仮題『雛の月』

いったいどこから書きはじめればいいのだろう? これが日記であること、しかも期間限定の日記であることだろうか? 記録それとも、これがただの私信であることだろうか? だれに宛てたものかは勘の良い読者の皆々様にはおのずとわかるだろう。それまではしばしの我慢を……いやいや嘘だ、ぼくは最初から読者なんてものを想定してないのだ。読者なんてものは結果でしかない。読者はいつだって結果であり、ひとつの審判だ。ぼくはいつまでも判定を先延ばしにしたいのだ。夏休みの宿題を提出することなく二学期をやりきったいつかの小学校時代もたしかにあったのだ。これは自慢でもなく、ただの事実だ。そう、ぼくはこれから事実しか書かない。この文章はきわめて事務的で、作業的なものとなるだろう。とにかく今日は初日だ。そして実際に今日は三月一日である。期間限定と書いたのは、この日記が長くとも三月いっぱいまでのものなるからだ。三月の半ば以降、あるいは四月からぼくは仕事をはじめているだろう。はじめたての仕事というのは古今東西、物書きから時間をうばうのだ。ああ、なんという傲慢だろう。ぼくはじぶんを一端の物書きだとでもおもっているのだろうか? 何度小説を書こうとしては挫折してきただろう? 何度投げだして、放棄して、完成させては投げ捨ててきただろう。傑作を夢見て、ただ息をしていただけではないか? ぼくはただの記録官だ。だれに命じられたわけでもない、ちっぽけな記録官だ。しかし、それこそ魂が命じた真の天職というものではないか? ぼくは四月からまた東京のどこかの調理場で働いているだろう。あるいは魚市場? どちらにせよ、労働は魅力的なことだし、ぼくをさらなる高みへと連れて行ってくれることだし、金がないと生きていけないというものはこの短い人生の中で十分学んできたことだ。だが、ぼくはこれから料理人としてではなく記録官としての矜持をたたえて生きていくだろう。少なくともこの一か月は。それがうまくいくかどうかはわからない。結果なんてものは偶然だ。ぼくが記録官としての矜持を捨てない限り、いや、仮に捨ててしまったとしても、すべての過去は決してなかったことにならないのだ。その事実が、時おりぼくを爆笑させる。

 

ここは東京のはずれの街だ。それを明確にどこかと記す必要があることは重々承知している。だが、ぼくにだってプライバシーというものがある。それに信じてもらえないかもしれないが、ぼくは新婚だ。生活を阻害される万が一の可能性をぼくは無視することができない。それはもしかすると家主としての自覚なのかもしれない。なんにせよ家主としての自覚が、短期間でぼくを一層強くしたのは事実だ。そうでなければこんな文章をつづる気には到底ならなかっただろう。個人的な事情からくる幸せと春の陽気とが相まって、ぼくをこんなにも素敵な気分にする。いつかの桜吹雪がまぶたの裏から迫り、ぼくを圧倒するかのようだ。さて、落ち着いてコーヒーでも飲むか。ぼくはきわめて個人的な事情からインスタントコーヒーを嫌悪している。

晩飯のあと、みやーちは化粧を落とし早々と寝てしまった。メゾネットタイプのアパートメントの一室の三階で、彼女は毛布と羽根布団を重ねたぬくもりに身をゆだねている。彼女の寝顔はとてもうつくしい。ぼくはそれを目にせずとも明確におもい描くことができる。これを愛の力と呼ばずして何を愛と呼ぶべきだろうか? 記録官たるぼくはどうやら愛を知ってしまったようだ。ぼくはこれからアンパンマンのように世界の均衡を保つため、あらゆる厄災に奮闘しないといけないかもしれない。ぼくは一人こうしてPCと向き合い、己の使命と愛にふるえている。窓の外から怒号が聞こえてきた。さらに遠くから救急車のサイレンもうっすらと響いている。ああ、ぼくはもっと肩の力を抜くべきだろう。ぼくが力んでしまっては何の意味もない。ところで先ほどの怒号の声の主に関して、ぼくは大体の目星をつけている。治安が良いとされているこの街には、意外な場所に危険が潜んでいるのだ。それはやけに明るい高架下の空き缶だろうし、背の高い木が立ち並ぶ公園の入り組んだ通路脇のブランコだろうし、背の低い雑居ビルの地下一階だろうし、国道沿いの古びた中華料理屋で雑に置かれた吸い殻いっぱいの灰皿だろう。危険はまるで煙のようだと、ぼくはよくおもう。

 

