみついとるから、まー今も不満がないっちゃないわけやないけど、基本は割りきっとるし、こーやってピーチクパーチク三人でやっとんのも、意外と飽きんってゆーか、眠剤なくてもねむい時は素直に寝れるし、アラームとかなしでもパッチリ目ぇは覚めるし、日付なんてもうとっくに気にせんようんなっとるし、今が夏やないってことだけはわかるけど、ショージキ秋か春かってとこなんやけどな、突然ねむたなって気絶するみたいに寝とって、気ぃついたらめっちゃさむかったり、あったかかったりするから、なんもかんもぜんぜんわからんわ。てゆーか、もともと目ぇ悪かったしな、コンタクトあればべつだったんかもしれんけど。何にらんどんねん、って怒られるんは日常サハンジやったから、あたしはぼんやりしたまま何か見るんにも慣れて、そのままずっとメガネもかけんとよーやってきたわ、われながら。

 

夢なんてもう何年も見てへんから、今が夢なんやって言われてもそーなんかもって受け入れそうでコワいわ。だって、目ぇ覚めたらあたしはきっとビョーインのベッドの上やし、そっからまた生きてかなあかんのやろ? 一回ヤメるって決めたもんにどーやって折り合いつけるんやって。てゆーか、そんなん言いはじめたらホンマにあたしはじぶんが死んだかどーかも知らんしな。でも最後の方、カラダがつかれてどーにも力はいらん感じとか、息するんがしんどかったりしたんはよーおぼえとるわ、あと、湯ん中はいっとんのにカラダの冷える感じとか、じぶんの血で風呂場がどんどんよごれてく感じとか、ねむいんとしんどいんと痛いんがぜんぶひとつになって、どーしよもなく、取りかえしのつかんことやったんやなって感じとかめっちゃリアルやったしな。眠剤ぜんぶ飲んで、風呂でリスカするって、われながらやばいよな。あんなんチュートハンパにやってしくんのがいっちゃんつらいやろ、どー考えても。あたしはそー考えたら、よーやった方やし、遺書なんてメンドいもん書かんかったけど、金なんてどーせオトンに流れるんは目に見えとるし、まールパンがうまくやって、ちょっとでももってってくれたらええかなーって。なんか純愛っぽいやん、鳥肌立つわ。ってもう鳥やん。だからザブトンどこやねん。セルフでってやかましわ。

 

けっきょくあたしはまだ死んだ理由、ぜんぜんハッキリ口にしとらんくて、それはわかっとんやけど、どーもうまくことばがでてけーへんってゆーか、今んなって死んだことコーカイなんてせーへんし、それはマジでないんやけど、どーしてって言われると、どーもこれってゆーんが、よわいっちゅーか、なんやろな、うーん、やっぱ意地んなってるとこはあるんやわ、ぶっちゃけ、いちおうあたしはじぶんのプライド、ハカバまで持ってくもん持ってったし、あとはあたしの勝手なんやけど、死んでからもどーにもハジらってまうんは、これはきっと性なんやわ。しゃーないわ。あたしはぜんぜん知らんけど、たぶんほんもんのオカンってこんな人やったんやとおもう。あたしみたくオトンとケンカばっかしょーったってひっこす前は何回か聞いたし、それはそーなんやろなって想像ついとって、ユカちゃんとかヨシキくんの持っとるむかしの写真とか見せてもろーても、やっぱそーやろなーわかるわーってなったわ。そーいえば、死んだら死んだ人に会えるってよーゆーけど、あれもウソやんな。あたし、三人のふわふわになってから会ったんってカラスのオカンだけやし、しかも何ゆーとんかぜんぜんわからんし。そんでもあたしら今、それなりにしあわせやし、やっぱオカンってイダイやなっておもう。あたしやって、じぶんのこと捨てた親やけど、やっぱほんもんのオカンのことはどーにもキライになれんし、まーだいたいは忘れとるんやけど、命日はちゃんとおぼえとって、ハカマイリはさすがにとおいし、場所もよー知らんのをオトンに聞くんもメンドイからあれやけど、じぶんの中ではそれなりのキョリ感で付き合ってきたんよね。顔も覚えとらんのにね、ってゆーか、死んだ人ってそれなりのキョリ感でしか付き合えんもんやし、きっと、ルパンやってオトンやって、死んでからのあたしとはそれなりになっていくんよね。あたしはそれをのぞんどったし、それがホンマのじぶんの気もちなんやって、ずっとおもっとった。でも、たぶんそれはちょっとだけウソで、ってゆーかあん時のあたしはやっぱ変で、メンヘラっぽくなってて、でもそれをあたしはだれにソーダンすればよかったん? みんな、だれかがおらんところでその人んこと笑っとるんは知っとるし、あたしやって死ぬほどバカにされとんの、とっくのむかしから知っとるし、だからあたしはなるべくそーゆーヒキョーなことはせんかったやん。それだけはジシンもって言えるわ。けど、じぶんだけカッコつけとると変にカドも立つし、一匹オオカミはオオカミやるだけの実力とプライドがヒツヨウで、あん時のあたしにそのよゆーはなかったんよね、じっさい。理由は知らんけど、あんのクソルパンはずっとあたしにさわりたがらんかったし、キャバやめてからの身のふりかたやってじぶんなりに考えとったし、サユリんに電話してガブギ町引っぱってもらうってゆーんもセンタクシのひとつにはあったけど、そもそもの話、なんでこーやってまで生きてかなかんの? ってゆーそぼくなギモンはずっとアタマん中にあって、あたしはバカやないからじぶんが年とってってることも、どんどんきたななってることも、ルパンとの間にショーライがないってことも、ぜーんぶ知っとったし、ルパンのゆーとおり、あたしが本心では子どもをキラッとること、じぶんの子どもなんて1ミリも欲しくないってことも、死ぬほどわかっとったんよね。それでもあたしはやっぱりルパンにそんなん言われたなかったし、あん時は笑ってごまかしたけど、やっぱずっと引っかかっとって、じぶんでわかっとることをあらためて人に言われるんって、やっぱちがうっちゅーか、じぶんでわかっとるじぶんのダメなとこ、なんでわざわざあんたにツツかれなかんの? あたし、なんかあんたにメーワクかけた? ってゆー怒りのバクハツはすぐおわるんやけど、そのあと、ちょっとだけ悲しさがのこって、その悲しさがあたしを人間フシンにしていくんよね。かんたんにゆーてしまえば、あたしのオトンはサイテーで、あたしはきたなくて、彼氏? っぽいルパンは何考えとんかよーわからんくて、あたしはショーライと他人がとにかくこわくて、世の中くるっとるって感覚もあって、やっぱこのまま生きてくんがどーしてもつらなって、サイシュー的には自殺したんやってゆーとセンチメンタルで、トッパツ的って感じもするんやけど、あたしはあくまでも計画的にやったし、そこに関してはウソなんてないし、コーカイもやっぱないんよね。

