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何をどう選択して生きていくか、本当に難しいことばかりだ。
一瞬一瞬が分岐点のように思えてならない。
今は懸命に、ひたむきに、前向きにやるしかないな。快晴のおかげか前向きになってきた。
自分をもっと変容させないとな。
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去年から知り合った一歳年下のWさんは自分が知る限り最もハイスペックな人間で、接していると本当に頭の良い人がこの社会への適合にステータスを全振りするとってこうなるんだなぁとほぼ畏敬の念に近い感動を覚えることがある。
そんな彼と知り合ったのは以前務めていた店でのカウンター越しだった。従業員と客の関係だったが、ふとした瞬間にお互いリトルトゥースだとわかり、そこで意気投合した。
彼は地頭がよく、エリートで、仕事もでき、気遣いもできるし、やさしいし、多才だし、物欲も強いし、それに見合った金もじゃんじゃん稼ぐし、そのすべての営為に対して前向きだ。そんな人間がオードリー若林のエッセイを購読し、他人に薦めるというのが自分には信じられなかった。
明らかに社会的強者には共感できないことばかりが綴られていると思えたからだ。
そんな彼と蜜月とも言える時期が有ったが、最近はどうも避けられているようだ。
理由はわからないが、きっと何か気にさわる言動を取ってしまったのだろう。
仕事以外だと他人への気遣いスイッチがオフになるポンコツなので、こういうことは有っても仕方がない。繊細なふりして、ぜんぜん繊細じゃないのは自分のよくないところだと思う。
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小説ってどうやって書くんだっけか?
というか、小説書くのってめっちゃ難しくない?
今現在まともに小説も読んでないし、本当に書きたいと思っているのかもわからん。
でも、過去小説を書いているだけで終わった一日、小説のことだけを考えていた一日というのがたしかに存在していて、それが妙に懐かしくなるのは事実だ。小説を書いているときにしか機能しなかった脳味噌の一部分があって、そこがずっと眠っているような気がしている、ずっと。このまま、もう二度と小説を書かないのかと思うと、さみしい気持ちになる。小説が死ぬほど好きで、小説さえあればいいとは全然思わないし口が裂けても言えないけど、それでも小説がこの世にあって良かったとは思うし、それがあるという事実だけで救われている部分もある。
ここ何年か料理ばかりしていて、飲食に関することばかりインプット・アウトプットして、よくそれで飽きないなぁと自分でも思う。
追求に際限のないものが好きだ、とよく思う。
答えのない事象に最適解らしきもの、ベターだと思われるものを当てはめていく作業が好きだ、とよく思う。流れる時間の中で不可逆な、取り返しのつかない一手を積み重ねて歪な建築をしているような感覚になる。それはたぶん小説もそうだった。書いてしまったものは削除できても取り消せない、そんな感覚が常にあった。
自分にしか作れないものを作りたいとずっと思っている。
料理を通して表現できそうな何かは、おそらく自分にしかできない何かだろう、という漠然とした自信はある。
人生なんて所詮暇つぶしで、暇つぶしが人生なのだとしたら、そのゲームにはうまく乗れている気がする。
時折りすべてが虚しくなるけど、おれより価値がなくてどうしようもない奴らが当たり前のような顔をして生きているし、東京は狂っていて街を眺めているだけで退屈しないから生きていける。将来は鎌倉に住みたいとずっと思っていて、それは変わらなかったし、変わってほしくない。