この治安の良い街の、もっとも愉快な一角住む何人かと顔見知りであることはぼくにとってこの上ない喜びである。自宅のアパートメントからほど近いコンビニエンスストアのアルバイト店員であるカヤマという男はその説明にもってこいだ。カヤマは背がたかく、太っていて短い毛髪を安っぽいオレンジに染めている。背筋は不自然なほどすっきりと伸び、顎をこころもち上げている。肌は浅黒く、荒れ気味で、全体的な清潔感に欠ける。たいていレジの中でぼーっとしており、その視線が客をとらえることはすくない。他の店員がいる時は、彼らが品出しや事務作業ををしており、カヤマは素知らぬ様子でただただレジの中でたたずんでいる。これは決してカヤマを貶めるために書いているのではない。カヤマはすべての事象に対して泰然自若と構えているのだ。それは彼の最大の美徳である。彼は古代遺跡の忘れられたゴーレムかのようだ。声は常にちいさく、レジに何か商品を持って行った時はいつもほとんど聞き取れない声で、レジ袋はどうされますか、と問われる。ぼくはほとんど小さな買い物しかしないので、たいてい無視してレジ袋をことわる。カヤマはそんなぼくの態度を気にも留めず、丸みを帯びた大きな手で商品をレジにとおす。ぼくはたいていPASMOで支払いを済ませてしまうので会話はそこから一切なくなる。というより、そもそも会話などないのだ。カヤマは決して不必要にだれかに話しかけたりしない。だから彼がぼくに、ありがとうございました、などと別れのあいさつをすることはないのだ。もし仮にそんなことばを掛けられたらぼくは確実に怒り心頭してしまう。きみはいつから資本主義社会の奴隷になり下がったのか、崇高な魂を悪魔に安く売ってしまったのか! と責め立ててしまうだろう。しかしながら、そんな日は永遠に来ないとおもえる。ぼくはカヤマを尊敬しているし、彼はそんなぼくの気持ちを微塵も知ることなくレジの中に立ちつづけるのだ。それはもう永久機関のように。ぼくはどうしてこんなにも彼に好意を抱いてしまうのだろう。実際、ぼくは偶然店の前でシフト上がりのカヤマと遭遇し、ずうずうしくも声をかけてしまったのだ。彼はいかにもフリーターと言った具合の格好で、ジャージとかパーカーとかスニーカーとか、記憶にも残らないような恰好をしていたし、実際ぼくはぜんぜん覚えていない。ハイカットの白いスニーカーがうす汚れていたこと、ナイロン製の黒いウィンドブレーカーが色あせてくたびれていたこと、それくらいのことしかおもい出せないし、それさえどうでもいい。代わりにこの時、ぼくに声をかける勇気をくれたのは晴れた冬の夕空のすがすがしさや茜色の空気がかもすセンチメンタルだったことを記しておく。これは率直に言って敬意の問題である。ぼくは、いかなるものにも敬意を払いたがっている。それはもう過剰に! だからカヤマにもこんなことを口走ってしまった。

「きみはいつもおだやかな顔をしているが、その目はいつも鋭く、それでいてどこか間が抜けているように見えるね。それは君が俗世の問題を気にしていないからだ。きみに悩みがないとは絶対におもわない。だってきみはうっすらと、すべてを悲しんでいるだろう? もちろんぼくにきみの悩みを想像することはできないし、そうしようとすること自体滑稽だ。きみは不可解そうにぼくを見るが、それでいて視線は透き通っている。ぼくはそんなきみの内なる矛盾、静かな衝突がどうしようもなく好きなんだ。これは告白に近いかもしれない。ぼくの胸は高鳴っている。きみの口は苦痛にゆがんでいるのか? それとも笑いをこらえているのか? ぼくはしゃべりつづけることでしかきみの注意を引くことができない。あわれな講談師だ。きみは夕陽と同化して溶けてしまいそうなほどあやういね。きみの帰る場所はきっと清らかで情熱に満ちたところなんだろう。はるか昔に亡くなった教会のような神聖さを、どうしたってイメージしてしまう。時どき、ぼくはきみをゴーレム、それも大陸の古代遺跡で眠る年代物のように感じてしまうんだ。あながち、これは間違いではないようにおもえる。実のところ、きみは気高い。そして、ことばは悪いがうすのろだ。だが、それがすべての美徳とつながっている。」

カヤマはぼくのことばをじっと聞いたあと、にっこりとほほ笑んで身体をひるがえし、道を歩きはじめてしまった。西日に飲まれる方向へと向かっていたので、おもわずぼくははっとしてしまった。彼を追いかける権利も義務もぼくにはなかった。ぼくは茫然と立ち尽くし、しばらくその背中を見守っていた。それはノスタルジックで、みじめな気分を呼び起こした。やがてぼくは踵を返し、じぶんの目的地だった駅前のスーパーへと向かいはじめた。カヤマは外国人なのかもしれない、という仮説が宵闇のごとく心に広がっていくのを感じた。よくよくおもい返せば、彼が勤務中につけている名札の「ヤ」は小文字だったかもしれない。青は藍より出でて藍より青し、そんなことばが胸のうちにすんなりと染みわたるのを実感すると、なんだかとても疲れてしまった。

 

 

 

 

 

昨夜ヴァルザーの『ヤーコプ・フォン・グンテン』を読み返し始めてしまい、これがべらぼうに面白くて、ついインスパイアを受けた小説を書きたくなってしまった。以前読んだときは『タンナー兄弟姉妹』『助手』に劣るとおもったが、おそらくぜんぜんそんなことはないのだろう。ただ、冷静におもい返してみると、やはり『タンナー兄弟姉妹』の方が面白かったかもしれない。あれはすごい、というかなんともまぁふざけた小説だと思う。また読み返そう。

 

じぶんはおそらくうまく書こうとして成功するタイプではないし、以前書いた『ルパン~……』のように、大枠だけ決めておいてその場の即興で適当に書き連ねていく方がいいようにおもえる。それは、もうずっと前からわかっていたのだが、なかなか割り切るのがむつかしい。

 

働き始めは15日。それまでちょくちょく仕事関係の予定はあるが、基本的に暇なので小説を書いたり映画を観たりして気ままに過ごしたい。

 

うまくいけば、今年か来年どこかで天ぷら屋の大将をやることができるかもしれない。チャンスをものにしてガンガンステップアップしてメイクマネーしたい。