 

じぶんがホンマは死んでないってハッソーは、なんでか知らんけどだんだんリアルにおもえるシュンカンがふえてて、そーゆーんもさいしょはぜんぜん気にせんかったけど、なんか最近アカンくて、はよ大人になっていろんなことたしかめたいって気もちはちょっとずつおおきなっとる感じはするんよね。でも、それとは逆に三人ん中でのあたしの意識ってゆーんはよわってきとって、昼間にいきなりブチッと意識とんだとおもったら夕方になっとるみたいなんもふえとるし、日付の感覚もマジでなくなっとるからあたしとしてはちょっとビビるけど、でも、そーゆんがしぜんな流れってゆーんはわかっとるし、今さらさからう気になれへん。もし、今このシュンカンに意識がまたブチッととんで、そのままもどらんくても、それはそれでしゃーないっておもうけど、そのあとあたしはどこ行くんやろね? またちがうカラダにはいって、テキトーにやるハメになるんかな。これってやっぱ自殺したこととカンケーあるんかな? そんなんになやむほど今は時間があるってこと。あたしはずっと走ってきたから、こーやって止まってなんかを考えるってゆーんもなかなかせんかったし、やっぱあんま性に合わんなとはぶっちゃけおもうけど、でも生きとる時によー感じた、どーしよーもない不安みたいなんはもうとっくになくて、あたしはずっとじぶんの人生をおもい出してて、なんかそれしかやることがないってゆーんは楽やけど、やっぱたいくつで、あたしはじぶんが死んどってよかったっておもうんよね。こんなん生きとったら、わるいけどあたし一日で無理やった。でも、みんな生きもんなんてそーゆーとこからスタートするんやし、あたしだってきっと赤ちゃんやったころにはめっちゃくだらん毎日やったんやろうし、そん時はまだオカンもおったはずやから、あたしはゆりかごかなんかん中でずっと安心できたんやとおもうわ。もしかするとあん時のあたしの中にも今のあたしみたいな、だれかがおったんかもしれんけど、そんなんわかるわけないし、おったんやとしても今のあたしには何のカンケーもないはずやん。あたしはずっとじぶんでじぶんのケツふいてきたし、そのスタンスは今こーやって三人でふわふわしとる時やってぜんぜん変わらんやん。

 

