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たぶん知っている人は知っていると思うけど、現在赤坂の割烹で料理長をしている。客単価は約25,000円。決して安くはない。
料理長というと、何人かいる料理人を束ねるような雰囲気だが、店が小さいこともあり基本的に一人で仕込んで一人で営業の調理を回している。
もちろん他のスタッフやアルバイトにも助けてはもらっているが、あくまで補助程度だ。
毎月献立を変えているのもあるが、基本的に料理や飲食に関することしか考えていないし、実際それ以外やっていない。
まがいなりに蕎麦も打てるようになった。
もっと上達できるし、そうなるのだと思う。
今の会社で来年には客単価30,000円くらいの天ぷら屋の大将をやらせてもらう予定。カウンター6席くらい? 2回転?
それに向けてインプットも続けている。
料理は面白いし、飲食もたのしい。
けれど厳しいし、辛いこともある。
それは小説も同じだったと思う。
小説に振っていたエネルギーを飲食に全振りした結果、二十五歳手前から料理を志しても三十三歳でそれなりになれると言うことを自分自身で証明してしまった。
しかも本当に料理一本でやり始めたのは四年前くらいからだ。
才能なんてひとつもなかったし、今も当然ないし、ずっとコンプレックスを抱いているけど、反骨精神と負けん気だけでどうにかなるもんだとつくづく思う。
これからも料理を続けて、生涯料理人でいたいと最近よく感じる。
だれも到達したことのない、そしてその後だれも到達できない場所に行きたい。
小説では無理だったけど、料理なら行けると思う。
料理を通じて、何かしらの思いを感じてもらえるのが本当に嬉しいし、喜んでもらえると仕込みの苦労なんて一撃でふっとんでしまう。報われてしまう。
学生の頃、当時の彼女や家族によく料理を作っていて、その際、だれかを想像して美味しくなるように努力する様は祈りに似ているなと思っていた。
今も祈りのようだとよく思う。
お客様に届くように、誰かに届くように、自分に嘘をつかないように、調理場で孤独に作業している。
もともとの頑固や偏屈も増した。
他人への興味もなくなった。
でも、今日も何とか一日が終わった。
料理人という仕事に、こんなに誇りを持つ日が来るとは思わなかった。