『渚にて』冒頭五枚

沿岸を行く自動車が徐々に増えていく。半数ほどがヘッドライトを灯し、遅くもなく早くもない速度で二車線道路を緊張感のない隊列のようにすすみ、ベルトコンベアーのようにすれちがっていく。上空では若い海鳥が声もなく帆翔し、山肌に近いさらに上空では鳶が優雅に旋回している。まだ午後五時にもなっていなかった。この時期にしてはさほど気温のひくい日ではなかったが茜のはっきりと射した空や、鉄色に染まった海は寒々しい印象だった。小さな雲が低い位置でぷかぷかと点在しており、その陰影のことごとくが濃い闇を抱いていた。それらは的外れで、間抜けに見えるがそう感じる者はどこにもいなかった。潮をふくんだ風は当然冷たかったが、気管や肌を刺すものとはほど遠かった。晴れてはいたものの、どこかどんよりと霞がかった一日だった。快晴ならばよどみなく見えるはずの、江の島キャンドルの先のふ頭や海岸線はぼんやりとしていた。ふと、歩く足取りに疲れがにじんでいるようにおもえた。それは誰の疲れなのだろう、と振りかえって浜に残したはずの足跡を見ることもなく自問したセンチメンタルには相変わらず鼻につくものがある、と重ねておもった。

ユニクロのウルトラライトダウンのポケットにしまった両手がいやに汗ばんでいた。掌が汗ばみやすいのは幼小の頃からで、三十代も半ばに差しかかればとうに慣れたくせではあった。手袋や指輪が苦手なのは、おそらくそのせいだった。足裏にも汗をかきやすく、そのせいで靴下越しの足先はとうに冷えていた。最初からあてのない散歩だった。引き返すことはいつでもできる、そう考えはじめてから小一時間がすぎていた。

鎌倉――土地勘がまったくないわけではなかった。かつて横浜に住んでいた時にはよく足をはこんでいたし、東京に住んでいた時も妻にプロポーズしたのがこの街だったことや妻の実家が横浜だということもあり頻度は落としつつも訪れていた。昔から、どの町に住んでいても散歩は好きだったがこの土地の独特の風情はより心をたのしませた。いくたの歳月をへた成りの自然がおおいものの決してほったらかし然としていないところ、要所要所に感じざるを得ない歴史の厚みをたたえつつどこか緊張感のうすいところ、非常に栄えているわけではないもののまったくさびれておらず都市としてむしろ独自の発展を遂げているところ、こうした魅力を総じたところで何一つとしてこの街を語ったことにはならないような気がした。所詮は外様なのだ。足をはこぶごと、季節ごと、天候ごとに街はあたらしい顔を見せてくれた。この街に好意を抱いてきたのは偽らざる事実だと、成夫はおもった。

しかしながらこの街に実際住むことを想定して生活をしてきたわけではなかった。横浜で六年、東京で八年をすごし、つい最近まではこのままじぶんは東京で人生を終えるのだろうと確信めいたものを抱いていた。都内での仕事もずいぶん板についていた。板前稼業ということもあり、都内でも二度ほど職場を変えていたが豊洲市場を中心とした卸業者や同業者とのつながりはふかく強固となっていた。都内の懐石料理屋で料理長として働き始めたのは四年前だった。忙しい日々もあったが流行り病のせいで経済全体が停滞し、その中でもとりわけ飲食業が苦しい時期もあり、その際には人知れず、さらに言えば本人さえ自覚せずに苦悩していた。勤務時間はあきらかに短くなり、自宅での酒量は増え、浅い眠りからいやに早く目覚めてはランニングと称し汗を流しては行き場のない焦燥をどうにか逃がそうとした。こうしたありきたりな混乱はもちろん成夫に限ってきたしたものではなかった。時間だけが平等に事態や心境を変化させた。好転とも現状維持とも悪化ともとれる状況変化にも人びとはなれ、生活の様式を対応させた。それは生物の、環境に適応する本能そのもののとも形容できる有様だった。その本能とやらにしたがっておれは鎌倉に来たのか? いや、すべては偶然だった。その自嘲をふくんだ自問はすぐに打ち消され、暗い波にのまれていった。横浜の知人から鎌倉の知人、要は「知り合いの知り合い」が店をたたんで静岡の実家に帰るのだがだれか居抜きでそのまま物件を借りて飲食店を経営する人はいないか探している、という旨を聞いたのがきっかけだった。その時はさほど胸が躍ったわけでも転職して独立しようもおもえなかった。しかし――いや、それ以上は無駄だ。結局は立場や責務をかなぐり捨て、無理に無理を重ねたのだ。足元を見ながら歩をすすめていた。視線が下がり背の丸まったぶん、安定した足取りだった。空に射す茜は部分的に濃くなり範囲をひろげていたが、陽の位置が下がったせいで景観全体の暗さは増していた。山々の影は濃くなり、行き交う自動車に灯るヘッドライトはより明るく見えた。風に流された一羽の海鳥が思いのほか近くを遊泳していた。くわぁぁ、と弱々しく鳴いた横顔がしかと目にうつった。乾いた瞳は黒くにごり、陽光でわずかにかがやいていた。……

 

久々に、本当に久々に小説が書きたくなったのは何がきっかけだったのだろう。柴崎友香『千の扉』を読んだからだろうか、石牟礼道子『椿の海の記』を読みはじめたからだろうか。転職が近くなり不安に駆られているからだろうか。過去とくらべ、明らかに満たされはじめた自分に対してどことない引け目を感じているからだろうか。篠田桃紅の作品を観てしまったからだろうか。宮崎駿の作品に対する執念を知ってしまったからだろうか。やはり自分は芸術が好きだ、芸術をつくるひとの営みが好きだ、とつくづくおもう。おれは芸術家じゃないけど、芸術はきっとずっと好きなんだとおもう。

 

それにして小説を書くのが下手だ。一回もうまいことなんてなかっただろうけど、それにしても下手だな。もうちょっとつづけて、できれば最後まで書きたい。何のためかはぜんぜんわからない。