となりの木ぃの、あのカラスがまた見てんよね。アイツ、なんなんやろ。あーゆー視線って、やっぱキモい客とかストーカーとかおもい出してまうんよね。え、ちょっと待って。いやいや、ちゃうやん、アレ、ドロボーの目つきやん。てゆーか、今そんなんあったのおもい出したわ。うっわ、マジか。なんなん、この記憶のレンサ。あたしな、ちっさい時にオトンがカギあけっぱにしとったアパートでドロボーに会っとるんやわ。てゆーか、マジうちのオトン、クズすぎるやろ。あたしはヨーチエンにもホイクエンにもかよわせてもらえんくて、あかるいうちはユカちゃんがよー来てくれて、タツキといっしょに外にでたりしとったけど、だいたいはオトンがテキトーに働いたりアソんだりしとるせいでウチにひとりでおったし、あたしはほぼゴミやしきみたいな部屋ん中で絵ぇ描いたり歌うたったりして、どーにかタイクツせんようにずっとクフーしとって、それってマジナミダぐましいってゆーか、ジュンスイってゆーか、ちょっとおもい出すだけで泣きそうんなるんやけど、そんな時期があって、あたしはリビング? ってゆーにはせますぎる部屋でひとり、クッションにぽふんってすわっとって、たぶんぼーっとして、テキトーなアソビにムチューなっとったんやわ、そのせいでだれかがゲンカンがちゃがちゃやっとんのにも気づかんかったぁ……いや、ちゃうな。たぶん気づいとったんやけど、どーせオトンかオトンの「オトモダチ」のだれかやろってたかくくっとったって気ぃするわ。しずかーぁに、気ぃつかってゲンカンのドア開けて、土足ではいってきたんはわかっとったけどあたしは下向いてなんかやっとって、キッチンのテーブルんとこで足音止まって、へんなキンチョー感がでてきたとこであたしはパッと目線をあげたんよね。そーしたら、知らん顔したおっさんがへーんな顔であたしの顔見よって、そん時はよーわからんかったけど、あたしはぜんぜんこわくなくて、むしろおっさんの方がちょっと、ってゆーかかなりビビっとんよね、まぁそれも今んなっておもえばやけど。このころのあたしはもう、じぶんの知らん人がウチん中うろうろしとんもなれとったから、たぶんぼーっと見よったんやとおもうわ。おっさんは一回、あたしんこと殺すような目つき、そう、あのカラスみたいなガッとした目つきになって、こっちグッと見て、そのシュンカン、あたしはじぶんが声出したらイッパツでアウトなジョータイなんや、ってさとって、三角ずわりしたままカラダかたーくしとったんやわ。おっさんは一歩、二歩ってふみしめて、こっち近よってきたけど、けっきょくゴミだらけのテーブルん上に置いてあったゲンナマパクって、そのまま何事もなかった的なアレでゆっくーりおちついて、ゲンカンからでてったんよね。おっさんのビビりがいつの間にかあたしにうつって、あたしん中でおっきくなったんやって、今ならわかるわ。あたしはそのあとずっとぼーっとしとって、夜か夕方んなって、オトンが帰ってきてから、金がない金がない、ってさわぎだして、あたしに、おい、ここにあった金だれが持ってったんじゃあコラぁ、って鬼みたいな顔で問いつめて、あたしはまだちっさかったから、オトンにそーゆー顔されると、声出んくなって、どもってしまって、そんでショージキに、だれか来て、テーブルの上からなんか持ってったってゆーと、オトンはあたしの顔おもいっきしぶんなぐって、そのあとボーゲン吐きまくって、ゴートーやゴートーやっておおさわぎしてサツ呼んで、パトカーはわりとすぐ来た気ぃするわ、あたしはサツにいろいろ聞かれて、オトンはたぶんあたしの顔がはれとったせいで怒られとって、サツが帰ったあと、てめぇのせいでなんたらかんたらぁって言いながらまたなぐって、そん時のあたしはちっさくて、考えることホーキしとったから、もーどーでもええわってなっとって、明日はまたタツキとアソべんのかなーとか、くっさいゴミやしきみたいな部屋ん中でぼんやりおもっとったんやわ……ってそんな思い出にひたっとるバアイちゃうやん。あのカラスは、あん時のドロボーみたいな、こっちをおそうような目ぇしとって、それも会うたんびにその感じつよぉしとって、あたしは今、メーカクにネラわれとるんを感じとって、え、ちょっと待って、やっぱこれってピンチやん、アイツんところからあたしらんとこまでたぶん五秒くらいやろ。え? ってゆーか、アイツはなんなん? あたしらのこと食おうとしとるん? うっわ、グッロ。なんやっけ、こーゆー共食い的なの、カニガなんとか、みたいな? カニコーセン? 的なヤツ。まぁええわ、今そんなバアイちゃうし。ちっ、枝んとまりながらウデうごかすんとかマジでまぎらわしいからやめーや。こっち来るかとおもうやん。え? ってゆーか、あれってウデなん? 羽ちゃうの? あたし、三人になってからマジで目ぇ見えへんからビミョーやけど、あれってどー見ても羽ちゃうよな。ってゆーか、よー見るとカラスっぽいけど、あれカラスちゃうわ。目ぇはたしかにふたつあって、くちばしもあるんやけど、やっぱちゃうやん。うん、ちゃうやん、ヤッバ、グロ、なんやねんマジで。もーホンマかんべんしてーや。え、てゆーか、そーいえばアイツが鳴いとるん一回も聞いたことないし。あれ、マジなんなん? え、めっちゃキモいやん。もーなんなんよー。またもぞもぞうごいとるし、ってゆーかもうぜっんぜんカラスに見えへん。なんちゅーか、アイツ、マジ黒すぎるやろ。今、昼やから他のカラスがおらんくて比べれんけど、アイツの黒さイジョーやで。なんやろ、もうほんま真っ黒。ぜんぶ吸いこむくらい黒いってゆーか、暗い? あーもうヤバいって。もうアイツから目ぇはなせんくなってきてるやん。もーなんでこんな時にオカンはおらんのよ。オカン! もうエサとかええからはよ帰ってきて。あたしら三人でぺちゃくちゃぺちゃくちゃしゃべりすぎてもうじぶんらの声で耳聞こえんようになっとるやん。あと、ずっとふわふわしとるせいで巣ぅのバランスがヤバいことんなっとるし。もうはよ、はよもどってきよオカン。アイツもうずっともぞもぞウデうごかして、なんとなく全体的におっきなってきてるやん。あ、ヤバいヤバい。あーまた意識とびそう。あせっとった気もちがさぁーっと冷めてくんわかるわ。こーゆー時、あたし、わりとすぐにあきらめがつくんよね。こんなセーカクになったんをオトンのせいするんはダサいってわかっとるけど、オトンがあたしにしてきたキョーイクってゆーんはそーゆーもんやし、それはあたしとオトンのモンダイなんやから、他人にどーこー言われるスジアイないわ。あたしはずっとオトンのサンドバッグやったし、オトンは今でもそれをあたり前やとおもっとる。だからムスメがカラダ売ってかせいだ金、チューチョなく使えるんやろ。そもそも、じぶんのオトンに高校チュータイまでのヨーイクヒはらえって言われとるヤツなんてそーそーおらんやろ、ってゆーか、もーなんでもええやん、どーせクソみたいな人生やったし、っておもっても、こーやってずっとしゃべりつづけとるんってめっちゃあたしらしいよな。一周まわって逆にウケるわ。たぶん、あたしはこーゆーピンチをずっとルパンにどーにかしてほしかったんやろな。あたしやってずっとルパンの考えとるわけちゃうし、そもそもそんなふうにだれかのこと愛したことないし、ってゆーか愛ってなんなん? ってゆーんがホンネやけど、今このシュンカンはルパンにどーにかしてほしーんよね。もうマジでプツッと意識とびそうやのに、ぶっちゃけ今が未来か過去かもわけわからんのに、こーやって笑ってられるんはアタマイカレとるからやろ。きっとこんなウンメーしくんだメシア的なヤツもびっくりしとるはずやって。なんでかわからんけど、目ぇ閉じてでっかいプールにはいって、そのまま消えてなくなりたいわ。なぁルパン、今あたしこんなことおもっとるんよ。変やろ。

