仕事でInstagramを使うようになって久しい。あそこに知的なものは一切ないなと切実に実感している。

情報は山のようにある。その裏の人間関係、金銭の流れ、他人の欲望のるつぼは正に東京という感じがする。

東京では、ほとんどの人が他人の欲望を生きている。

 

自分は環境を変えて自分を無理くりアップデートして内部から構造改革を図るタイプで、今現在の環境に適応する中で失ってしまった感覚はいくつもあるのだけど、時折どうも息苦しくなることがある。

肩に力が入っている、疲れている、とかそんな平易なことばで片付けられない居心地の悪さに見舞われることがある。

 

小説を書いていた時とは別の、仄明るいモヤのような鬱屈がある。

料理に、飲食業に打ち込んで、色んなことを理解して、できるようになって、飲食業というのは繊細なバランスと流れの上に成り立つ水ものでつくづく難しいなぁと実感しながら、面白いと思いながら、どこか渇いている自分がいる。

へとへとになって、身体を痛めても、何か足りないような気がしてしまう。

でも、全然深刻ではない。楽しいし、病んでもいない。すごく涙もろくはなってしまったけど、強くなったとも思う。

 

鰻も、蕎麦も、鮨もおおよそできるようになった。

鰻は面白い。とても追求しがいのある食材だと思う。

手前味噌だけど、自分の揚げた鰻の天ぷらはクッソ美味い。

 

自己流で極めたいと思っている天ぷらは、試行錯誤しながらも前に進んでいる。

天ぷらと料理を足し算ではなく掛け算で提供すること、天ぷらを脱構築することばかり考えている。

明日、風呂でふと思いついた方法を試すことができるのでめちゃくちゃ楽しみではある。

これがうまくいけば抱えていた問題がいくつか連鎖的に解消される。思いついた瞬間は脳内でブレイクスルーが一気に起こった感覚で、どえらくテンション上がった。うまくいってほしい。

 

何故今日試さないかというと、天風良にい留さんや車さんの流儀にならって、薄力粉をふるって72時間以上冷凍保管してから使用しているからで、今日はまだ粉が使える状態ではないから。

 

先日知人友人を集めて天ぷら会もやった。

収穫と反省が山ほどある会になって、とても良かった。3月にも営業日を1日変換して、今度はきちんとお客様を呼んで行う予定だ。

自由度の高い会社なので、自分を勝手に追い込んで好き勝手にやっている。

 

自分がこの一年で得たものは、とてつもなく大きかったと思う。自由が丘の和食屋に居た一年と同じくらい大きく成長できたと思う。

料理人として自分を売っていくフェーズになりつつ、というか既になっているので、その辺りも頑張らないといけない。

 

超高単価(客単価4万〜)の天ぷら屋の大将は、来年の頭くらいに出来そう。それまで力を蓄えて、思い切り跳びたい。

 

自分しか作れない料理、踏めない線、たどり着けない場所は絶対にある。どこまで遠くに行けるかゲームだ。人と同じ轍を歩きたくないという捻くれた気持ちは小さい頃から全然無くならない。それを無くさないうち本来持ち合わせていた普通さや平凡さが事後的に遠くなっている。だから、多分どんどん変な人になっている。

 

たまにお客さんに天才とか芸術家だと言われることがあるけど、自分では1ミリもそう思わない。

一料理人、それ以上でも以下でもない。

ただ、かなりキメラ的な魔改造をしただけ。

特に、天才では絶対ない。

ただ料理において努力ができる変人だというだけの話。

 

この前の天ぷら会

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巻海老
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鰻 蒲焼のたれ一塗り
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アオリイカ

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赤坂という町に飽きてきた。

あまり好きな場所ではない。銀座くらい振り切っていたほうが面白い。

違う場所で働きたいなぁ。