10年前、あれだけ死にたくて、みじめで、つらくて、自分勝手で、リビドーとデストルドーに憑りつかれて、いつも疲れていて、自意識過剰だったあの頃の自分は、どこに行ってしまったのだろうか。

でかい十円禿を二つも作って、自殺するつもりで小平のぼろ部屋を解約して、死にきれなくて横浜に流れ着いて料理をはじめたあの頃の自分は誰だったんだろうか。

 

料理を始めて9年半が経ち、今や東京で板前稼業としてそれなりの生活ができる程度には技術と知識を身に着け、さらに高いステージへと登ろうとする自分は誰なんだろうか。

 

いっさい通らなかった価値観の海の中で泳ぎながら、とうてい理解できそうもない人たちのことばをどういうつもりで耳に入れているのだろうか。

 

7年前、世界の絶望をぜんぶ背負ったつもりで、いつも悲しくて、怒りを抱いていて、さみしくて、誰にも理解されないとなげき、自分の才能の無さに気づきながらももがくことがやめられなかったあの頃の自分はどこに行ってしまったのだろうか。

 

いわゆる中二病だったのだろうが、それにしては長かったし、強烈だった。

つらかった。本当につらかった。あのつらさがあったから、今までやってこられたのだと思う。

 

小説は、もう二度と書けないし、書かないと思う。

もう自分には要らなくなったんだと、つくづく思う。

これも悲しい事実だけど、歳を重ねるというのは残酷だ。

 

34歳の自分が自分に対して思うのは、何の才能も無いから頑張れるだけ頑張れ、変人だから自分の感覚がずれていることを常に自覚しろ、身体を大切にしろ、くらいだ。

 

 

 

まぁ、世の中にはいろんな人がいて、どうしようもないくだらない凡百がほとんどで、それは金を持ってようといまいと関係なく凡百は凡百で、それでも中には素晴らしい人がいる。こんな面倒な自分と肌の合う人間がいる。それに自分が今の仕事を自分なりに頑張るだけで、【好きな料理をつきつめるだけで】、幸せに出来うる人たちがいる。それだけでこの世界を生き抜く価値がある、そう思い込みたいだけかもしれないが、実際にそう感じて頑張れる一日がある。

進んでいるのか退いているのかわからない日々だが、どうにかやっていくしかない。