これはわたしが想像で書いたルパンの孫娘の話です。こうした話を読者の皆様はくだらないと切りすてるのでしょうか? 意味のない文章だと嫌悪するのでしょうか? わたしとしましてはそうした態度に断固として抵抗するつもりです。実のところ上記のテクストは書き上げた瞬間から幾度となく破棄しかけてきました。手元に印刷したものを乱暴に引き裂いてゴミ箱へと投げ捨てたのはまだ記憶にあたらしいところです。あの時のわたしは明確に怒っていたのです。こんなテクストに何の意味がある? わたしはじぶんの生みだしたものに自信を持てなかったのです。しかしこうしてみずからの舞台を膳立てし、勇気をもって提示すれば……ほらどうでしょう? こんなにも堂々としているではありませんか。もっともはげしい反対者だったわたしは一転して擁護者の先頭に立ちました。この身ぶりこそ伝記作者の戦いにおける流儀と言えるでしょう。そう、これは戦いなのです。戦いというのはすすんでその場に立つ者に無双の勇敢と神算鬼謀の智慮をもたらすのです。それにはもちろん戦場に愛される必要がありますが皆様はどうしてわたしをこうした分野において門外漢だと言うことができるでしょうか? たしかにわたしにはアルセーヌ・ルパンやルパン三世のような殺人術はありませんし危機を脱するためのコペルニクス的転回めいた機転も利きません。しかしそれが何だというのでしょう? けっきょくはここでいう戦いというのは覚悟と信条に依拠するのです。覚悟と信条はすべての物事に優先順位をつけます。こうした順位付けこそ戦場がもっとも愛するものだということをわたしは歴史からすでに学んでいます。ああ、うんちくを語ることは非常にたのしいのですが、いかんせん本稿の意図から脱線してしまいがちです。さて、ここから気を取り直しましょう。こういった修正に早いも遅いもないのです。そう、今は戦いの話をしていたのです。戦いおいて何より重要視されるのは速度ではなく情報です。しかしわたしは戦いに敗れたとなれば高らかに笑うでしょう。それがわたしの戦いに対する敬意の払い方なのです。ここでまたひとつ先手を打つとすれば上記した話において孫娘が恋人をルパンと呼んでいることについてまぎらわしさがあるとの批判が想像されますが蛇足を承知で申し上げれば、この話の肝はむしろそこにあるのです。つまりわたしたちにとってのルパンと孫娘にとってのルパンはことなるのです。ルパンとはあくまでも概念や現象に対する括弧つきの名前にすぎないのです。対象をおおうルパンという殻は今や非常におおきく柔軟かつ透明性がたかいため、その殻ではじめにつつんだ者さえ、つまり「それ」をルパンと呼びはじめた者さえいつからかルパンを誤解してしまうのです。わたしたちはついルパンを崇高なものとしてあつかってしまいがちですが、それはただしい方法と言えません。端的に言えばまちがっているのです。ルパンという名は本質的に俗の中でしかいきいきと呼吸できない者にこそふさわしいのです。俗の中でその魅力と技術をいかんなく発揮しダイヤモンドのようにかがやくのです。ああ、なんと皮肉なことでしょう! いつからか盗む者が盗まれるものよりも甘美な存在となっているのですから。そう、ルパンとは究極的に盗む者なのです。その対象は明確に意識されているか、まったくされていないかのどちらかで何にせよ盗まれたものはルパンにさらわれたことを誇りにおもうのです。後者については良例とは言えないのですが宮崎駿ルパン三世 カリオストロの城』のクラリスをおもい出していただければじゅうぶんでしょう。つまりルパンは盗むつもりのないものまで盗んでしまうのです。これこそ大怪盗の宿命でしょう。今現在のわたしはどうも話に熱を持ちすぎているようです。しかしこれもルパンの成せる業なのかもしれません。ルパンはかかわる人間をしずかに熱狂させる点、盗品の品格を上げる点でこれ以上なく熟練しているのです。ルパンの元からの人たらしがそうさせるのでしょう。わたしが終始このような大仰な文体でしるしていることの必然性が今ここであきらかになったとおもいます。わたしはとっくに盗まれているのです。ああ、伝記というものをこうしたあいまいなことばで構成していいのでしょうか? しかしわたしはこの伝記をしるしはじめるまでじぶんが盗まれていることをすっかり忘れていたのです。書きながらおもい出し、おもい出すとじぶんがルパンに恋い焦がれていることを自覚しはじめたのです。この想いはつのるばかりで、つのればつのるほど饒舌になるのが世の常でしょう。正直なところ、わたしはこのテクストを過剰なことばで構成することをのぞまなかったのです。

 

つまるところ人間はだれしも別のだれかのルパンとなる可能性があるのです。これは決して大げさな話ではありません。事実わたしはわたしたちのルパンにこころをうばわれ、このようなテクストを長々とつづっているではありませんか。もしかすると今この瞬間わたしも見知らぬだれかのルパンになっているのかもしれません。しかしこうした考えにわたしが陶然となることは断じてないとここで宣言させていただきます。わたしはまた無意識のうちに先手を打ってしまいましたが、それはある意味当然なのです。確証のない妄念を本気でとらえること、それは決して健全な市民のとる態度にふさわしくないからです。わたしたちのルパンだってわたしが道化じみた熱をあげていることなどみじんも想像していないでしょう。秘密の熱量が歴史や世界を支えてきたのは事実です。不可視の関係が焼豚に巻いたタコ糸のようにわたしたち全員をもれなくきつくしばりつけているのですが、わたしたちはあまりにも誤解しやすいせいでよくできた己の自律や自己抑制が不安定な世界におけるバランサーとなっているとあやまった自信をつちかってしまうのです。あるいはもろもろのルールがあるからこそ裏をかけるといった商人的な、現代社会における複雑な利益追求主義が構成されるのです。しかしここでもう一度言わせていただきますが健全な市民はこうした態度をとらないのです。冷静沈着な思考を持つ健全な市民がいるからこそルパンはその価値を発揮するのです。「俗の中でダイヤモンドのかがやきを放つ」という事実を確認するには、その魅力とのただしい距離を保った者が最低でもひとりは必要なのです。わたしたち市民はじぶんたちのルパンをそれぞれのタイミングで発見してきたはずです。それは天体観測研究にも似た営みで、わたしたちの生活にはある種のたえまない緊張が存在します。それはおそらく無意識のうちにふかい眠りをさまたげているのでしょう。もちろんだれもがじぶんだけのルパンを見つける必要性はありません。だれかとおなじルパンを目で追うことになったとしても、それを口に出さなければいいだけの話です。口に出すことはあらゆる俗悪と関係を持つことです。抑制のきかないわたしたちの声は鳥々のさえずりより不純で、おおくの意味を含有しているのです。わたしたちはもはや無垢でいられないのです。いえ、もしかすると真の意味で健全な市民となれたあかつきにはまっさらな無垢となることができるのかもしれません。もちろんこれは抽象的な話です。わたしたちは健全な市民であるべく努力すべきですが、それが完全に達成される日はおそらく来ないのです。先ほどからわたしが市民についてうんぬんつづることに違和感をおぼえている方もいらっしゃるかもしれませんが、この伝記に関しては市民についての復習がおおきな意味合いを果たすのです。しかし時間がないのもまた事実です。ほら、こうしている間にもルパンはどこかにかくれてしまいました。まったくなんという逃げ足でしょう! ルパンはもうすこし恥を知るべきです。しかしここで深呼吸、あえて落ち着く必要があります。改行を効率的に使えば、こんなピンチもわけなく乗りきれるのです。

真の健全な市民に言及したとなれば真のルパンにもふれておくべきでしょう。答えは簡単です。真のルパンと呼べるのはアルセーヌ・ルパンとルパン三世だけです。そう断言できるのは彼らが万人からルパンだとおもわれ、また彼ら自身ルパンというつよい自負を持っているからです。彼らはあらゆるルパンの基準となっているのです。わたしが三つ目のルパンとして紹介したラパンはどうなんだという意見がちらほらと聞こえてきます。わたしのように名前を勘ちがいして認識している者にとっては三つ目のルパンもじゅうぶん物差しとなりうるでしょう。しかし世界的に見て圧倒的に知名度がひくいこと、ただしく名前をおぼえている人々が一定数いることをかんがみれば三つ目のルパンを真のルパンと呼ぶのは多少気が引けやしないでしょうか。わたしは今こうしてルパンの系譜をおさらいしながらしかるべき道筋を構築しています。伝記というのは順序立てるべきなのです。たとえそれが読者にはわかりづらくとも筆者が明確な方向性を持っておくことで一貫性が出現するのです。一貫性というのは作品や人間にとって非常に重要な事項と言えます。何故なら基本的にわたしたちはある対象の一貫性からにじみでる魅力を対象そのものが放つ魅力とはきちがえているからです。ある対象の魅力を説明できないということは、その対象の一貫性をみじんも理解していないことをおのずと証明しているのです。わたしたちは時間の経過に従順なものを好むようにつくられている、こうしたことを口にするとある人々は嫌悪をしめすかもしれません。しかしそれは生物として当然のことではないでしょうか? わたしたちはあらゆるかたちで時間を愛でようとしている、その営みは強欲で終わることがない、こう感じることに何故良心の呵責などおぼえなければならないのでしょう。話をすこし前にもどせば、ある対象の一貫性をすべて理解することなど個人では到底不可能なのです。わたしたちにできるのはその一貫性にふれることだけで、それはちょうど人々が巨木や由緒ある貴重な樹木を目の前にすると何気なく樹皮に手をおいてしまうあの自然なふるまいとよく似ているのです。わたしの語り口は少々くどすぎるのかもしれません 急がば回れのつもりが、ただの道草になっていることを反省しつつ、これから先は多少とばして(もちろんラパンに乗りこんだつもりで。一般的にルパン三世の愛車だと知られているのはクリーム色のフィアット500ですが、じっさいはメルセデスベンツSSKやアルファロメオ6C1750やACコブラ427など多種多様な超高級乗用車を運転しています。もちろんあれらは盗品でしょう。わたしたちには手ごろな価格で購入できるラパンがお似合いだ、などと自己卑下する必要などありません。さぁ意気揚々と運転し、その燃費のよさとフォルムの愛らしさを存分に見せつけてやろうではありませんか!)いきましょう。わたしはもうすこしまじめに伝記を書くべきなのです。アカデミックな価値を保持してきたのはいつだって背筋をピンとのばした人間だったはずです。いつまでもルパンのようなおちゃらけた態度でいるわけにはいかないのです。たとえそれがルパンの魅力をつたえる最大限の努力だとしても。

 

わたし自身三つ目のルパンをひいきしているのは自覚していますし、そういった批判はわたしの耳にもすでにとどいています。しかしわたしが四つ目のルパン、すなわちわたしたちのルパンをルパンと名付けることができたのはまぎれもなく三つ目のルパンのおかげなのです。彼女の見た目がわたしにラパンを想起させていなかったら、こうした伝記をつづるに気にはならなかったでしょう。ほとんど知らない人について伝記を書く、直截に言ってしまえば本来社会とはこうあるべきなのです。あまりにも馬鹿げた話だとおもわれるでしょうか? しかし読者の皆様にはよくよく考えてもらいたいのです。わたしからの問いかけはたったひとつ。

ひとりだけを選ぶとすれば、あなたはだれの伝記を書きたいですか? 

質問に即答できた方はその選択と選択の理由を添付したアンケート用紙にしるし、郵送していただけるとさいわいです。わたしにも研究者としての側面が一応あることにはあるのです。またこうした批判があることも予見して申し上げれば、わたしがわたしたちのルパンを真に愛しているようには到底見えないという意見もあるでしょう。たしかにわたしは手放しでルパンを称賛しているわけではありません。ルパンの気に食わない点を挙げよと命じられれば、よどみなく口述することもできるでしょう。特にあの老人特有の顔や手のふるえはわたしに苦手だった祖母との苦い記憶をよみがえらせ、正直に言えば見るに堪えないとさえ感じてしまったのは事実です。また彼女がタリーズコーヒーで落としたハンカチはなんと脂じみて汚らしかったことか! しかしそれが何でありましょうか? ルパンに視線とこころをうばわれていたのは事実ですし、簡潔ながらもそうした場面を叙述してきたのです。わたしたちは瑕疵のあるものを、その瑕疵をもふくめ愛するのだと身勝手ながらも確信しています。存在の全肯定を愛と呼ぶならば、それは単なる自己愛にすぎないと付け加えれば少々手きびしいでしょうか。しかしわたしには読者の皆様と敵対するつもりなどみじんもないのです。むしろ皆様と手を取り合って共に高みへと参りたいのです。わたしの敬意はこのテクストにもあふれているはずだと確信していますし、ひいてはルパンの軽快な指のうごき、自宅での気ままにステップにつながっているはずなのです。今さらですが、お前はルパンのステップなど見たことないだろうという声はもはやわたしにとどきません。こうした初心者じみた野次にかまっている暇などないのです。わたしはひどく臆病に、ひかえめに、それでいてふざけながらルパンを愛しているのです。わたしやルパンにとって燃えるような激しい愛情はすでに過去のものとなりました。時期をいつわって饒舌に語ることはわたしの趣味ではありません、と言うより過度に演出する何かというのは伝記にとって蛇足なのです。激しさの中でひとは何かを語ることなどできません。すべてはいったん熱が冷め、熟成してからはじまるのです。誤解をおそれずに申し上げれば熟成していないものはおしなべて子どもっぽいのであり、それは大人のやる仕事ではないのです。ルパンからさらに展開して彼女の孫娘の話を構成したわたしは、すでにルパンとの距離を愛しているという自覚をじゅうぶんに持っています。わたしにとって三つ目と四つ目のルパンは不可分ですし今やルパンと孫娘さえもそうなのです。言うなれば、わたしは彼らを夜空にうかべて観察しているのです。わたしは彼らのまたたきで星座などむすびませんが、彼らの関係や相互の影響には常に気をくばっています。こうした態度は伝記作者に必要不可欠なのです。伝記とは決してたったひとりについて書くのではありません。もしそうした伝記に見かけたら、わたしはその本をやぶり火にくべてしまうでしょう。こうした苛烈さに不満のある方はできるだけ早めに連絡をしてほしいものです。そうすればわたしはこの伝記を未完のままだらだらとつづけることができるかもしれません。話を架空の夜空にもどせば、わたしは望遠鏡をのぞくことで彼らの細部まで知ろうとおもいません。細部に目をやることで消費されるわずかな時間さえ惜しいと感じてしまうのです。わたしたちの流儀において観察は常に片目で行うべきです。もちろん使用するのはあのアルセーヌ・ルパンのモノクルです。距離を愛する者は一度その距離をうしない、そこに埋没する必要があるのです。つまり夜空にうかべた彼らを平面もしくは並行的に、生ける絵画としてとらえるのです。伝統的なカメラがたったひとつのレンズで映像を撮るように、わたしたちは片目で没入と俯瞰をくり返さなければなりません。このまますすめていくと伝記、愛情、距離についての論文となり本稿の趣旨からおおきく逸脱してしまうため、わたしはここで一度休憩をはさみます。英国式の紅茶の作法やきれいな文章の切り方など伝記作家は知らないものなのです。

 

書きすすめていくにつれ伝記をまともに読んだことさえなかったわたしが、いっぱしの伝記作家であることを自負するようになったのは何故でしょう? もっと言えば、かつてわたしは伝記や伝記作家をかろんじていました。しかしそれは完全に誤りでした。伝記というのは非常に繊細で奥のふかいものだと今回の執筆を経て痛感しています。またこうしるすと反感を買うかもしれませんが、もろもろの批判とはいずれまた別の場所で建設的な格闘をする予定です。と言うのもわたしは近い将来、伝記の伝記による伝記のための伝記を書くつもりで、さらに予告するならば、そこにふたたびわたしたちのルパンを登場させるのです。正直に申し上げれば(正直さというのは伝記作家に欠かせません)わたしは休憩と改行をはさんだあと、しばらくルパンのことを忘れていました。これはわたしの落ち度ですが、しかしそれだけで済む話でしょうか? この妙な記憶の空白はもしかするとルパンのせいかもしれません。言わずもがなルパンは大怪盗ですから伝記作者の記憶をしばしうばうことくらいわけないのです。真の窃盗とは相手にその事実をさとらせないことです。そうした意味ではルパンはまたしてもうまくやったのかもしれません。確固たる証拠などどこにもないのですから。わたしはまた無根拠に妄想をつらつらと語っているのでしょうか? 記憶の空白は自覚すると、その間隙にあったものをよりいとおしくおもわせるのです。ルパンはおそらくわたしをもてあそんでいるだけなのでしょう。わたしの徒手空拳をこっそりと目にし、さわやかにほほ笑んでいるのです。ルパンに陰湿は似合いません。ルパンの粋な窃盗術は人を本質的な不幸へと陥れず、その手前にとどめるのです。仮にルパンとかかわって不幸になるとしたら、それは本人の過失により状況そのものが悪化したにすぎず、あくまでも決定的な原因はそちらにあると言わざるを得ません。ルパンはルパンのみを愛する者を決して歓迎しません。何故ならルパンもまたひとりだけを愛することができないからです。得てして特別な関係とは出会いの印象を基盤に、共有した時間を積み足すことで形成されますが、それが一方的であるほど世界はその差異をよろこぶのです。ちなみにルパンは記憶をうばえども、それらを使用しません。そもそも他人の記憶など使えるはずがないのです。ルパンはむやみやたらな窃盗を嫌いますが前述したように無自覚に何かを盗んでしまうことが多々あり、もしかすると記憶に関するうんぬんはすべてそうした類のものかもしれません。盗まれたそれらは生霊と化し、今もルパンの双肩におもくのしかかっているのです。彼らに共通する背中の雄弁は無自覚の対抗が生んだ偶然の産物なのでしょう。ああ、ルパンよ、あなたたちはなんと悲しく、なんとゆたかで、かくもかぐわしい魅力を放つのでしょう! このテクストにおいてわたしは極力感情的になることをおさえてきましたが、いよいよ終わりが近づくと抑えきれないものが生じてきます。大胆なことを言えば、ルパンの名の下において盗んだ者と盗まれた者は等価交換をしているにすぎないのです。記憶に関してはなおのことそう言えるでしょう。真のルパン二名がきわめてすぐれた記憶力を保持していることはこの事実を皮肉なまでに裏付けしています。一方わたしたちのルパンはどうでしょう? 彼女の年齢をかんがみれば記憶力はおそらく低下の一途をたどっているはずです。しかしこれはたんなる老化現象ではありません。生来の盗人である彼女は、ついにじぶん自身から盗む段階へと突入したのです。彼女が暇を持てあましてしまうのはある種の必然とも言えます。つまり彼女は自身から閑暇の適切なすごし方に関する記憶・技術をうばってしまったのです。ここで体力の低下を持ちだすのはあまりにもナンセンスです。低下した体力をなげく者は東京と横浜を自由に行き来することさえできませんし、丸の内やみなとみらいの圧倒的にアーヴァンな雰囲気からしめだされてしまうのです。わたしたちのルパンは日々記憶を欠落させながら、むしろ体力を持てあましているのでしょう。夜は早々に眠り、存在すら知らない(あるいは忘れた)孫娘の状況などみじんも想像せず、夜明けと同時に目を覚まし、ミルク入りのコーヒーと共にゆったりした朝の時間を過ごすのでしょう。歯抜けの記憶でも世界を咀嚼することは可能なのです。いびつな引き算の成される主観の中で、たとえあらゆるものの作法をうしなおうとも彼女はたじろぐことなく堂々としつづけるのです。それは彼女のスマートフォンの中で増えていくポケモンの数が証明しています。ルパンは悲劇の主人公とならず、いつも肩で風を切り、前を向きつづけるのです。それはたとえスマートフォンをのぞきこみ無表情のまま画面をタップする瞬間であっても。ルパンはおそらく生も死も、うばうこともうばわれることもおそれていないのです。それはつまるところ無を肯定することでしょう。わたしのような臆病者はそのいさぎよい態度に感動してしまうのです。他者が己のできないことを難なくこなしてしまうさまは時にひとを傷つけますが基本的には勇気づけるものです。ルパンによってとうにうばわれたこのテクストの価値を、わたしはみじんも信じていません。そもそもルパンについて何かつづることで、その価値が彼らに損なわれないわけがないのです。彼らを叙述することの不可能性については別冊の「ルパン、否定性」においてふれているので、そちらに目をとおしていただけるとさいわいです。これは単なる開き直りではありません。わたしはもはやじぶんが何を書いてきたかの記憶だけでなく、ルパンへの愛情さえうしないはじめているのです。おそらくこのテクストを読み返すことである程度回復できるはずですが伝記作家としてこのような態度はいかがなものでしょう。偉大な伝記作家たちはじぶんが書いてきたテクストを決して読み返さなかったのです。彼らはそれを伝記に対する冒とくだと考えました。伝記とはすなわち書く者と書かれる者の神秘的な交信の場であり、一般的にそれに価値をあたえるのは学術的な資料としていかにすぐれているかだと考えられますが、しかし彼らの交信がふかければふかいほどテクストは自然と芸術性をおびるものなのです。この事実をだれが否定できるでしょうか? こうした法則をくずしうるのはルパンのみです。ルパンは物事の根幹をごっそりと、手早く引き抜くことができるのです。重複になりますが、わたしがわたしたちのルパンを実際目にしたのは三度だけでした。一度目は東京駅に隣接したKITTE、二度目はみなとみらいのマークイズ、三度目は元町商店街タリーズコーヒー、たった三回だけで、しかも時間換算すれば計十五分にも満たないみじかいものでした。その体験をこうやってふくらませることができたのはひとえにルパンの魅力のおかげです。有名な比喩をつかえば、わたしはたしかにイースト菌を持っていましたが、パン生地に必要な材料はすべてルパンが仕入れてきたということです。あらためて口に出すまでもない事実ですが、わたしはルパンに形容しがたいほどの感謝の念をいだいているのです。しかしだからと言ってわたしはふたたびルパンに会うことをのぞむでしょうか? このテクストが終盤までさしかかった今、わたしにルパンの実体など必要ないのです。伝記における実体というのはあくまでも骨組みや基盤であり、仕上げの段階にはほとんど邪魔となるのです。問題はそれまでの過程でどれだけ両者が交信できたかで、それが伝記や学術書においてもっともかろんじられる結論部の完成度とむすびつくのです。やはりわたしには打擲が必要なようですが読者の皆様はもう少々お付き合いください。現時点でわたしに欠落しているのはルパンの流儀とそのイメージです。わたしはみずからの信条と覚悟により最後の最後までルパンの信者でいるつもりです。わたしはルパンについて書きながら、たえずルパンにうばわれつづけていました。それはわたしがこのテクストに向き合っている時間よりはるかにながく、執拗だったのです。ルパンはわたしの職場や眠りにまでしのび寄り、さまざまなものをかすめて行きました。おそらくわたしはこのテクストの最後の一文をしるした時点でおおきく息を吐きだし、恍惚とし、しばし宙空に目をやるでしょう。そしてこのファイルを上書き保存し、ウィンドウを閉じてしまえば、ルパンのことを一度きれいさっぱり忘れてしまうのです。そんなことはあり得ないと皆様はおっしゃるでしょう。しかしわたしには確信があります。わたしがどれだけおおくのものをルパンにうばわれてきたか、皆様は明確に想像することができないのです。これはわたしとルパンの共犯的な秘密です。わたしは今、これまで言及してきた四つのルパンのひとつひとつをおもいうかべています。こうした想いは一度忘れ去ったあと、おもいがけないタイミングでよみがえるのでしょう。たとえルパンといえども盗んだものを永遠に保持しておくことなどできないのです。ルパンはその大量の盗品がゆえに管理が非常にあまいのです。わたしはうしなった興奮を取りもどしたところで予告した仕事、すなわち伝記の伝記による伝記のための伝記へと取りかかるのでしょう。そろそろこのテクストは閉じられてしかるべきです。ルパンのように指先をふるわせてまでタイピングするつもりなどありませんし、とおい未来まで彼女と付き合う気もさらさらありません。どうか善良な読者の皆様に関しましては、このテクストを閉じた瞬間のわたしの恍惚がルパンにうばわれることを祈っていただけるとさいわいです。義賊であれ、そうでないにせよルパンは健全な市民の期待を好ましくおもうものなのです。わたしは次の仕事になるべく早くとりかかるべく本格的な資料を取り寄せる予定です。皆様とふたたびお会いするのは、ぜひ予告した仕事でありたいものです。もしかするとルパンのことを完全に忘れ去ることができれば、それはそれで幸せなのかもしれませんが、こうした態度は伝記作者にふさわしくないでしょう。伝記作家という特殊な職業において、わたしは最後の最後までかたちから入るタイプでありつづけました。何にせよわたしのこの職業への適正は次回の仕事で徹底的に問われることとなるでしょう。それでは読者の皆様、ごきげんよう! わたしはいずれもどってきますが、今はひとまずルパンと共に文字の上から消えることにします。一仕事終えたことで、ようやくふかい眠りにつけそうなのです。このたびはご清覧いただき、まことにありがとうございました。それでは皆様、よい睡眠を!